三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

幾春別、という地名

2011年01月21日 07時53分00秒 | Weblog





このタイトル、みなさん読めるでしょうか?
きのうもこの文字を書いたのですが、
わたしはずっと前から知っているので、
なんどかパソコンでも書いたことがある地名。
幾春別、と書いて「いくしゅんべつ」というふうに読みます。
北海道空知郡三笠市の一地名です。
きのう書いたとおり、石炭が産出して
炭坑が開かれ、一時は多くの人が住みついた集落だった。

わたしの母親は、この付近の生まれで、
聞くともなく聞かされた言葉の端に、この幾春別という地名が
散りばめられていた。
幼い頃、この地名を母の口から聞いていたとき、
なんというステキな語感の町なのだろうと
まるで宮沢賢治の小説のなかの地名のように感じて
ロマンチックな思いを抱いていた記憶があります。
やがてそれが、アイヌ語に起源を持ち、
「イク・シュン・ペツ」というように分節されて
意味をなしているというところまでは、わかっているのですが、
しかし、それ以上に語感のすばらしさに酔っていた自分がいます。
そしてそれと同等の思いとして、
その読みに、「幾春別」という漢字を当てたセンスに打たれます。
いくつもの春の別れ、っていうように意味をなしたとき、
もうそれだけで一編の詩のごときものではないか。
明治の開拓期に、この地を開拓した人たちが
アイヌの人々に地名を問い、
答えられたコトバに、このような韻のある字を当てたものでしょう。
いまとなっては、その地名を書いた人の名もわからないのでしょうが、
いつもこの地名を口ずさむ度、
ある熱さを感じている自分がおります。

この近くには芦別があり、
そこ出身の建築家・石出和博さんの集落地名「野花南」もすばらしい。
こう書いて、「のかなん」という風に読む。
どう考えてみても、フランスの綺麗な田舎を想像できるような語感。
そして、当てた字もすばらしい。
野の花の南、なんとも物語性が一気に情景として浮かんでくる。
明治の人たちの感受性の美しさに深く打たれる思いがします。

遙かな後年になって、
昭和の札幌オリンピックの頃に開通した地下鉄駅に
「平岸霊園」という駅名がありました。
札幌市営だったので、命名者は札幌市の交通局あたりなのでしょうが
こういう名前を平気で付けて疑問とも感じなかったひとがいたのですね。
札幌の人間として、ひそかに恥と感じていたものです。
その後、住民からの苦情からか、
「南平岸」と名称変更になったのですが、
日本人の言語感覚の鈍磨ぶりは、
時代とともに激しくなっていっているものかも知れません。
明治初年の頃、この地域で義務教育はそれほど普及していたのかどうか、
はるかに教育レベルが上がり、そこそこの教育も受けた人間が
名付けたに違いないのに、
この彼我の落差は、いったいなんなのでしょうか?
やや、進歩と教育の方向性に、不安な気持ちが湧いてきます。
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幾春別・炭坑住宅

2011年01月20日 06時35分53秒 | Weblog





昨年から何回か、札幌ー富良野の間を往復して
その道すがら、いつも気になっていた建物があります。
写真なんですが、三笠市から山道に入る直前の集落・幾春別にある建物。
四季折々にその表情を見てきて
やはり強く気になってくる。
ということで、今回ついに写真に収めてみた次第です。
川の畔で、背景に山地が迫っているという
そういった配置だけでも物語性が感じられ、
さらに、規則的な三角屋根の同一形状のプロポーションが、
心に迫ってくる。
炭坑住宅。

