世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

氷嚢のゴムの臭い

2005年06月13日 23時17分24秒 | Weblog
朝、体温を計ったら熱が下がっていた。
いつも通りに出社。
しかし、昼頃から発熱によるダルさが体を襲う。
今日はプチ残業をし、さっさと帰宅。
今宵は早く寝よう。

小さい頃、風邪を引くと必ず母が林檎をすってくれた。
あと梅干し入りのおじや。
長子だった私はここぞとばかりバカみたいに母に甘えた。
スプーンを口まで運ばせて、「あ~ん」させていた。
羨ましがる妹や弟に「ねぇ、羨ましいでしょ?」と露骨に質問をし、母に怒られた。

氷嚢のゴムの臭い、
汗で湿ったパジャマの気持悪さ、
学校を休んだ罪悪感とスリリングな優越感…それらは風邪を引くと必ず胸に去来する。
優しさに守られていたからだろうか。思い出しても嫌悪感は無い。

今、風邪を引いても剥き出しのままの私。
おじやはコンビニのレトルトになり、
すり下ろし林檎はコンビニの「グリコ すり下ろしリンゴヨーグルト」になった。
氷嚢は冷えピタになり、汗まみれのパジャマは誰も洗濯をしてくれない。
それが独り暮らしの現実。
あと学校を休むのと会社を休むのとでは、意味がまるで違ってくる。
優越感は消え、罪悪感しか残らない。

生活がかかっているので、ウカウカ風邪も引けない。
風邪引いて辛いのは確かなのだが、あの頃は甘美なオマケが付いていたなあ。


でも、昨日のブログのにゃんにゃん殿やわかめ殿のコメントをはじめ、
多くの方々から心配メールをいただいた。
「すぐに飛んでいくよ」
その一言で、負け犬予備軍亮子はホロリとしてしまう。

風邪もいいもんだにゃ(←調子に乗りすぎ…)

皆さん、ありがとう。
早く元気になるからね!!
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変な模様

2005年06月12日 22時47分53秒 | Weblog
どうやら風邪を引いたらしい。
今年に入り、何度目だろうか。
髪を乾かさないと必ず風邪を引くってわかっていても、
昨日は睡魔に勝てず、濡れた髪のまま布団に入ってしまった。

