きのうから「書き初め」というわけではありませんが、
いろいろと「書く」仕事を始めています。
年末に取材で出掛けたので、その整理を早めにしないと
後の仕事にも支障が発生してくる次第。
で、ちょうど「歴史民俗博物館」の発行誌をめくっていたら
数少ない住宅建築関連の誌面が目に入ってきた。
住宅はものすごく大きな人間領域なんだけれど、
なかなか生活分析的な研究にお目にかかれない部分があります。
また、逆にあまりにも専門化しすぎて、
枝葉末節の論議に落ち込んで、
人間生活にとっての必要性とか、社会性からの素朴な目線が少ない。
そういう意味では、「民俗学」からの視点というのが面白い。
わたしは専門外だったので建築の歴史っていうのは、
あんまり学ぶことがありませんでしたが、そういう人間にもわかりやすい。
日本の建築学って、明治初年から伝統的日本建築のことを顧みず
ひたすら鉄筋コンクリート信仰に染まってきたと思われます。
ある東大の先生から、
「住宅の研究なんて言うのは婦女子のやることだ」
という言葉まで聞いたことがあります。
学問としての「建築」領域は「国家を建設する」というのが
基本的な任務事項であって、どちらかといえば、
民衆の生活環境の向上というような視点はあまり顧みられなかった。
日本の住宅の歴史、と言ってもそれは基本的に木造であり、
国家利益にとっては、あまり役に立たないと思ってきたのでしょうか?
おっと、脱線してしまう。
写真は、法然さんの「出文机」という読書コーナーと、
そういう機能を発展させたと言われている「書院」の初見である
銀閣の「東求堂」四畳半書院・同仁斎ということです。
書院造り、というのはこのような
男の書斎空間を建築意匠的に発展させた「スタイル」なのだそうです。
座った高さ位置で書物を読みふけるのに
障子越しの外光が一杯にあふれる機能的な空間ですね。
こういった空間は、社会の知識層にとっての知的欲求を満たすものとして
きわめて文化的要因で発生したことが読み取れる。
書院造りという住宅形式文化はそのようなものだったのですね。
お隣の韓国ではもっとハッキリしていて
高級住宅では、アンチェという生命維持装置的な女性主導空間に対して
女性が入ってはいけない神聖空間として
7才を超えた男子が自分を磨くために
サランチェという別空間が家の中に様式化されていたそうです。
朱子学が社会の隅々まで入り込んで、
そういった学問的雰囲気が社会に満ちあふれ、
住宅の様式にまでなったということなのだそうです。
まぁもっとも、こういう様式は上流階級だけのものだったでしょうが、
文化として残滓を残し、精神文化的には大きな影響を及ぼしているのでしょう。
住宅って、建築工学的な分析だけでなく、
やはり社会文化的な領域での知恵こそが本来的なのではないか、
そんな印象を抱くものであります。