建物の右手は客間です。
離れのようになっていて、賓客をもてなす部屋。
琉球王朝からの、いわば官吏を接待するために使われたようです。
1部屋は6畳ずつになっていて、2間あります。
この中村家は創建当初こそ、武士階級の居宅であったのですが
最初に触れた初代当主が仕えていた護佐丸という武将の没落に伴って
一家離散し、その後ようやくの思いで家が再興したという家系の歴史を持っています。
ですから、再興後は大農家、床屋的な存在だったようです。
江戸幕府時代、農家には6畳以上の和室が認められなかったそうで、
1室あたり、その広さ以内になっています。
ただし、板の間があったりして十分に広々としていて、
実質的にはかなりの富裕さを誇った家だったと思われます。
客間からは床の間を背にして、左手に塀、
背面・および右手は土留め石がぐるっと回されています。
台風などの風の被害から内部を守るように、保護されているのですね。
石積みの堅固な壁で囲まれた、安心感に満ちたここちよさがこの家の特徴。
それでいて、中庭は青天井の土間、みたいな空間ですから
いわば「中の外」的な、中間的な領域が広がっています。
強い南国の日射しをさえぎるために、大屋根がその庇をゆったり伸ばしています。
こういういわば外界への堅固さと、内部的な開放性というのが
沖縄住宅の特徴といえるでしょうね。
いろいろと写真を撮ってみるのですが、どう撮ってもなかなかにプロポーションがいい。
限られた材料を工夫しながら、完成しきった形に収まっています。
簡素ながら、こりゃぁ、きっとすみごこちのいい家だったこと
疑いありませんね。
折から、なぜか修学旅行風の女子高生さんたちがたくさんいたので
ゴロッと、横になったりとか、したくてもできませんでしたが
こういう空間で、沖縄の季節の移ろい、時間の経過をじっくり味わってみたい
という気持ちが強くなってくる家です。
きっとそういう気持ちが、住んでいたひとたちにも強くあって
愛着を強く起こさせたのが、この家が存続してきた大きな部分だったのでしょう。
できれば1日、寝起きしてみたい家ですね。
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