三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【わが家に春到来 積雪深ついにゼロ】

2017年04月10日 06時56分30秒 | Weblog


ややカラダのあちこちから悲鳴が(笑)。
固い岩盤雪氷の体力勝負での解体撤去、諦めていたのですが、
その後、気温上昇とともにどんどんと消えていってくれて
駐車場の一部、ほとんど日射のない箇所約5m×4m程度になっておりました。
そうやって迎えた週末、一気呵成に全部を解体処理。
最大厚み箇所では30-40cmだった雪氷がごらんのような姿に変容し、
いまは、お日様のやわらかい日射にここちよさそうな晩年を迎えている。

この固い岩盤雪氷を割るのには、
垂直に振り下ろすツルハシが適材なのですが、
やはり割るには、最後腰から背中にかけての筋肉の力がこもる。
石を割るにも「スジ」があると言われるようなのと似ている。
20㎡という面積を10cm四方程度の氷に割り砕き、なお、
それらの残骸物を移動撤去させていくには、
それ相当の筋肉運動量と反発力吸収が必要なのです。
それが蓄積疲労となって、悲鳴に似た叫び声がカラダに積層する。
まぁ別に放置して、温度上昇にだけ任せる手もあるのですが、
お日様の加勢が得られるようになると、自然、そうしたくなる。
よせばいいのに、なんですが、ついやってしまう。
結局、北国で戸建て住宅を維持するには、
こういった体力勝負のところを超えなければならない。
人それぞれではあるのですが、北国人にはおおむねこういう心情がある。
この達成感(笑)は、やはりうれしい。

これで一段落付いたので、
これから春のいろいろなスタートに心が向かっていきます。
そろそろ早朝の散歩にもさざめいてくる。
クルマのタイヤの履き替えで、軽やかになるのもうれしい。
再生、更新っていうような春の気分が一気に高まりますね。
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【北海道人のニッポン=「内地」意識】

2017年04月09日 06時38分24秒 | Weblog
いまでも北海道でふつうに使われる地域認識に「内地」というものがある。
言うまでもなく、北海道や沖縄で本州方面に対しての地域呼称。
歴史的に日本国家に統合されてきた時間の違いによる経緯から、
こういった言い方が存在し、その残滓がいまも残っている。
Wikipediaでは以下のように結論されている。
〜北海道や沖縄は、近世より次第に本州勢力の直接統治下におかれ、
近代になって、完全な形で日本国家の支配下に入った地域である点では、
法的な「外地」と共通する面を持つ。住民意識としてもそれが反映されており、
北海道や沖縄の住民が「内地」という用語を用いるのは、
法的な位置づけの面では事実と反しているが、
歴史的経緯としてはそれなりの理由がある。〜
別にわたしは日本からの独立や離脱を志向する立場ではありません(笑)。
国際環境の中で自由主義の旗手としてこの国の存在は重要だと思います。
そして誇るべき文化社会だとも当然、思っています。
しかし、こと住宅文化についてはかなり違いを意識せざるを得ない。
構法としては在来木造構法という柱・梁による架構を日本社会から
その基本的な技術・建築工法として受け継ぎながら、
しかし、そのままでは寒冷を克服する高断熱高気密工法は確立できず、
多くの知見を世界の寒冷地域の住宅技術と協働開発してきた。
結果としての住宅性能品質は、地域総体として進化し、
冬期の住宅内環境に於いて総体的に、「内地」とは隔絶している。
いま現在、北海道ではもっとも多く省エネ基準レベル住宅が建っている。
伝統的建築が多いヨーロッパと比較してもきっと多いと思われる。
Q値1.6という、設定当時としては先端的と言えた住宅性能レベルを
備えた家を、ごくふつうに一般的工務店が建て続けている。
そういう住宅が「特殊」である「内地」とは、意識に於いて違いがある。
そういった意味では日本の伝統を大幅に革新して
世界標準により近い住宅工法に進化してきたし、
そのような必要認識を地域の人間は、常に実感し共有し続けてきた。

そんな認識からか、「内地」への思いはふるさとを思う気持ちに近い。
気候風土的に北海道はドライで乾燥していて、
あの蒸暑の夏を持つニッポン独特な「濃い」情念文化に違いも感じつつ、
けれど強く惹かれる思いも持っている。
やはりなかばは「外国」というように思えているのかも知れない。
自分たちの文化性としてのまゆ、ルーツであるけれど、
そこから離脱せざるを得なかった生活・住宅文化の時間積層感覚がある。
北海道島に移住してきた世代から、わたしのように第3世代くらいまで
時間の積層は進んできて、たぶん世代間でも
ニッポンを「内地」と呼ぶその気分には質的な違いはあるのだろうけれど、
そのような異質感の心理は共有していると思う。
この国の一地方ではあるけれど、こういった心理を持ちながら、
北海道の人間はいるように思っています。みなさんいかがでしょうか?
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【遠くへ行きたい、ニッポンで】

