コメント欄は閉じておきます。
村上春樹さん アンデルセン文学賞 スピーチ
自分の「影」とともに生きる
アンデルセンの生誕地、デンマーク・オーデンセで10・3に行われた
H.C.アンデルセン文学賞の贈呈式。
村上さんが創作の際、プロットを考えず一つのアイディアや場面から話を進め、
「小説を書くことが発見の旅」であるように、アンデルセンも
この作品が「初めはどう終わるか分からなかっただろう」と述べた。 (大人向けの寓話 『影』)
村上さんは「私が小説を書くときは、物語の暗いトンネルを抜けて
予期しなかった自分と出会う。それは私の影に違いない」と語り、
「私に求められていることは、この影をできるだけ正確に率直に描くことだ」と述べた。
「全ての人々に影があるように、全ての社会や国家にも影がある」と指摘した。
時に私たちは影や暗い部分から目を背けがちで、力ずくでその側面を
取り除こうとするが、「影を生まない光は光ではない」と話した。
「どんなに高い壁を作って侵入者を避けようが、厳しく部外者を排除しようが、
自分達に都合のいいように歴史を書き直そうが、私たちを傷つけることになるだろう」と語ったうえで、
「辛抱強く自分の影とともに生きることを学ばなければならない」。
「注意深くあなたの中にある闇を観察すべきだ」などと話し、
もしそうしなければ、影がより強力に育って戻ってくるだろうと警告した。
「秀でた物語は多くのことを私たちに教えてくれる。
教訓は時間や文化を越える」と結んだ。
※ アンデルセンの『影』
ある学者の影が体を離れ、裕福な人物になりきって戻ってくる。
成功した影と学者の主従関係は入れ替わり、影は女王と結ばれることに。
学者は、それが影に過ぎないと訴えようとするが、逆に捕らえられてしまう。
~~~
寺田寅彦が夏目漱石に尋ねた。俳句とはどんなものですが?
漱石は答えた。
「扇のかなめのような集中点を指摘し描写して、
それから放散する連想の世界を暗示するものである」と(夏目漱石先生の追憶)。
連想させるということですね。私が考えるのは、いつもストレートなので、「暗示する」にはほど遠いです。
寺田寅彦の随筆が、教科書に載っていました。
当時、それが興味深かったので、寺田寅彦の名前を見ると懐かしい。
~~~
「運命に、似た恋」の録画をBGMのように流しながらパソコンに向かっている。
知世さんの声はソフトで優しいし、工さんの声も心地よいので、
ふたりでゆっくりと語り合うシーンは、音楽のようにも聴こえる。
ドラマのBGMもそのシーンごとに、ガラリと変る曲です。
この作曲家もデザイン協力の佐藤オオキさんのように
注目されるでしょうか。私が知らなかっただけかも。
夏のドラマなので、ユーリは白いTシャツ姿が多い。
時々、Tシャツの上にジャケットを着たりするけれど。
「ダイハード」を見た時、ランニング姿で衣装代がかからないなって思った。
ユーリのTシャツも同じ感想ですが、
ユーリは鍛えているので、誰よりも似合っていると思う。