◇亡くなられた方は全員凍死だったという続報があった。
◇高齢になると(たしか60代の方が多かった)体温調節の能力も下がるし、そもそも自分の体温が低くなったことを感知する能力も低くなる、というお医者さんの話を聞けば「なるほど、もっともだ」と思うけど、これはもう本人にはわかりようもない。つまり用心のしようがない。
◇もし自分が高齢で「山に登りたいなあ」と思ったなら、それを理由に「山に行くのをやめよう」とは思わないだろう。
◇思うとすれば「もうトシだし、体力も落ちてきた。山は危険だし、山に登ること自体をもうあきらめよう」ということしかない気がする。「いつ、何を、あきらめるのか」という一人ひとりの判断しかない。
◇どなたかの親族が次のようなようなこと言っていた。
「年齢のこともあるし、もうこれで最後にするから行かせて、と言っていた。こんなことになって残念だけど本望だと思う」
◇ご主人だったか、ご兄弟だったか。この方の思いには共感できる。つまり、その方が「(危険があることもうすうす承知しながらも)山に行きたい」と望み、そのように実行した意志を尊重するということだから。
◇「チョモランマの登頂には価値があるが、高齢者の軽登山には大した価値などない」と考えるとしたら、それはは間違いだろう。登ろうとする一人一人に、高かろうが低かろうが、登る意味があり、リスクに応じた、あるいはリスクと引き換えの価値があるにちがいない。
◇走ることだって同じで、それぞれの体力・経験・年齢・体調に応じたリスクがあるのは言うまでもないし、突然心臓麻痺を起こす可能性だっていくらもある。
◆ここで大事なのは、具体的でなくても(具体的なことは結局わからないし、医者が言うのは確率の問題でしかない)リスクを自覚していることだろう。◇誰もが明らかに無謀だと思うような準備も計画もないのでは話にならないが、自分なりの準備をして臨む以上は、その行為自体が尊重されるべきだ。それぞれの人生は、医者や世間の人のものではなくて、それを生きる人それぞれのものだからだ。
◇改めてご冥福をお祈りします。
◇高齢になると(たしか60代の方が多かった)体温調節の能力も下がるし、そもそも自分の体温が低くなったことを感知する能力も低くなる、というお医者さんの話を聞けば「なるほど、もっともだ」と思うけど、これはもう本人にはわかりようもない。つまり用心のしようがない。
◇もし自分が高齢で「山に登りたいなあ」と思ったなら、それを理由に「山に行くのをやめよう」とは思わないだろう。
◇思うとすれば「もうトシだし、体力も落ちてきた。山は危険だし、山に登ること自体をもうあきらめよう」ということしかない気がする。「いつ、何を、あきらめるのか」という一人ひとりの判断しかない。
◇どなたかの親族が次のようなようなこと言っていた。
「年齢のこともあるし、もうこれで最後にするから行かせて、と言っていた。こんなことになって残念だけど本望だと思う」
◇ご主人だったか、ご兄弟だったか。この方の思いには共感できる。つまり、その方が「(危険があることもうすうす承知しながらも)山に行きたい」と望み、そのように実行した意志を尊重するということだから。
◇「チョモランマの登頂には価値があるが、高齢者の軽登山には大した価値などない」と考えるとしたら、それはは間違いだろう。登ろうとする一人一人に、高かろうが低かろうが、登る意味があり、リスクに応じた、あるいはリスクと引き換えの価値があるにちがいない。
◇走ることだって同じで、それぞれの体力・経験・年齢・体調に応じたリスクがあるのは言うまでもないし、突然心臓麻痺を起こす可能性だっていくらもある。
◆ここで大事なのは、具体的でなくても(具体的なことは結局わからないし、医者が言うのは確率の問題でしかない)リスクを自覚していることだろう。◇誰もが明らかに無謀だと思うような準備も計画もないのでは話にならないが、自分なりの準備をして臨む以上は、その行為自体が尊重されるべきだ。それぞれの人生は、医者や世間の人のものではなくて、それを生きる人それぞれのものだからだ。
◇改めてご冥福をお祈りします。