大人になれないオヤジたち

模型作例と模型工具について紹介するブログです。
現在は主としてガンプラをターゲットに改造工程を紹介しています。

JR貨物 DD51-890&1802号機 8072レ 関西本線(四日市-稲沢)

2018年03月11日 | 鉄道写真(DD51)

いつまでたってもDF200の本格運用が開始しなかった関西本線でしたが、ダイヤ改正一ヶ月前にして一気に運用開始となり、
あっという間に定番石油タンクスジからDD51は消え去ってしまいました。
もう数年はDD51はなくならないと油断をしすぎていました。
そう、DD51がそう簡単に消えないのは確かですが、よくよく考えると石油タンクから離脱すると言うことはすなわち、
重連総括運転をしなくなると言うことなのです。

何故もっと早くそんな当たり前の事に気がつかなったっかのか!?です。そう言っていても仕方がないので早速行動です。
しかし流石に地元を走る列車ですから、最寄駅界隈では同じような写真が増産されるに過ぎません。

と言う事で、まだかろうじて残っている臨時スジを少し遠方まで出向いて狙う事にしました。
臨時スジは日曜日にはごく僅かしか走りませんので、土曜日が勝負です。幸い今週末は晴れましたので、
新川橋梁まで出向いてみました。

この直前を走る下り石油スジは既にDF200に置き換わっているのですが、こちらは大勢の撮影者が群がる事態に。
他府県からこられた方も多かったようです。
しかし直後のDD51重連を撮影した人はその1/4程度でした。ん~皆さんDD51には飽きているのでしょうか?
DF200はこれからいくらでも撮れるのに、、、

夕方の斜光線を浴び、煙をたなびかせながら稲沢へ向かうDD51の重連運転の姿は本当に美しいと思いました。
いざなくなってしまうと思うと本当に寂しく思います。もしかしたらこの週末が重連運転の見納めだったかもしれません。

[PHOTO DATA]
ISO4
00,1/1250s,F10,24mmTR
新川橋梁にて、2018年3月16:40撮影。

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(7)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

さて入院四日目、術後2日目の朝です。

今日はいよいよ退院です。
朝6時の起床、看護師さんの巡回チェックも特に声賭けだけ、検温すらありません。
8時に朝食は出ますので、平らげた後、昨日妻が持ってきてくれたイチゴも食べました。

そこからは一気に慌しいです。10時までには退院しなければなりませんので、バタバタと身支度を始めます。
昨日一日ウダウダとしていたおかげか、止血の技術の進歩か、9年前はカテーテル挿入部の痛みがかなり長引いていて
この時点で機敏な行動など出来ませんでしたが、痛みは相当に減っていて、まったくもって普通のスピードで身支度をすることが出来ました。

昨日まで感じていた、心臓がときおりキューっとなるような痛みもほぼなくなっていました。

9時過ぎに妻が迎えに来てくれて、ナースステーションに挨拶もそこそこに退院です。
ほぼ同時に本日のアブレーション手術の方は手術に入りますし、午後には新たな入院の方が入ってくるわけですから、
看護師さんもバタバタです。退院する人の相手なんてしている暇はありません。

9年前にくらべるとずっと医学は進歩していて、術中の苦しさも低減されていますし、術後の回復もすざましく早いです。
自分自身は9年年を取っているわけで本来は回復が遅くても当たり前のはずなのですがね、、、
それに引き換え看護師さんの忙しさは二倍になっているようなイメージでした。

術後の清算も、9年前と比べるとあっという間です。入院ですから専用窓口に行って書類を受け取る必要はありますが、
会計に待ち時間は殆どありません。どこの大病院も最近は同じですが、自動清算機に診察券を入れれば、その場で清算完了です。

9年前はこの後、数日間、会社を休みました。術中デジャブーに苦しんだのと、カテーテル挿入部の痛みで直ぐには出社できる状態ではありませんでした。
しかし今回はあまりに調子が良いので、一旦自宅に戻りシャワーを浴びてから、午後軽く出社してみたのです。
当然回りが心配するし無理をしてはいけないので、仕事はしませんでしたが。
会社に行ってみようと思える気力が湧いてきたくらい、今回の術後の回復スピードは速かったということなのです。