北海道の経済は、基本的に資源収奪型の植民地的構造。
江戸期、あるいはその以前から
日本経済圏からの資源収奪が行われてきたと言える。
江戸期にはにしんなどの木綿生産のための金肥出荷基地。
そして、石炭が発見されてからは
本州大手資本による利権独占を経て
炭坑発掘がメインになった。
そうした作業労働力として、
全国から農家の次男三男層が集められ、集合して住んだ。
産炭地と呼ばれる地域で、こうした集合住宅がたくさん建てられ、
そして、どんどん捨て去られていっている。
そういったなかで、この幾春別地域では、
この炭坑住宅に人の暮らしが感じられています。
建物は、人が住んでいるとそこそこに表情が出てくる。
どんな風に暮らしているんだろうか、と
興味が湧いてきて、つい訪問したくなるような雰囲気が醸し出される。
北海道には、いわゆる歴史を感じさせるような建物は少ないといわれる。
でも、この炭坑住宅群は、確実に歴史そのもの。
ひとのくらしって、留めておくっていうことはできない。
写真で伝えたり、ドキュメンタリーとかで残すっていうことはあるけれど、
空気感とか、人間くさいたたずまいとかは
やはり、住み続けることでしか作り出せない世界。
この写真でいえば、雪かきしてあって、
家としての機能を果たしている様子などが
遠景であっても、見えてくるような部分がある。
で、人間は「いごこち」とか、「住み心地」のようなものを
想像するなかで、感受する心が育ってくる。

現代、まだこんな住宅での営みがあるということに
残っているウチに、ピンナップする必要があるのかも知れませんね。
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倉本聰インタビュー

2011年01月19日 07時44分14秒 | Weblog




ようやく一件落着であります。
今回のReplanの目玉企画として取り組んだのが、
倉本聰さんのインタビュー企画。
お忙しいなか、時間を割いていただき、
「住宅」という、氏の主要な活動領域とは言えない分野から
お話を伺う、というものだったので、
アプローチ手法その他、いろいろ試行錯誤しながら
なんとか、ある一定の手応えもあったと思っています。
この模様は、Replan関東版などで発表していきたいと思います。
2月26日発売予定ですので、どうぞお見逃しなく。

さて、ここんところの降雪の異常ぶり。
っていうか、これくらいが平年並みなのに
しばらく「温暖化」に慣れてしまって、
わたしたちの感覚の側でなまってしまっているのでしょうか。
きのうは朝4時起きで用意支度をして
6時には札幌を出発。
天候の方は、天気予報はまったくアテにならないので、
直感力を研ぎ澄ませて、「うん、大丈夫だろう」と思っていたとおり
朝一番で高速道路運行状況を確認したら
あの「岩見沢」周辺を含めて道央道は全線通行可能表示。
「やった!」っていうところであります。
最悪を考慮して、行きに4時間行程を覚悟していたのですが
まったく問題なく、途中高速パーキング休息を含めて2時間ほどで楽々到着。
早すぎたので、新富良野プリンスホテルでしばし休息。

取材終了後、食事して
直行で帰ってきましたが、それも2時間で札幌到着。
神様のお天気の運用に深く感謝の念を思いました。
さてこれからも取材などの日程が重なってきます。
しばらくは天気予報と道路交通状況から目を離すことが出来ない
北海道の住宅雑誌編集作業であります。
(写真は、富良野演劇工場のロビーの様子)
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富良野で観劇、感激

2011年01月18日 04時46分51秒 | Weblog





本日は、富良野で倉本聰さんにインタビューであります。
前日入りも考えたのですが、仕事も山積しているし、
そう簡単には行けない、
第一、きのうは終日道央道が岩見沢まで通行止め。
いったい、いつになったら岩見沢周辺の通行止めは解消されるのか
ほぼ連日、高速は通行止めが続いています。
本日、現在朝起きた4時半に見たら、ようやく開通。
きのうも札幌、この冬一番ではないかという降りっぷり。
朝に雪かきしていたのですが、
午後9時半過ぎに帰ったら、自宅は積雪20cmくらいの感じ。
ことしで一番手応えのある雪かきでした。
あぁ、もう雪の話題はいやなんですが、
どうしても触れざるを得ない。勘弁して欲しいところですね。
あ~、カラダが痛くなってきています。イテテ。

