三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

歴史的な「地形」変動への興味

2015年05月08日 06時15分46秒 | Weblog
きのうから連休が明けて、仕事が再起動であります。
どうも連休ボケのアタマになっていて、ようやく回転しはじめた(笑)。
こういう句読点も大切だと思うのですが、
仕事が始まってみると、ペースが戻って来てうれしい、っていうのは
悲しいサガであるのでしょうか、(笑)。

さて、写真は江戸期の林子平が上梓した北海道と青森県北部の古地図。
この地形そのものは、現代的な地図とは大きく違って
いわば、移動メモのようなもので、「どこからどれくらいかかる」
みたいなことがたくさん書かれている。
正確な地図として意識して表したものではないようです。
しかし、現代のわれわれが経験している「地形認識」と
歴史時代においてその時代人が見ていた地形には、
大きな違いがあるといわれています。
北海道にはいわゆる和人による文化的痕跡、
文字資料といえるものが少ない。
「歴史」というのは、基本的に信頼するに足る「文字資料」が
基底に存在して初めて成り立つもの。
日本史のあけぼのにしても、魏志倭人伝という中国王朝の記録に
依拠しているわけです。倭国の位置についても
どうも古地図的な解析が必要なのではと思っています。
わたしは、自分の住んでいる札幌について
その歴史的経緯をもっと知りたい、先人の知恵にもっと学びたい
と長きにわたっての願望を持っているのですが、
考古的知見としてはこの地は「石狩低地」と呼ばれてきた一帯だそうで、
いまの苫小牧から石狩市にかけての平野部分は、
少なくとも20万年以前には広大な海であったとされています。
それはいいのですが、たとえば札幌についても、
たくさんの沼沢があった地域で、小さいときに遊んでいた北大や
植物園にも、そういった地形痕跡があった記憶がある。
それとアイヌの人たちの移動手段としてのカヌーなどの交通を考えると
いつ頃まで、太平洋側苫小牧周辺から札幌地方まで
「水運」移動が可能であったのか、が知りたい。

っていうような妄想から、逃れられずにおります。
どうもまだまだ、連休ボケのようで申し訳ありません(笑)。


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