年々体が弱くなってきている。
独り暮らしのため、風邪を引いても誰も助けてくれない。

病床に伏せ、天井を眺める。
白い天井にある「~・~・~」の模様の羅列をただ眺める。
変な模様だと思いつつ眺める。
そのうち「~」の数を数える。
羊ではなく、「~」。
ひたすら「~」。
~~~…~…数えているうちに眠りの森へ誘われる。

今日はそんな一日だった。


※現在、体温は38.2℃。
明日出勤できるのか…?謎。
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参城!

2005年06月11日 23時41分37秒 | Weblog
会社の大先輩が所属なさっている劇団((劇)レインボウ城!)の舞台「と突然、小鳩くるみのように、」を観に銀座へ。

出発前、雨が降りそうだったので、折り畳み傘を持っていこうと鞄に傘を入れた後、吉熊を入れるスペースが無くなったことに気付く。吉熊が惰眠を貪っている間、銀座に出発。
…ごめんね、吉熊。(帰宅後、吉熊に涙目で咎められた。)


私が初めて(劇)レインボウ城!のお芝居を観たのは二年前の夏。
あれからすっかりお城の虜になってしまった。
どの作品も台詞の一つ一つが繊細で、職人技を感じる。
感覚で共感できる台詞なのだ。

また、必ず笑いと感動をお土産にくれるんである。
城というからには、姫や王子がいて、
劇団の方々は「…姫」や「…王子」というお名前をお持ち。
初めてチラシを観たときはけっこう衝撃的だった。


さて、今回のお話はアーサー王が13歳の時にホームステイに行った時のお話。
ほぼ実話だそうだ。
アーサー少年の芝居の傍らで、アーサー王が語るという舞台設定。
ご自身のお父さんとの確執なども語られていた。

独白というものは、語る側と語られる側の距離が非常に重要で、
語られる側にとっては、「ふ~ん」で終ってしまうものが多い。
しかし、今回の作品にはそんな印象が全く感じられなかった。
それは、ホームステイ先の出来事の表現性の豊かさ(グリンピースのスープをエクソシストの緑の液体に例えるなど)が、その空間を居心地のいいものにしているからなのかもしれない。
また役者さんも表現も凄い。私がお城の虜になってしまった理由の一つだ。

そういえば、13歳って不思議な歳。
違う小学校から集まった友達。
各々の小学校の各々の文化がミックスされて、まるで異文化コミュニケーションだった。
文化の輸出と輸入を繰り返す時期だったよなぁ…。
帰宅中、自分の13歳を回想した。


嗚呼、今回も心の洗濯ができた。
公演前はすごく楽しみで、終ってしまうと本当に寂しい。
次の公演までひたすら待つんである。
まるで更級日記の姫の心境。

次回の(劇)レインボウ城!の公演は10月29日30日。さいたま市民会館うらわにて。

早く秋にならないかな。



酒の誘惑

2005年06月10日 01時39分22秒 | Weblog
FP講座に行く予定が酒に飲まれた。
酒の誘惑、強し!!

明日こそは出席しなくては…。




未失の「恋」

2005年06月07日 23時27分02秒 | Weblog
気が狂いそうで
食べ物が喉を通らなくて
会いたくて
側にいたくて
見つめていたくて
触れたくて
自分に発せられる言葉に胸が熱くなって

…そのぐらい、殿方を愛したこと…私にもある


…ことにしよう。


でもそれは恋をした私の欲求を満たすための故意であり、
決して対象の殿方そのものの幸せを願ったものではないと断言できる。
…今となれば。
例を挙げるとすれば、中学生女子が陥りがちなあの感情だろう。
音楽室に行くときにすれちがった。
目があった(気がする)。→幸せ→満足→おしまい。
中にはその気持を奮い起たせて、告白や交際などをする者もいる。
失恋した場合は、放課後の屋上で泣くか、学業に専念するかが主なパターンであった。

私も27歳になった。
…なってしまった。

殿方と付き合っていない私はともかく、周囲の友達は密接な殿方との交流をなしている。
中学生時代のように、多数の殿方と接しない代わりに(中には接している友達もいるが)、一人の殿方との深い関係を締結している友達が多い。

その成り行きなどを外野から見て推測すると、
自己満足の恋とは異種の「相手の幸せを考える」恋、
もしくは愛を育んでいると思われる。
会社の上司たちも然り。
うちの両親でさえ、そんな感じがする。

未だ、そんな恋愛とは無縁な生活を疑いなくしている私。
仮に恋をしたとしても、前者の中学生的恋愛で止まるような気がする。

すれちがった→萌え~→満足→終了。

満足できりゃ、満足。
お腹いっぱい。
その後の未来はあんまり興味が無い。


また、中学時代のような素直さや謙虚さが枯渇してしまったが故、
振られたりしたもんなら「てめぇ、ざけんじゃね~よ!」と相手の胸ぐら掴んだ挙げ句、
マジックを相手の鼻の穴に突っ込んで胃壁に「バカ」と書いてしまいそうな勢いである。

後者の大人の恋愛の醍醐味を知らない私にとって、大人の恋をしている友達の相談は難題である。
大人の恋をしないで一生を終えたとて、寂しかったなぁで終るが、
せっかく私なんぞに相談を持ちかけてくれた友達の相談に
適当な反応で済ませてしまうのは嫌だ。

しかし一生懸命考えても、私の恋愛感が中学生なので、
的を得た解答をしてあげられないのが常。
不甲斐なさマックスである。

仕方がない…。
無いものは無いんだから。
私なりの誠意を持ち、持ち前の想像力をフルに活用して、相談に応じようと思う。

みんな、いつ、大人になったんだろう。
どうやって大人になっていったんだろう。
私もいつか、みんなと同じ感覚で恋愛を語れる日が訪れるのだろうか。

そんなの、自分が変わらないと一生無理だとは気付いているのだが…。


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どうなる、私…。

2005年06月06日 23時59分49秒 | Weblog
定時上がり。
会社の先輩と会社の最寄駅まで歩く。
先輩は家事、育児、仕事をこなす上、パソコン教室に通っているらしい。
スーパーウーマン。すげぇ~よ。