で、本日は倉本聰さんの富良野GROUP公演について。
お誘いを受けて、これは一度は見なければ、ということで
重い腰を上げてみた次第です。
「マロース」というお芝居。
鳥インフルエンザと環境汚染問題、鳥の大量虐殺などの
テーマで、人間と自然との対話を描いた作品です。
「街でいい表情の人にあったら、そのひとはいい芝居を見た帰りだ」
っていう言葉があるのだそうですが、
観劇後の印象はまさにそのもの。
クライマックスに向かって、こころの浄化作用がどんどん深まっていく感じ。
じーんと来て、軽く涙が出てきます。
人間愛が底流にあって、それが吹き出すように表出する。
たいへん楽しい演劇でした。
ぜひ機会があれば、みなさんご覧ください。

で、倉本さん、公演終了後、
ロビーの奥で、来場者のみなさんと気軽にお話ししている。
わたしも、並んでみたら、なんとほとんど最後尾。
劇場の中で余韻にひたっていたので、最後になったようなんです。
きょうのインタビューのこともお話しして、
パンフレットにサインまでしてもらいました(笑)。
ちょっと恥ずかしいけれど、うれしかった。

北海道は、倉本聰さんにほんとうに感謝する必要がありますね。
経緯はいろいろあったようですが、
富良野に居を構え、すばらしい情報発信力で
地域のプライドになっていってくれた。
地域に咲いた、楽しい文化活動の芽を共有の資産として
大いに生かし、育てていかなければならないと思いますね。
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バス見学会イベント

2011年01月17日 08時01分14秒 | Weblog





きのうはReplanの「北のくらしデザインセンター」イベント。
ことし初めての建築家住宅バス見学会と、トークショー、
ショールーム見学と盛りだくさんの内容。
とにかくこの時期なので、天候の心配をずっとしておりました。
参加人数は、当日風邪引き他で欠席者が2名でしたが、実質で
15組で大人23人子どもさん7~8人。
遠くは砂川から参加の方もいて、猛吹雪をついて参加いただけ感激しました。
今回は10時集合でショールームの見学をまずぐるっとしたあと、
11時から住宅見学を2件。午前1件、午後1件ですね。
で、帰ってきた後、見学していただいた住宅の設計者を囲んでの
わたし司会のトークショー。
今回はなるべく技術的専門的なお話しに深入りしないように、
建て主さんの視線を大事に考えながら進行してみました。
結局、技術の問題はユーザーにとってはどうでもいいことであり、
本当は「幸せになる」ことを目的に住宅を建てるのですよね。
その幸せにこだわって、どんな家づくりがそれにふさわしいのか、と考える
そういった契機になれば、わたしたちのイベントの意味はあるのだと思います。
現実に住んでいる住宅というのは、
そういう意味を知らせてくれたり、
あるいは、そういう意味合いを感受させてくれるのが最大ポイント。
それぞれに実現した幸せや、家族の笑顔を
それを受け止める側に感じて欲しいのですね。

幸いにして、きのうは
なんとか把握可能な人数であり、
それぞれのご家族のみなさんの状況などを感じることも出来ました。
そういったみなさんの「幸せになる」夢の実現を
どういう形ではあれ、お役に立てるということがわたしたちの役目。
それは情報提供であったり、
ご相談に乗ることであったりするのだと思います。
見学先の建て主さんも、北のくらしデザインセンターでの
家づくりで建てられたひとたち。
いろいろな意味で、こうした経験者の声も
多くに参加者のみなさんに伝わったのではないかと思います。
大変感謝申し上げます。

ということで、なんとか嵐のような週末が終えられまして、
ややお疲れモードの朝を迎えております(笑)。
そのうえ、カミさんから夕べ、
「パソコン、立ち上がらなくなった(泣)」という哀願。
「わかった、パソコン持ってきておいて」としゃべってそのまま、爆睡。
で、今朝チェックしたら、案の定、ごく簡単なトラブル(笑)。
ややほっとしている週の初めであります。
と思ったら、また積雪ですね。ふ~~~~む。
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往復8時間観劇ツアー

