ときどき東京に行くと、うらやましくって、悶えてしまうようなことがあります。
上野の国立博物館に行くと、その思いが強く感じられますね。
今回も時間を縫って、いま開催中の「仏像展」を見て参りました。
というか、あんまり予備知識はなかったのですが、
だいたい、ここでの展示に外れはあり得ないので、楽しんで参りました。
いやぁ、こんな展示会を企画したり、調査したりする仕事って、
いいよなぁ、と心の底から、羨望の思いを強く持ちましたね。
さすが、「国立博物館」なので、予算もしっかりあるのだろうし、
展示に協力を依頼する場合も、たぶん、ノープロブレムでオッケーしてもらえるだろうし、
などなど、企画屋の部分で、興奮するようなイベントの仕掛けです。
日本の仏像というテーマに絞って、歴史的に意味の高い作品を
ほぼ網羅してしまえるんですね。
そういうことで、観に行く人たちにとっては満足感の高い展示を構成できる。
日本の仏像って、仏教以前の自然信仰、霊力を感じるような一本の樹木から
「一木彫」というかたちで造形されるのが圧倒的だと言うことです。
他の国のように、石を使ったりすることは少ないのだそうですね。
さまざまな歴史的経緯をたどるような展示になっていて、
日本人と宗教体験、というわたしのいまの大きな興味分野について
たいへん強い、示唆性を与えてくれたような気がしました。
国家の権力維持や、民衆圧伏のための精神的な道具として
大陸先進文化から輸入されてきた流れ。
さらにそれがこの列島社会のなかで、
古来からの自然崇拝と習合しながら、独自の発展を遂げていく様子。
さらには、江戸期の民衆のなかに飛び込んでいった円空と木喰の
味わい深い、民間信仰の世界の展示など、
ふかく心が打ちのめされるような、印象を持ちました。
日本畸人伝、という江戸期に出版された冊子に挿絵入りで
紹介されている円空のイラストなんて、小品ながら、
まさにいまそこに、円空そのひとの実在を感じさせるようなリアリティを
こちら側に伝えてくれます。
柔和にほほえみかけてくる、木喰上人の仏像作品の数々からのメッセージを
受け止めていると、時間をまったく超越して、
ものをつくっていく情熱や、人間が生き抜こうとする力としての信仰の世界を
まじまじと感じてしまいました。
いいですよね、東京の人は。
こんな展示に、毎日でも触れることが出来るんですよね。
そんな思いをしていて、なにげに常設の展示の方を見ていたら、
なんと、縄文日本の最高傑作芸術・遮光土偶が目に飛び込んできました!
こんな日本民族の宝物が、まじまじと現物展示されているんですよ!
はぁ、と、深く思い至りました。
やっぱ、東京は恵まれすぎている・・・、かないません、と。
みなさん、こういう文化の不公平感って、感じる方がおかしいのでしょうかね。
写真は、撮影可能だった一木彫りの製作工程展示です。
きちんと撮影の確認を撮ってからデジカメで撮ってきたものです。
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