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原点に熊谷空襲の不条理
作家の森村 誠一氏(82歳)は埼玉県熊谷市に生まれ育ちました。
中学に入学4ヵ月後の昭和45年8月14日深夜から15日未明、熊谷は空襲に襲われる。
家族みんなで郊外まで走って逃げ、命を拾う。朝、市街地は一面の焦土になっていた。
「川を伝って家があった辺りまで帰ったけれど、その川が死屍累々(ししるいるい)なんですよ。
みな窒息死しているから顔がきれいでね。
あ、〇〇さんだ。〇〇ちゃんも死んでいる、とショックだったです」
数時間後、戦争は終わった。いや、熊谷が空襲を受けたときには事実上戦争は終わっていた。
日本はすでに無条件降伏の受け入れを連合国側に伝達していたからだ。
「全く必要がないのに、なぜ熊谷を爆撃したのか」。
その思いが森村の心に沈殿した。さしたる理由もなく無差別に人を殺す、
そんな戦争の不条理を殺される側から体験したことが、長い作家生活を支える背骨となった。
拘束と自由、僕は二つの人生を見てますからね、と話す。
空襲に生き残ったことでもう一つの人生が開けた。
戦争って人を殺すことですが、終戦が決まっていたのに、なぜ、爆撃をしたのでしょう。
アメリカの責任者って誰だったのでしょう。
浅田次郎著の「終わらざる夏」も終戦前後の話のようです。
出版当時、作家のインタビューを聞いたことありました。