2011年01月16日 05時58分09秒 | Weblog

いやぁ、観劇しました。
カミさんもわたしも学生時代、少し演劇にからんだ経験があり、
お芝居を観るのは好きなんですが、
そうはいっても、仕事仕事の毎日で
なかなかそういう雰囲気ではない。
今回は、お誘いをいただいたので、腰を上げてみる気になった次第。
倉本聰さん作の「マロース」であります。
本当に、こういうふうに背中を押されるというのはありがたいですね。

なんですが、劇場は富良野。
きのうも書きましたが、移動をどうするか?
坊主のこともあり、夫婦で前の日から富良野に行くわけには行かない。
第一、仕事が山ほどたまっている。
現に、クルマで移動中もあちこちケータイで電話連絡して
一仕事終わらせることが出来たほど。
でもまぁ、わたしはずっと運転をするので、道路状況が気になり続けている。
きのうのルート選択、結局は最短ルートを選択。
なんですが、朝方札幌は晴天なのに、
岩見沢・江別という一帯がたいへんな猛吹雪状態だったのですね。
で、高速で差し掛かった午前11時頃でも、まだ
江別東~岩見沢が通行止め。
やむなく、国道に変更ですが、豪雪地帯の狭くなった道なので
首都圏の渋滞並みに時間が掛かる。
結局、15kmほど移動に1時間以上掛かってしまった。
で、岩見沢からふたたび高速に乗って三笠で下りて
そこから富良野への山道を走り抜けて、なんとか、3時間ほどで
富良野には到着いたしました。

感激いたしました。
お芝居のことは、また別の日に書きます。

で、帰りであります。
時々刻々変化する道路状況をケータイで確認しながら、
あれこれ迷った末に、結局は来たルートを素直にバック。
富良野から三笠の山間部は、多少積雪でのわだちなどがあって、
ハンドルが取られ気味ではありましたが、
なんとか無事に1時間半ほどで帰り着きましたが、
高速は札幌まで通行止め。その後、札幌市内も通行止めという状況。
で、降雪の状況は時を追って激しくなるばかり。
国道12号線に三笠付近から合流して、江別市内で275にチェンジしたのですが、
まぁ、まことに北海道のこの時期らしい雪の降りっぷり。
すごいというか、豪快というか、
もう楽しくなってくるほどの気持ちよい降り方です。
写真は降雪の中、ノロノロ運転、停車時に撮影。
すごい雪だったのですが、細かい雪だったので明瞭ではありませんね。
結局、ノロノロ運転の12号線から、痛快一気の275号線というコントラストで、
出発4時半、到着9時半という5時間走行で札幌帰着。
往復距離は250kmくらいなんですけど、まぁしょがないですね。
なんですが、本日はデザインセンターのイベントであります。
その準備など、いろいろ細々した段取り仕事、盛りだくさん。
ということで、大疲れにて爆睡したあと、
本日4時前起きで、除雪雪かきその他諸々、作業中であります。
これから、用意して7時半には家を出る予定。
ではでは、がんばります。
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さてどっち?

2011年01月15日 08時47分11秒 | Weblog






さて、本日から倉本聰さんの富良野GROUP公演
「マロース」
作・演出/倉本 聰
出  演/富良野GROUP
が行われておりまして、来週の取材の下見もあって
朝から富良野に行こうと思っております。
で、朝早くから銭函での用事を片付けて
これから出発するのですが、
銭函からの帰り道、晴天の道路標識に「え、なにそれ」です。
綺麗な星空が札幌市西部~銭函周辺では見えているのに
「岩見沢~札幌JC吹雪通行止め」表示。
マジかよ、っていうところ。
きのうは富良野に電話していたら、札幌の大雪をお見舞いいただきましたが
まったく油断できない冬の交通路状況であります。
札幌市内は、排雪が間に合わないので
道路幅員が大変狭い状況、通常2車線が1車線になっている状況ですが、
都市間の道路状況も予断を許しませんね。
ということで、富良野への道を考えていました。
上のルートは通常で、約130km程度。時間表示は2時間ちょっと。
高速を「三笠」で下りて山間部を通る道です。
この場合、現在状況では高速の、江別東~岩見沢区間を一般道に下りて
ふたたび岩見沢から乗って行くというわけです。
下は、大回りで、夕張方面にいったん向かって、
そこから真北方向に富良野に向かうルート。
約185kmとかで、3時間半くらいと書いてある。