2017年04月08日 08時13分24秒 | Weblog
わたしは少年期の時から、ずっと南方への憧れをカラダに焼き付けてきました。
わが家は札幌市の幹線道路である「石山道路」に面して建っていて、
その道を通って小学校・中学校に通ったのですが、
通学路は必ず「南下」する方向にあたり、「この道をまっすぐに行くと、
やがて函館に至り、そこから海峡を越えれば温暖なニッポンがある」と
そんな妄想をずっと抱きながら成長していた。
日本は南北に長大な国で、同じ言語が通じる空間世界が
ここから3000km以上にもわたって広がっていることに
踊るような胸の高鳴りを憶えていた。
遠くに行きたい、と思っていたけれど、
寒冷地・北海道ネイティブである人間にとって、
やはりそのルーツの世界であるニッポンに、強く惹かれていた。

そんな自分からすると、まことに「すれ違いの相思相愛」のようなデータ(笑)。
そういう憧れのニッポンでは、北海道が調査開始以来、
「都道府県の魅力度ランキング」で8年連続で不動のナンバーワン。
まぁ、日本という情報空間共同体の中では、
有史以来、北方への領域拡張、国のキワへの憧れがあったのでしょう。
王朝時代の多賀城国府とか宮城野とかの
北方限界への強い民族的思慕の感情が、明治以降、
そのイメージは北海道が地域として相当し続けてきている。
ロマンチズムというのは、人類史的にも根強くひとをとらえて放さない
非常に根源的な想念だそうですが、
どうも日本社会ではこれがメインカレントなのでしょうね。
一方の北方ネイティブのわたしのようなロマンチズムは、ごく少数派。
日本文化の中では、こういう少数派はごくめずらしい存在なのでしょうね。
そういえば、北東北は地域としてシャイなところを感じますが、
北海道というのはあんまりそういった地域に根ざしたような
そういったシャイさはなく、開放感はあるように思います。
東京時代、どんなに言われても北海道の言葉訛りを気にしなかったけれど、
東北のみなさんは訛りを気にされる方が多かった。
まぁこんなデータを見ていて、
少年期以来、日本中を歩き続けていることを思い起こします。
まだ一歩も足を踏み入れていないのは、ほぼ鹿児島県だけ。
あと、鳥取県と山口県もやや怪しいのだけれど、
それぞれの地域への感覚はそれぞれにあって、
そのどれもが、少年期に抱いた思いとラップしてピンナップされている。
このデータで最下位ランクを争っている北関東地域など、
「あんないいところ、なんでさ?」という思いが強い。
たぶん多くのみなさんとはちょっと違う感覚でデータを見ております。
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【パッシブは「大局観」にも通じる知恵】

2017年04月07日 06時53分01秒 | Weblog
ことしはムリな雪割り努力をサボってみますと宣言しましたが、
あの宣言からたったの2日間しか経っていませんが、
写真は、本日早暁の様子と2日前の対比であります。
気温が昨日など10度以上にもなっているので、
自然が自律的に季節を復元する様子がハッキリと表れてくる。
あくせくと片づけなきゃ(アクティブ)、と焦る気持ちをなだめて、
大自然のいとなみに任せる(パッシブ)というのも大切ですね。
エネルギーは有限な時代、さらに高齢化が押し寄せても来るのですから、
人間意識のチェンジが要請されているようにも思う。

