福島原発の作業員の懸命の頑張り。
さまざまな救援部隊の頑張り。
そしてもちろん、当の被災者の方々の頑張り。
ニュースで見ていると何とも言えない気持ちになります。
いつも、災害時に不便を強いられている人達の映像を見ると、
「あの人達を丸ごとバスで運んで、とりあえず大阪で暮らしていただくわけにはいかんのか」
と思うのです。
大阪城ホールとかなみはやドームとか、開けたらよろし。
ウチの小さな家でも、3人ぐらいならば布団あります。ホームステイ制もアリです。
行方不明の家族を残して…というのは難しいかもしれませんが、
あの状態では過酷すぎます。
まずは健康状態を立て直して元気を回復させないと。
「なんとかなる」のでしょうか。
「なんとかしてきた」から、戦後の日本があるということか。
多くの犠牲を払って、この事を教訓にして、私ら大人は、
未来を後輩達に残していく義務がある。
自然災害の多い宿命の日本で、無事に暮らしていく最適の方法。
そして何より、原発に頼らない生活をしていくこと。
いろんなことがはっきり解った。
うちの姉は静岡県の掛川に住んでいますが、15キロ先の海岸に浜岡原発があります。
今までも原発をやめろやめろ、と、しつこく運動してきた訳ですが。
正直、私は余りピンと来なかった。
それは、自分が身の危険を感じていなかったからでしょう。
チェルノブイリの文献も読んではいたけれど、これもまた「他人事」だった。
広島・長崎で痛い目に合った日本人なのに、なぜこうも人は「痛い目を忘れてしまうのか。
地震の事にしろ、阪神大震災で自分も被災してるのに、時間が経つと
「あー大変だったねえ」で終わってしまうのです。
関西とて、電力は福井の原発に大半を頼っているそうですから、
綱渡りで生活しているに過ぎません。
大地震が起きても、どうにか生き延びられる社会・生活スタイルにする。
電力は、風力発電・太陽発電に全力でシフトしていく。
3Dテレビとかi-padとかどーでもいいよ。本当の快適な生活って、何だ。
私が死ぬまでには日本で、「本当の快適な生活」が実現出来ているように。
せめて「快適な生活の兆し…キテるなあ~」ぐらいは、この目で見届けてから。
「2011年でニッポンは学んだのよ」って、世界の方々に言えるようにしてから。
そいで死なないと。ね。
さまざまな救援部隊の頑張り。
そしてもちろん、当の被災者の方々の頑張り。
ニュースで見ていると何とも言えない気持ちになります。
いつも、災害時に不便を強いられている人達の映像を見ると、
「あの人達を丸ごとバスで運んで、とりあえず大阪で暮らしていただくわけにはいかんのか」
と思うのです。
大阪城ホールとかなみはやドームとか、開けたらよろし。
ウチの小さな家でも、3人ぐらいならば布団あります。ホームステイ制もアリです。
行方不明の家族を残して…というのは難しいかもしれませんが、
あの状態では過酷すぎます。
まずは健康状態を立て直して元気を回復させないと。
「なんとかなる」のでしょうか。
「なんとかしてきた」から、戦後の日本があるということか。
多くの犠牲を払って、この事を教訓にして、私ら大人は、
未来を後輩達に残していく義務がある。
自然災害の多い宿命の日本で、無事に暮らしていく最適の方法。
そして何より、原発に頼らない生活をしていくこと。
いろんなことがはっきり解った。
うちの姉は静岡県の掛川に住んでいますが、15キロ先の海岸に浜岡原発があります。
今までも原発をやめろやめろ、と、しつこく運動してきた訳ですが。
正直、私は余りピンと来なかった。
それは、自分が身の危険を感じていなかったからでしょう。
チェルノブイリの文献も読んではいたけれど、これもまた「他人事」だった。
広島・長崎で痛い目に合った日本人なのに、なぜこうも人は「痛い目を忘れてしまうのか。
地震の事にしろ、阪神大震災で自分も被災してるのに、時間が経つと
「あー大変だったねえ」で終わってしまうのです。
関西とて、電力は福井の原発に大半を頼っているそうですから、
綱渡りで生活しているに過ぎません。
大地震が起きても、どうにか生き延びられる社会・生活スタイルにする。
電力は、風力発電・太陽発電に全力でシフトしていく。
3Dテレビとかi-padとかどーでもいいよ。本当の快適な生活って、何だ。
私が死ぬまでには日本で、「本当の快適な生活」が実現出来ているように。
せめて「快適な生活の兆し…キテるなあ~」ぐらいは、この目で見届けてから。
「2011年でニッポンは学んだのよ」って、世界の方々に言えるようにしてから。
そいで死なないと。ね。