今日の天気状況では、
一番問題なのは、岩見沢周辺のようで、
この状況判断が難しいところです。
さてどっちにするかなぁ?
と悩みつつ、出発の時間が迫って参りました。
むむむ。
楽しい悩みどころ満載(笑)で、北海道の冬、真っ盛りです。
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兄の執筆原稿

2011年01月14日 06時28分51秒 | Weblog






きのう夕方の超忙しい時間帯に、
久しぶりの懐かしい声が階下でして、
「あれ、どっかで聞いたことがある声だなぁ」と思ったら、
しばらくぶりに顔を見た次兄。
わたし、兄弟が多くて兄が4人に姉が1人おります。
末っ子なんですね、わたし。
で、わたし以外の兄弟は、父が創業した食品製造業をやっております。
もやしや、豆腐油揚げといった「日配」食品といわれるものを
工場生産して、流通におろしている仕事です。
末っ子のわたしだけは、まったくの畑違いの仕事を始めて
今日に至っております。

で、正月にも忙しくしていて、特段、顔を見たりもしなかったので、
坊主にお年玉をいただいたのですね。わざわざ届けてくれた。
ありがたいお話しです。
で、話を聞いたら、なんと今度執筆した原稿が出版されるのだということ。
なんでも、仕事の関係で食品関係の補助金事業を受託したことがあり、
その関係から筑波大学の先生と交友関係があって
豆腐油揚げ製造業者としての立場から執筆を依頼されたと言うこと。
次兄は、兄弟の中でもわたしと似たところがあって、
無類の歴史好きです。
わが家の家系の調査活動を一生懸命やってくれまして、
わたしの知識世界もずいぶんと広げてくれました。
本当に肉親というのは、ありがたいものだなぁと常日頃、感謝しております。
で、書いた文章を持ってきてくれまして、
読ませてもらった次第。
面白い。
まぁ、身内を持ち上げてもあんまり意味はないのですが、
なかなかにいい文章で、出版がいまから楽しみです(4月に出版とか)。
出版社名や、本のタイトルなど、詳細がわかりましたら、
このブログでも宣伝したいと思います(笑)。

最近は、高齢化社会の進行で
「歴史」ブームが起こってきています。
これは必然であって、日本をよく知りたい、という知識欲求は
盛んになっていくものだと思います。
そういう意味では、すばらしい「成長産業分野」。
いろいろな取り組みが今後、出てくるモノと考えられます。
っていうようなことで、しばしの歓談を楽しんだ次第。

一方で、カミさんは奥で電話連絡その他、超多忙イソガシイソガシ、モード。
名残惜しいところではありますが、
早々に、わたしも業務と家事に追い立てられておりました。ふ~~。
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ホワイトアウト