最近の大きな社会病理ではないかと思われることに、
非常に社会全体が非寛容に陥っていることがあると思う。
チョット以前の社会であれば、常識的にさして問題にならないようなことが
大騒ぎの対象になっている。ほんのささいなことでも
どうも異常に意図的に拡張しているのではないかと思える。
芸能人が浮気してその「謝罪会見」を公共の面前でテレビカメラの
放列の中で行わせるというくだらないことに、なんの意味があるのか。
サイレントマジョリティの大きな意志よりも、ノイジーマイノリティの騒擾が
全体状況を引っ張っているように思われてならない。
言ってみれば、パッシブな大状況判断よりも、
枝葉末節のことがらにムダにアクティブ対応を迫っているかのようです。
北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返して
国のキワでそういった脅威がいま現に大きな問題になっている最中に
具体的事実経過の乏しい忖度うんぬんの些少な問題で国会が遅滞。
いまや北朝鮮を巡る事態は、アメリカのトランプ政権の対応も臨界点的で
きょうあすでも、米中首脳会談をみたうえで事態が動きうる状況。
トランプは習近平の首を押さえ、北朝鮮軍事制裁を発動する可能性がある。
米国防長官や国務長官がまず第1に極東アジアを訪問したことは、
大きな状況で見れば、そうしたサインと言えるのだと思う。
だからこそまた北朝鮮は狂ったように花火を上げているのだろう。
いまこの段階で、アメリカが武力行使を行った場合、
周辺国としてはどんな飛び火が飛んでくることが予想されるのか、
その備えはほんとうに大丈夫と言えるのだろうか?
ニッポンの国会はあまりにも平和ボケしていると心配です。
こういった国民の安全保障事態に対してこそ、
国会はしっかりと国際的にも意思表示する必要があると思う。
ぜひ起こりうる事態についての真摯な論議をしてほしい。
お隣、韓国では北朝鮮のあからさまな挑発行為の頻発の中で、
なお、容共的で親北的な指導者候補が大統領選挙で優勢なのだとか。
そのこともまた、日米にとってはかなり憂慮すべき国際事態。
当然アメリカ・トランプ政権もそこは睨んでいることは間違いない。
理性的な視点で大状況をしっかりと見つめて、
国民社会の安寧を計ってほしいと願うところ。
ま、ちょっとテーマが飛躍したかも知れませんが、最近思うところです。
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【ニッポン「のど越し」麺文化 つけ麺論争】

2017年04月06日 07時45分44秒 | Weblog
きのう夕食時の家族の会話。
「つけ麺って、温かいスープにつけて食べるよね」
「うん、つけて食べているウチにスープが冷たくなったりするよね」
「そうそう、それで、食べる麺の方も温めて出すのがあるんだって」
「ふーん、そうなると温麺との違いが微妙だね」
「そう、そこでインターネット上では論争があって、
そういう食べ方をするくらいなら、温麺で食べろ、という意見も強い」
「でも、つけ麺本来の食味・醍醐味がそれでは失われる、という反論もある」
っていうような話題であります。
寡聞にして、イタリアのスパゲッティの食べ方についての
国民的論争というような情報にはうといのですが、
日本人の麺嗜好というのは、いま現在でも進化発展ぶりが目覚ましい。
その最先端で、「つけ麺」という文化が盛り上がり、
その進化論の最先端で、この部分に興味が向かっているようなのです。
カミさんはどっちかというと、温麺で食べろ派。
一方、娘とわたしはつけ麺の「のど越し」重視派ではありました。
あ、でもわたしはつけ麺が大好きというわけではなく、
つけ麺という文化の本質はそっちの食味にあるだろうという意味。

わたしは一時期、9年間ほど東京での暮らしも経験しているけれど、
北海道札幌で長く暮らしてきた人間です。
いわゆる「さっぽろラーメン」文化の草創期から、麺文化に浸ってきた。
そばよりも先にラーメンを食べて生きてきたように思います。
はじめてラーメンを食べたときのことをまだ、鮮烈に記憶したりしている。
最近さっぽろで流行っているラーメンというものを家庭でも食べようとなって、
おふくろと姉とが研究して、作ってくれた。
「おお、これがラーメンというものか」という衝撃感があった(笑)。
ご先祖様の記録を調べてみると、
どうも播州のそうめんなどにも関わっていたようです。
多少は先祖で繋がっているかも知れないひとが、元祖なんとかという
そうめんを商っていたりする(笑)。
以来、たくさんの麺文化に触れて生きてきたわけですが、
やはり、この「のど越し」感は、この食文化のキモの様な気がします。
写真は秋田の稲庭うどんを、有名店の佐藤養助で食べたものですが、
うどん文化でも、稲庭のように「のど越し」重視は根強い。
まぁ食文化なので、どれが生き残っていくかというユーザー選択の問題。
この「つけ麺」論争、先行きが面白いかなぁと思っています。
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【岩盤雪割り、ことしはサボり(笑)】

