上砂理佳のうぐいす日記

3月31日(月)から4月6日(日)まで銀座中央ギャラリーの「10×10版画展」に銅版画小品を出品します★

ある20歳の男の子

2006-09-08 | うぐいすよもやま日記
深夜の関西テレビで、昨年のJR福知山線脱線事故で、両足を切断した青年のドキュメント番組を放映していました。
途中から見てしまったので前半がわからないのだけど、通っていた同志社大学を休学して、リハビリセンターに通う1年間の歩みが綴られていました。膝から下が無くなった状態で、車椅子の生活ですが、義足をつけて松葉杖をついて歩行訓練に励む、という。「リハビリ」と一口で言うけれど、なんと筋力も精神力もいる大変なことかと思わずにおれませんでした。
ハンデを背負ったことで、大好きな野球が出来なくなってしまった。
将来の職業選択も限られてくる。
日常生活で家族や周囲に頼っていることが、申し訳なく苛立たしい。
丁度、大学に入って「自立」への第一歩を踏み出そうとしていた時期に、突然自分の身体が変わってしまった事への戸惑いが、素直に淡々と綴られていました。

今年の成人式に「どうしてもスーツを着て自分一人で出たい」と思い、早起きしてしっかり朝シャン。義足にはかせてあるスーツのズボンが、横にたてかけてある(両足に義足をつけるのは、相当大変で時間がかかるということ)。
親友の男の子が紋付袴姿で同行。ゆっくり松葉杖で進む。この成人式の様子がなんというか、トリノ前の大ちゃんの「倉敷成人式の図」を思い出してしまった。
男の子は皆、同じような髪をして、同じようにヒゲを伸ばし(?)、同じようにスーツを着て、同じように振袖を着た女の子たちと、楽しそうに「ピース!」で写真を撮り合う。20歳ってほんと、みんなこういう感じなんやね~。
「久しぶりに友達に会えて嬉しい」と笑顔。伊丹市の成人式のようでした。

身体障害者用の車の運転もマスターし、初のドライブ。海を見に行く。
「自分の力で動ける事が何より嬉しい。自分が自立することで、周囲への恩返しになると思う。だから、わざわざ家族に“ありがとう”なんて言わないですね。」と。
彼は余り家族としゃべることもせず、また家族も彼に気を遣い、事故後、やや距離が出来ている。「いつも支えてくれて有難う」とは、思っていても言いづらい。でも自分のことで心配はかけたくない。この「子供の立場だけど、親の気持ちもわかってる」という微妙な年頃の葛藤を、親友の男の子だけは良く理解してくれているようでした。
切断された「無いはずの足」が毎晩痛くて、睡眠薬を飲まないと眠れないという。これは「幻視痛」というそう。実際にはもう身体は健康で、何も痛くないはずなのに、(足を)殴って言い聞かせたくなるような痛さを感じるということ。苛立ちが伝わってきました。この辺は聞いていてつらい。

最後に、マンションを借りて一人暮らしを始め、同志社に復学する姿がありました。親御さんはつらく複雑な気持ちだと思いますが、私は単純に「頑張れー」と思いました。将来は大学院に進み、経済学を勉強していきたいとか。

「JRの罪を追求する」切り口ではなく、「家族で一丸となってハンデを背負った息子を支える」という感動ドキュメントでもない。
20歳の男の子の「現実を受け入れながら自立したい」というリアルな気持ちが、変に美化されず淡々と映しだされているのがとても良かった。「良かった」と言ってはいけないのかもしれないけれど。
私は、兄が24歳の時に事故で亡くなっているので、「やっぱり生きてて欲しかったなあー」と、思わずにおれない。兄も障害者手帳を持つ身だったので、この「家族に迷惑をかけたくない」「同情されたくない」葛藤というのも、とても解る気がする。でも、家族も苦しんでいる、というのも解る。

JRの事故が4月25日だったので、もう1年以上経ってしまったけど、こういう番組をこそ全国ネットのゴールデンにやって欲しい。まだまだ後遺症などで苦しんでいる人もいるのだから。
私自身も早や記憶が薄れそうになっていたので(伊丹~尼崎は良く知る場所にも拘らず)、個人的感情も重なり、身が引き締まるような思いでした。
コメント (6)
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