今日のこの記事を書いている時点で、術後1週間強な訳ですが、まったくもって普通の生活をしています。
大またを開いたり、首を急にグッとねじったりすれば、まだカテーテル挿入部の痛みはあります。
でも極端なことをしない限りは痛みはありません。通常通り仕事をしていますし、既に日帰りですが出張にも出ました。
次週はいよいよ宿泊出張も入れました。

9年ぶりにカテーテルアブレーション手術をしましたが、総じて言うと、痛みや苦しさがない手術になったとは嘘は言えません。
苦しい手術に変わりはありませんが、でも相当にその苦しさは軽減されており、そしてその時我慢すれば済むものになっています。

2日間耐えれば、その後何かに苦しむような事はありません。
手術には恐怖心は伴うかもしれませんが、いつどこで発作が起こるかわからない苦しさを思えば、これは絶対に受けるべき手術です。

9年前は術後にそう簡単に割り切れる心境にはなりませんでした。二度とやりたくはない手術だと思いました。
でも今回は、直ぐに再手術と言われたらカテーテル挿入部が痛そうなので、抵抗するけれど、
1年後にであれば、抵抗なく受けるだろうなという印象にかわりました。

本当に医学の進歩は素晴らしいと感じる再手術となりました。

ながらく体験記を読んでいただいてありがとうございました。
また通常の鉄道ブログに戻ります~

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(6)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

入院3日目、手術翌日です。

この日が最も入院生活を楽しめる一日になります、それは9年前に体験しているので分かります。
当時は妻にプラモデルも持ってきてもらって、一日組み立てていた事がブログの記載にあります。

9年前は朝直ぐに行動制限が解除されてトイレにダッシュしたのですが、
今回は時間制限ではなく、医師の回診が必要との事、最初に採血がありました。

そして朝食。もうすっかり元気なので、朝食も平らげて先生を待ちます。
9時前になってようやく回診があり、、、といっても「どうですか?」「大丈夫です~」程度なのですが、、、
その後、先生に止血処置のために体に巻かれていたバンドの様なテーピングの様なものをはがしてもらいます。
これで行動制限が解除されました。

看護師さんが忙しく点滴を抜いている暇がないということで、点滴は連れながらですが、ようやく自力でトイレに行けます。
気を使わずにトイレに自由に行ける事がこれほどありがたいとは!!
ようやく本当に自由になれたんだと実感します。

この後しばらくしてようやく点滴が外されます。そして9年前は看護師さんがシャワールームで体を拭いてくれましたが、
今回は体を拭く蒸しタオルが渡されますので自分で拭きます。その後ようやく手術着からパジャマに着替えます。

そして次は心電図検査です。
24時間心電図を採取しているのですが、あくまで簡易的なものなのでしょうか?
外来病棟の生理検査室での心電図を受診します。行動制限が解除されているので、一人で勝手に行くと言うスタイル。

昨日まではベットの上で寝返りを打つことすら出来ないのに、翌日には一人で病院内をウロウロできると言う
このギャプは凄いです。
でもさすがにカテーテルを入れた部分の痛みはまだまだ取れないので、ゆっくり病院の壁の手すりを持ちながら
ゆっくりとしか歩けません。

しかしこれから戻ってくると、プログラムは食事のみ、全くの自由です。
さて何をしようかと、考えていると、、、夜になかなか寝付けなかったこともあり、トイレに自由にいけるという安心感もあり、
すっかり眠ってしまいました。

午後も、本など持って来たのですが、どうも読む気がおきず、、、
スマホでニュースを見たり、SNSをチェックしたり、、、9年前にはなかったことが日常になってるのだなと思いながら
終日だらだらと過ごしました。9年前はもっと何かをしたいという気力に満ち溢れていたのかなぁ、、、と思いながらも
どうも元気が出ない一日でした。

午後には妻と娘たちが迎えに来てくれました。
娘たちはものめずらしそうに、病棟を徘徊していましたが、、、
面会室でみんなで少しお菓子を食べたり、話をしたり、、おかげで暇つぶしが出来ました。
妻がイチゴをたくさん持ってきてくれて、家族が帰った後、すこしづつおいしく頂きました。
病院食では中々出ませんので、体が潤いで蘇った感覚になりました。

この日はだいぶ昼間寝た事もあって、また夜に眠りにくい悪循環に陥ってしまいました。


 

 

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