2017年04月05日 06時49分58秒 | Weblog
わが家の駐車場の様子であります。
ブログは自由テーマで書き続けているので、
ときどき日記風に自宅での維持管理ネタを登場させるのですが、
ことしは、雪割り作業さっぱりであります。
どうしてこんなにやる気が起こらないかというと、
ちょっと取り組んでみて,あまりの疲労感でメゲたのです(笑)。
その愚痴を聞いたカミさんが「もうやめなさい」と雪割り禁止令を出した。
わが家は駐車スペースが日の当たらない北向き位置。
この部分は毎年、ハンパない岩盤になってしまう。
雪氷が積層して固化し岩盤状になって強烈なのであります。
なぜかことしは、陽当たりの良し悪しでの融雪の差が激しいと思います。
例年であれば、温度上昇要因の方が陽当たりよりも優先するのか、
ここまで残置することはあんまり記憶にない。
その上、今年の冬はシーズントップの降雪が水分量の多い雪で
わが家の屋根形状には最悪だったようで、
普通はサラサラと徐々に落雪していたのに、そうならずに、
この時期まで屋根に残り、そこから今時期、徐々に落雪してくる。
この場所にはその落雪も集中しているのですね。
そこに持ってきてさらに、ことしは坊主が春休みに帰省してこない!
そういえば、かれの労力は貴重だったと思い起こされる。
父が出掛けている間に、せっせと雪割りしてくれていたことを思い出した。
そもそも父は体力的に相当に衰えが目立ってきて、
若い坊主にわが家は体力的には依存していたようなのであります(笑)。
事実は明白で、かれの不在がこういう事態に繋がっている。

かくなる上はしょうがないので、自然の摂理に委ねるしかない。
体力を温存し、ことしは自然な雪融けを待つ方針に決定。
いまのところまだ、厚さ50cmくらいの雪氷岩盤ですので、
今月いっぱいくらいは掛かるかも知れません(泣)。
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【かまどと囲炉裏は人類の生存維持装置】

2017年04月04日 07時26分14秒 | Weblog


きのうアップした【凍結深度以下で地熱利用だった竪穴住居】に対して
北大の住宅温熱環境の専門である森太郎准教授と
秋田の西方設計・西方里見さんの連続コメント投稿をいただき、
たいへん盛り上がっておりました。
縄文期以来の竪穴住居を人類住居の始原に近いものとして
見直してみるというのが、わたしの投稿意図でした。
現世人類史およそ70,000年のなかで、わたしたちサピエンスは
アフリカを出自として、世界中に拡散していったのですが、
その途中、日本列島付近を通っていったのが、
おおよそ20,000年前ころというように推定されています。
そして、その後この弧状列島地域に残ったひとびとが、
石器時代の狩猟採集生活から、縄文的エコシステムに移行して
海岸線の海生魚類捕獲と照葉樹林帯からのナッツ類採集を基本にした
「定住生活」を営なむ、いわゆる縄文時代が始まったのが13,000年前。
いま読み進めている「サピエンス全史」からでも、
人類定住の最初期に相当するような「定住」と推量可能と思われます。
住宅の過去未来を考えていくときに、
こういった認識を持ち、その先人たちの建築意図を探っていくのは、
「歴史取材」としてわたしのライフテーマみたいに考えています。

そのような探求意図のなかから、
竪穴住居に人類が求めたものを追体験してみたいというのが趣旨。
洞窟住居と同時進行で「竪穴」は人類的普遍性のある住宅建築様式。
地面を深く掘り下げる「竪穴」について、
その「建築環境的意味合い」を「地熱利用」という側面から考えてみた次第。
森先生からは、この地熱利用についてはやや懐疑的なご意見。
ご自分でも竪穴を建てて、実体験もされている森先生からは、
このテーマでよく意見を伺ってもいます。
で、そこに西方さんが大量の古住居写真や図表データなどの投稿。
そこからは古住居を巡っての情報交換が盛り上がった(笑)。
土器の発明は、人類史の中でも相当な「食の革命」だったとされます。
いろんな素材を合わせて食すという
合理的で合健康的な食生活機能進化があった。
日本人の好きな「鍋文化」はこの縄文以来の食文化の残照でしょう。
その土器を定住生活で安定的に使用して行くには
「かまど」がより合理的だと思われ、煙道付きのカッフェルオーフェンとして
ある時期まで北海道島のひとびとの古住居には普遍的に
竪穴住居において装置されていた。
釧路郊外の「北斗遺跡」復元住居では粘土を造作しての「煙道」が
戸外に向けて装置されて竪穴の最大の問題、煙対策も考えられていた。
「かまどと囲炉裏」は不可欠な人類生存維持装置だったと思います。



