上砂理佳のうぐいす日記

3月31日(月)から4月6日(日)まで銀座中央ギャラリーの「10×10版画展」に銅版画小品を出品します★

ホワイトバンド・デー

2005-09-05 | うぐいすよもやま日記
このブログの左帯の「gooおすすめリンク」にBOGGER'S NEWSというのがあります。そこのTOPに「今、いちばん話題になってるニュース」というのがあって「ほっとけない世界の貧しさ」という項目があります。そこをクリックして色々見てみたら「今、世界では3秒に1人の割合で、子供が死んでいます。あなたもホワイトバンドをつけて、立ち上がろう。9月10日は、世界ホワントバンド・デー」とありました。ホワイトバンドってあれですね。手首につけるだけで、チャリティへの賛同意思表明が出来る、という。私は大阪のタワーレコードに行ってみたけど無し。んで、今はファミリーマートでも一般発売されてるそうな。300円(売り切れ次第終了らしい)。いかがでしょう。これも「選択肢」のひとつ。

この「ほっとけない世界の貧しさ」から辿っていくと、選挙の前日の9月10日は大阪でも「大阪城公園」「扇町公園」「淀川河川敷」「万博公園」などで、集会というかアピール?イベントがあるらしい。日本各地、世界各国で様々な催しが行われる…知らなかったなー。私は結構、新聞はくまなく読んでいるけど、この件に関してはなんも知らなかった。あなたの住む地域でも何か行われるのかも(ここから辿ると、ほぼ日本全国各県で何かがある)。
こういう事、認識するのは大切だと思う。つうか、これだけ今、ネットやTV・雑誌で情報がハンランしてたら「日本はイジョーなくらい恵まれている!」って気付かないほうがおかしいよ?
「あなたの3000円の寄付金で、○○人の子供がワクチンを…」でおなじみのユニセフの殺し文句が出てきた時、正直言って「ここまで言うかー」とは思った。でも、アレを言うことで募金が飛躍的に増えたそうだから、やはりOKなのか。人間ってね。やっぱ自分の身に切実にふりかかる問題でないと「ピン」と来ないのよ。悲しいかな。でもいいかげん「一方では食べ過ぎでダイエットに苦しむ人がいて、一方では餓死する人が山盛り」っつう大矛盾に気付かにゃいかんわよ。

日本は島国で、世界地図上でも「へき地」。飢餓や貧困・政治・戦争に対してどうしても反応がぬるいのは、他民族に占拠されて圧政で苦しんだ…という、民族的屈辱経験が薄いからだと思う。マッカーサーも、別に日本人を奴隷にはしなかった。それどころか戦後は「アメリカ良いとこ」「豊かさの象徴アメリカ」…として、あがめてさえきた。でも、さきのハリケーン被害で窮地に立たされている人達のほとんどは有色人種(これは、意識的に黒人にばかりTVカメラを向けているのか否か、私にはわからない)。あれはまるで、アフリカの難民の様子とまったく同じではないのか。どこが豊かな国・アメリカなんだ。
日本人も今は、戦後世代の人のふんばりでお金持ちになった。でも「金を持ってる」というだけだ。貧乏になればアッというまに「白人社会で虐げられる有色人種」になるだろう。
幸いなことに、日本人は繊細な感覚を伝統的に持っている。そして「皆で仲良く(=ナアナア主義?)」という思想もある。このへんで「欧米的個人主義や良し」とする戦後の気風から脱却して、「和のこころ」でいくのはどうか。自分がオニギリ2個持ってたら、1個はお腹すかしてる隣人にあげなさいよ、ってこと。2個食って「肥満だ。やせなきゃ」って騒いでるより、よっぽどスマートでタイトだ。そして自分も隣人も「和む(なごむ)」=「和」ってもんだ。

ホワイトバンド、私は買うかしら。身にはつけるかどうか解らない。これはフェアトレード的流通で出来ているのか。プラスチックなのか。この石油危機に「モノ」を作る意味はあるのか…とか、個人的にはギモン。調べなくてはね。でも恐らく「300円」という値段にひかれて買うだろうな。
「おそろのTシャツを作って購入して、広場で皆で輪になって歌う」…てのはしない。ファッショ的行為が嫌というのもあるけど、まずTシャツとかグッズを作る経費が嫌なのだ。それを着なくては「気付かない」(!)鈍感さが嫌なのだ。Tシャツを作るお金をそのままダイレクトに、しかるべき場所(今ならルイジアナ州?)に送ったほうがええんやないやろか、と思えて仕方ないの。

前回書いたフォスター・プランですが、私は当局のまわしモンでも何でもありません(笑)。フツーの人です。
…月に3000円ってやはり痛いです。フリーの身にとっては(痛くない人はもっと出したらいいと思う)。いや、金額云々よりも「継続する責任」が確かにつらいというか。でもこの「痛い」感触は、「地球に住むオトナである限り、払わなくてはならん税金=地球民税」ではなかろうか。
ちなみに途中でやめるとどうなるか、というと、一旦、組織側で援助費を立替えてくれて次の「ペアレントになりたい」という人に引き継がれます。誰にも何も責められはしません。そして実際に「自分の子供」みたいに思えるかというと、それこそ百人百様だと思う。現地まで実際に旅して「ウルルン」みたいにホームステイしてくる人もいるし、一度も手紙とか出さない人もいる。自由です。
私としては、この「チャイルド」対象になっている子供が、いちおう(貧しいながらも)親もいて家もあり、食べるものもある子供…という設定になっていることが気にかかる。そうでないと機能しないんだろうとは思うけど。本当は、ストリートチルドレンや戦争難民の赤ん坊などのほうを優先して援助したほうがいいと思うけど、こっち(つまり、死に直面している子供)はユニセフサイドでカバーというか。

チャリティは「偽善」「自己満足」「エセ」…とまあ、ネガティブなことも多々言われます。私がこーゆー話題をふると、嫌~な顔する人多し。構わん。別に。それに「慈善のココロは、自分の胸のうちでしまっておけばいいのであって、大きな顔で言うことでなし」という「日本人的謙虚イズム」ってのもあります。でもはっきり言って、もうそんなノン気な事言っとる場合でないんじゃないの?日本の、国内食糧自給率統計とか見てると、ゾゾ~ッとしますよ。あなたも私も明日は飢餓難民かも。戦争難民かも。
「太平の眠りを覚ます蒸気船」じゃないけれど、ネットという黒船で世界への目を見開く、若い人が多くなっているのは事実で、私はとてもいいことだと思う(だから、好奇心でイラクへ行ったりもするのだと思う)。「気付いて」「目覚めて」ナンボじゃい。私みたいな中年族も。老年族も。なんとかしましょう。ホント。
コメント (2)
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