ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

恩になった人とお別れ!

2018年02月21日 | 日記

昨日(20日)、昔ラッシーパパがお世話になった人にお別れに行って来ました。
その人とはラッシーパパが働いてた会社の先輩I氏です。
この八王子の地に越して来て37年、偶々同じ分譲地の隣のブロックだったI氏
越して来た時にI氏とH氏(後の副社長)に挨拶に伺った時
I氏の奥様は愛想が良くお茶を戴いて来たのですが、H氏のお宅は玄関先で失礼しました。
二人の奥様の違いだと思います。

 

 


I氏が定年になり、ラッシーパパも定年になってからもI氏のお宅にお正月になると
ラッシーパパがI氏のお宅にお邪魔して、お互いの元気な顔を見せ合いしてました。
I氏も必ず珍しいお酒を買っておいて帰りに持たせてくれてたものですが
4,5年前にI氏のお宅が娘さん家族との同居で家を建て直し
一時期越していたので、その間だけは交流が途絶えてました。
2,3年前から又I氏のお宅にお邪魔するようになり春のワラビ、秋は干し柿を届けるようになってました。
去年の12月に干し柿を持って行きましたが、それが最後になりました。


このI氏には本当にお世話になってるのです。
我が家がこの分譲地に越して来た事自体が会社内で噂になった程だそうで
身分不相応と思いながらも、周りは一流企業の管理者ばかり
その中に親からの援助も全い我が家が越して来たのですから
ラッシーパパの同僚達は、やれば出来るんだと勇気が貰えたようです。


ラッシーパパの会社は家を建てると転勤になるというジンクスがあったようで
我が家も船橋に家を建てた3年後に高尾工場に転勤になり
ラッシーパパは4年間ほど独身寮に入り単身赴任してました。
その後4年間ほど単身赴任が続きましたが、次男が小学校に入学の時に八王子に越して来たのです。


その後I氏のお宅には何回かお邪魔してて、どのような経緯か覚えてないのですが
I氏が毎日車で出勤してるので、その時間に合わせラッシーパパがI氏のお宅まで行き
会社に同乗させて貰っていたのです。
I氏も奥様も感じが良くて嫌な顔をしなかったので出来たのだと思いますが
30代の若夫婦だったからで来た事で、今思うと冷や汗ものです
2年間位、続いたでしょうか。


会社の同僚達も何故ラッシーパパが毎日、お偉い方の車に乗って来るのか不思議だったようですが
お陰でラッシーパパは、お偉い方に可愛がって貰ってるとの見方で得した事が多かったようです。
このI氏、通研の研究者で工学博士で凄い方です。
途中からラッシーパパの会社に来て研究一筋で
車に乗ってる方なら殆どの方がお世話になってるカーナビのシステムを考案した人です。
↓は通研時代の感謝状だそうです。

 

  

 

↓はカーナビをのシステムを発明し特許を取った時の感謝状です。

 

  

 

I氏もラッシーパパも定年になり退職し、その後は交流が切れそうですが
ラッシーパパは決して恩義を忘れません。
現役時代はどんなに偉くとも退職してしまうと、人も中々訪れないようで
I氏もラッシーパパがお邪魔するのを、とても楽しみにしててくれたようで
今回I氏が亡くなられた事を、この自治会では我が家だけに知らせてくれたそうです。


今迄はラッシーパパ一人で行ってましたが、最後ですので私も一緒に行きました。
お香典などですと先方からのお返しが面倒になるので、お返しが要らない物は・・・
年賀状に干し柿が美味しかったと書いてくれてたので、そうだ干し柿だ!
1時間ほどお邪魔して来ました。


お話しの中にI氏が亡くなる前々日の夕食まで食べ、翌朝具合が悪くなったので病院に連れて行った時に
病院の先生に「延命治療はしない事、痛かったらモルヒネなどを使って痛みを和らげて欲しい」
それだけはっきり告げて、翌々日の10時頃に家族に看取られて旅立ったようで
何と幸せな一生だったのだろうと、綺麗な死にざまに羨ましい程です。
帰りには文旦のお土産を戴いて帰って来ました。

 

 

 

 

 


 

追記

この記事を載せてもいいものか奥様にお訊きしましたら、是非載せて下さいとの事で
写真・祭壇・賞状等全て了解を得て載せています。

 

 

コメント (8)
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