2011年01月13日 07時42分22秒 | Weblog






関東以南、太平洋側のみなさんへの画像プレゼントです(笑)。
まぁ、こりずにことしの雪、降り続けておりますね。
年が明けて、取材やらなにやらで、スタッフの移動が多くなっています。
きのうは、カミさんが東京出張から帰還。
夕方までは札幌、あんまり降雪はなく、比較的に平穏な天候でしたので
荷物も多いということで千歳まで迎えに行くことに。
ところが、迎えに出るその直前になって、突如の大降雪。
雪の結晶の大きさも半端ではない。
夏場にはわたしのところから千歳まではおおむね1時間見ておけばまず問題ない。
なので、1時間半用心で見ていたのですが、
ありゃりゃ、っていう展開であります。
高速の入り口まで、約4kmくらいの距離なんですが、
そこにいくまでが、風のないホワイトアウト状態。
普通、ホワイトアウトという雪での視界不良状態は吹雪を伴っているのですが、
きのうの場合は、あんまり風がないのに見えにくくなってしまった。
時間降雪量が激しかったのではないでしょうか。
普通10分もあれば高速入り口なんですが、40分以上掛かってしまいまして、
そのうえ、これだけの降雪でたぶん、高速は通行止めを覚悟して
そうなったら、ケータイに伝言して
「行けないから、電車で自力で帰ってきて」コールをしようと思っておりました。
とにかく、ほんの10m動いてはストップ、という状態なので
しゃぁない、とこんな写真を撮っておりました。

ところが、抜け道がラッキーなことにスムーズに走れて、高速入り口に近づくと
にわかに走りが順調になって参りまして、
入り口でも、「50km規制」案内程度で、走行できる。
キツネにつままれたような思いで走り始めて、なんと、そこから40分ほど
夏場並みの時間で千歳に到着。
どうやら、札幌のそれもわが家・事務所周辺の西区一帯直撃だったのか、
まことに、ところ変われば、という言葉通り。
でもまぁ、帰ってきたらやっぱりウソでもなんでもなく大雪だったので、
家周辺、事務所周辺雪かきをたっぷりさせられたのは言うまでもありません。
朝起きても、やっぱりまた雪が降っておりまして
けさもたっぷりの雪かきを致しました。
そろそろ、体力勝負の冬本番、北海道の2011年であります。

新千歳ではたくさんのひとに会いまして
さすがに、年が明けて、いろいろな物事が動き始めてきている実感ですね。
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モバイル通信環境

2011年01月12日 05時47分30秒 | Weblog





ちょっと必要に迫られて、スタッフのモバイル通信環境を構築しました。
っていっても、ほんの2週間程度なので、
本格的に構築するのもお金がかかるしなぁ、
と考えていて思い出したのが、契約しているAirEDGEであります。
最近は外出先でも、無線LANの環境が整ってきたので
たとえば空港なんかでも、あんまりお世話になることがない。
あとはホテルに入ればおおむねLAN環境でインターネットが使えるので
仕事にはあんまり支障がない。
ということで、最近、ほとんど使っていなかったのですね。
でもまぁ、契約はしているのを思い出した。
っていうことで、写真の端末を探し出して来たけれど、
さて、本体を認識させるには付属してきたパッケージの中のCDから
ソフトをインストールしなければならない。
・・・ない。
まぁ、無理もないですね、もう何年前だったのか?
どこを探せばいいか、皆目見当もつかない(笑)。
たいていの中小零細事業所の現実はこんなものでしょうね。
っていうか、単純にわたしの能力に整理保管という部分が備わっていない。

なんですが、
やはりそういうずぼらな人向けに、インターネットHPがある。
通信キャリアのサポートにフリーダイヤルで電話したら、
HPの場所を特定してナビしてくれました。
で、ダウンロードしてインストール。
さぁこれで、という次第ですが、
今度は、プロバイダーとの契約内容もすっかり忘れている。
万が一の時のことを考えて、この契約を残しておいているのですが、
そうなると、人間、どんどん忘れていくのは早い。
ようやく書き留めておいた設定ペーパーを探し出した・・・。

インターネットも出現から20年近いと思います。
インフラもずいぶん変わってきたので、
みなさん、通信環境も変化してきている。
記憶というのは、どうもパソコンを使い始めてから、摩耗しているのではないでしょうかね。
これからも変化は不変、という原則からすると変わっていくでしょうが、
ユーザー側でも、ついていくのは骨が折れるなぁと実感させられます。
まぁなんとか、無事、短期間の通信環境が確保出来た次第。
そのせいか、どうか、
どうも昨晩から頭頂部に頭痛感があります。むむむ、イテテ・・・。
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