ところが、北海道中世のアイヌ期、ほぼ800年代くらいから以降では
かれらの住居、竪穴を掘り下げない平地住居・アイヌチセから
食文化装置としての「かまど」が消滅していく。
一方日本社会では米を炊く食文化が強く、かまど文化が継続していく。
同時に北海道島では土器を基本とした「続縄文」時代が終わるのですが、
そのきっかけは、隣接する文明社会であるヤマト国家社会との
交易の活発化で「鉄鍋」が大量輸入されてキッチン革命が起こったこと、
ではないのかと、わたしは考えています。
上の写真は二風谷アイヌチセでの自在鉤囲炉裏の様子です。
このキッチン革命はわたしには長くむしろ「退化」にも思われたのですが、
きのうの森先生とのやり取りでは、竪穴からアイヌチセへの変化には同時に、
家族数の増加、面積の拡大ということもあるという気付きが得られました。
そういった合理的な変化要因があれば、
かまどが過去の遺物として葬られたことにも、想像力が湧いてくる。

というようなありがたい意見交換、情報交流ができて、
まことにインターネット時代の知の進化を思わされた次第です。
森先生、西方さん、お付き合いいただき深く感謝します(笑)。
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【凍結深度以下で地熱利用だった竪穴住居】

2017年04月03日 07時59分44秒 | Weblog
マンガで住宅のことを表現したときに、
竪穴住居のことについて友人の設計者と研究してみた。
やはり「深く掘る」ということが決定的なんだと思われた。
現代の知見で「凍結深度」というものが建築にはある。
その地域での最寒気に表土がどれくらいまで「凍結」するかの深さ。
札幌では60cmで、道東などでは1mに達する地域まである。
その深さまでは「表土が凍結する可能性がある」わけで、
地面の凍結・爆裂による不陸を避けて、
基礎の安定性を確保するために、その深さまでは基礎を打設する。
逆に言うと、その深さ以下だと、今度は「地熱」が利用できる。
地熱は経験的になのか、学術的になのかよく知らないけれど、
その地域の年平均気温程度の温度が確保されているといわれる。
札幌ではちょっと前までは8度程度と言われたけれど、
いまは温暖化の影響からもうちょっと高いのではと思う。
その年平均気温に対してバイオマス燃料で暖房・調理することで
土壌蓄熱や空気に加温させて居住環境を作っていたのだと思う。
衣類との合わせ技で、適合温度環境を作っていたのでしょう。
縄文時代の人たちは凍結深度以下に床面を確保すれば
「住居があたたかくなる」という経験知を持っていたのでしょう。
そのように暮らした先人たちにさしてDNA障害痕跡も見られないのだから、
人間が生きていく住居としては環境的に適応していた。
で、竪穴住居では深く穴を掘って、それに木組みで構造をつくり、
茅葺きなどで屋根を造り、それに土をサンドイッチさせたりして
断熱をさらに強化したりしている。
水分コントロールがいちばんの問題だっただろうと思われ、
よく縄文の集落などでは竪穴を冬の住居にして、
一方で高床式の「通風重視」の「夏の家」も併設されたりしている。

このような竪穴住居を考えていて
やはりいちばんの関心は、どうやって「穴を掘るのか」という点。
人類というのは、口型ではなく手型の発展をした動物で、
その生物的進化の過程で「道具」利用という稀有な生存手段を開発した。
とりあえず、木の棒という基本的な道具があり、
その機能拡張で「穴を掘る」道具を開発してきたのか。
今日で言えば「スコップ」のような機能形状の道具を開発していたのか。
炭化物なのでなかなか現物としては残らないとされる。
北海道で言えば、アイヌの住居・チセは「平地住居」で竪穴ではない。
なので、そういう道具は現物ではあまり目にしたことがない。

最近、いろいろ人類史的な知見が発展してきて、
こういった起源に関するようなこともわかりやすくなってきている。
そういう探求からすると、人間が物理的な「住居」を建てたのは、
案外近い過去にしかすぎないというように考えるのが自然。
だいたい、1万数千年程度のことのようだと思うのです。
もうちょっとすると、住宅というのは非常に簡明に文化・機能分析が
できるようになる領域であるのかも知れないなと。
過去を知っていけば、未来への洞察も可能になるのかも知れませんね。
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【4.11東大名誉教授・難波和彦氏 札幌で講演】

2017年04月02日 09時06分56秒 | Weblog
最近、Replan誌と東京の設計者との関わりがあります。
とくに昨年の新建築住宅特集誌での「環境住宅特集」について、
寒冷地住宅雑誌として意見を申し述べたことが話題になったようで、
その後、その巻頭論文を執筆された川嶋範久・東京工業大学助教と
北海道内住宅見学アテンド、対論会の開催など論議が続いています。
この「対論」については、いまのところ発表しておりませんが、
北海道と東京の住宅建築界の「環境建築」認識を巡っての
きわめて興味深いやりとりがありました。
また、川島氏が中心になっている日本建築学会 地球環境委員会
「地球の声」デザイン小委員会<塚本由晴氏主査川島氏幹事>にて
わたしどものブログ上での発言に対して参加者、とくに
川島氏の東大での先生にあたる難波和彦氏から留意の発言がありました。
その後、難波和彦氏の「箱の家」シリーズが北海道にて計画が持ち上がり、
いろいろにその情報に関わってきております。
さらに難波和彦氏からは、北海道の地域住宅技術認証である「BIS」の
北海道外・仙台での講習会に参加され、その後の試験も受験されて
みごと「BIS」資格も取得されています。
氏の建築の4層構造の2層目、エネルギーを考える上で
北海道が地域として取得してきた技術的地平は、大いに役立つと思量します。
難波氏の紹介については、以下にWikipediaを抜粋します。

〜グッドデザイン賞インテリア、吉岡賞(現新建築賞)・住宅建築賞などの
受賞歴をもつなど意匠設計者として評価されると同時に、
サステナビリティ (持続可能性) を考慮した建築作品群により、
工業的側面からも評価を得ている。
代表作として「箱の家」シリーズがある。「箱の家」は、
標準化・多様化・サステナビリティをコンセプトに掲げた
都市型住宅のプロトタイプとしてデザイン・開発され、
多様な敷地・意匠・構造のもとに百数十棟が建設されている。〜

ということですが、今回4月11日には北海道札幌で開催される
北海道の地域工務店グループ・アース21での講演を快諾いただきました。
わたしどもは日本における一地方である寒冷地・北海道に出自を持つ
「地域住宅雑誌」の立場ではありますが、
最近、関東以南地域でも「環境性能」についての気付きが進んでおり、
北海道が地域として切り開いてきた「性能とデザイン」について
より大きな「対話」が可能なのではないかと思っています。
難波和彦氏の講演が、ひとつのきっかけになればと希望します。
わたし自身はアース21の一賛助会員に過ぎませんが、
多くのみなさんにこの講演について情報開示することにいたします。

<写真は当誌「関東版」にて取材の氏設計の「箱の家」正面外観>
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【Mac移行作業中・不審メール受信】

2017年04月01日 08時57分21秒 | Weblog
Macの環境移行、おおむね順調に進んでいまして、
2TBの広大なSSHD、16GBのメモリはまずまず軽快な動作で働いている。
CPUチップが2.5 GHz Intel Core i5とロートルで、
やや非力なんでしょうが、しかしわたしの作業はMaxで画像編集程度。
映像の編集加工みたいなCPU負荷のかかる作業はほぼない。
主としてテキスト入力が作業の中心なので
なにより、「過去の情報資産」をデータ領域に「全部」入れている、
という総合性がいちばん大きな達成ポイントなのですね。
パソコンの進化も、そろそろユーザー側の視点でコントロールすべき段階。
PCメーカー主導型の進化に付き合い続ける必要はない。

ところが、移行作業中に、いくつかの不審な挙動が。
まず、LINEに「PCからアクセスが試みられました」というような案内。
わたしはMacなので、その場合は「Macから・・・」という案内なので、
どうも他者が試みたようではある。
さらに移行作業終了後には、上のような「警告」メールもきた。
Macの基本的な機種移転サービスとしてのTimemachine利用で、
このような警告アラートは来たこともないし、
一瞬であやしいメールと判断はしました。
さらによく見たら、「差出人」メールアドレスがありえないアドレス。
マイクロソフトの会社部門が、@sugano-net.co.jpという
アカウントを使用することはありえないと思います。万が一本当に
マイクロソフト社からの問い合わせならきちんと対応します。
たぶんこの場合、「今すぐ認証」というクリックを押していったら、
詐欺的なサイトに誘導されるのでしょうね。

ただ、こういった「移行作業」に対してウォッチを試みている
詐欺師集団の存在はありそうな気がしました。
わたしは、注意して非対応としていますが、
うっかりする人もいるかも知れません。
注意喚起と言うことで、お知らせすることにしました。
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