先輩と別れ、FP講座を受けに新宿へ。
新宿校は埼京線ホームからメチャクチャ遠くて、大変。
人混みの中を走るのは、ストレスマックスである…。

今日は損保と生保について。
保険金の算出方法で混乱!
保険金額が時価(家など)より大きい場合、
もし火事になっても時価の金額しか保険金が支払われないらしい!
保険による不当利得は認められないとのこと。
頭の中では「知らなかったよ~♪(空がこんなに青いとは~)」
と大合唱である。
知らないと怖いよな~と思いながら受講した。

FP講座は、毎回トリビアの連続。
覚えることがありすぎて、大変…。

やべぇよ。
どうなる、私…。

常識の欠如を身にしみて感じ、
これから本当に一人で生きていけるのかしら…と心配になる。


Perfume of love

2005年06月05日 23時15分13秒 | Weblog
FP講座の後、御徒町へ。
御徒町に「香水屋」というお店が出来たので、
一度行ってみたかったのだ。

香水、大好き。

母がずっとディオールのポアゾンを愛用していたのもあり、
少女時代から香りには敏感だった。

嗅覚は人間の感覚の中でも、最も神秘的なものだと思う。
香りから経験したことや
それらに基づいく思ったこと感じたことがリアルに蘇るからだ。

私は埃っぽい臭いをかぐと、中学時代の昇降口を思い出す。
その時好きだった殿方や、文化祭の催し物を作るために遅くまで教室に残ったことを思い出す。

香水をつけるようになってからは、
その時につけていた香水の香りを嗅ぐと、やはり当時を思ってしまう。
切なさや悲しさ、楽しさ、やるせなさ。いろいろな思いが香りと共に私を誘う。

山田詠美の「放課後の音符」で、つけている香水を教えてくれない女子が出てくる。
この小説を読んだ高校時代から
「つけている香水名を他人に教えてはいけないんだ」と刷り込まれた私はずっとその教えを順守してきた。しかし、最近では呪縛が解けたので、この場に於いても公言できる。
私の愛用はサンローランの「Love Again」。

しかし移り気激しい私はその日のその気分で色々浮気をする。
仕事モードの日はエリザベスアーデンの「Green Tea」やジェニロペの「Stil」、
合コンの時は絶対「Baby Doll」…という風に。
今日買ったのは「Green Tea」。
爽やかな香り。
夏場限定でしかつけないが故、この香りを美に纏うと夏を感じる。

衣替えも迎え、心機一転の意味も込めて。
夏が終わるまで。

秋を迎える頃、この香りは私にどんな想い出をくれるのだろう。

【電車男】キタ━(゜∀゜)━ッ!!【エルメス】

2005年06月04日 23時48分51秒 | Weblog
行ってきますた。
「電車男」(゜∀゜)
朝一で観に行こうと思っていたが、寝坊しますた_| ̄|〇
初日だし混んでいることを想定して、都心から離れて板橋サティで観てきた。

本が出るや否や、早速購入して一日で読み終えた電車男萌え~な自分。
2ちゃん的には毒女なんだ罠_| ̄|〇
そして、殿方に生まれていたらかなりの確率でヲタクになっていたんだろうな~。
だから他人事に思えないんである、電車男を。


年齢=彼女いない歴のヲタク青年である電車男が、
商社勤務の美女エルメスに恋して成長していくストーリー。
無器用な電車男に2ちゃんねるの住人達がネット上であたたかく見守り、応援するんである。
電車男とエルメスの各駅停車みたいな恋の行方も好きだが、
一番印象的だったのはパソコンというデジタルなステージで繰り広げられるアナログ的な、言ってしまえば人間臭い生身のやりとりである。
匿名がゆえに残酷になれたり、優しくなれたり…改めて2ちゃんねるの威力を知った。

普段は「集団行動って苦手~」「自分にしか興味がない」と豪語している私だが、
パソコンの向こう側にいる電車男に精一杯の声援やアドバイスをする住人達の一体間に感動した。
映像で再現するのは無理だと思っていたスレ特有のリアルな臨場感も出ていた。

2ちゃんねるに接していないと分からないんじゃなないかなぁ…という箇所もあったが
劇場は笑いと涙に包まれていた。
「キボン」や「漏れ」など、2ちゃん用語も健在。


中谷美紀タンの美しさに萌え死にますた(;´Д`)ハァハァ
お洋服や立ち振る舞いに品格があって良かった。
中谷美紀タンってこんなに素敵な女優だったっけ?と驚いた。
電車男の一途さや優しさ、そして一生懸命さを見事に演じた山田君も良かったと思う。
パソコン購入を考えているエルメスを思って、
一人で秋葉原でカタログを漁る電車男。
説明書きされた付箋がびっしり貼られたカタログを見て
エルメスが部屋で泣くシーン…
私も泣いてしまいますた・゜・(ノД`)・゜・。

劇場を出て喫煙所で一服していたら、毒男らしき殿方が
「エルメス、水っぽかったね。もう少し素朴な方が自分的に萌え~ですた」
という会話をしていた。

殿方の意見に耳ダンボな私なのですた…。




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疲れ

2005年06月03日 23時53分47秒 | Weblog
疲れた…
疲れた 疲れた 疲れた
いっぱい「疲れた」と言っても、疲れは取れないのに、どうして人は「疲れた」をつい口に出してしまうのだろう。
誰もいない部屋で「疲れた」とはあまり口に出さない。
ということは、無意識のうちに、誰かに疲れた自分をアピールしているのではないだろうか。
また「こんなに疲れている自分。多少のミスも多目に見てくれるはず」という心理も作用しているのが伺える。当然、私も無いと言ったら嘘になる。
誰かに甘えたい、
疲れた自分を分かってもらいたい、
当然の心理だと思う。
お疲れ様…と「疲れ」に様がつくんだから、やはり疲れは勲章みたいなものなんだろう。

しかし、疲れのアピールを受ける側としてはその人が疲れていることより、その実績しか見ていない気がする。
疲れていても、人は「お疲れ様」としか言ってくれない。
冷たいけど、それが現実。
人々が欲していているのは疲れよりも実績なのだ。
そんなことは前から気付いていたはずなのに、つい口に出してしまう。
「ああ、疲れた」と。今週の私も何度呟いたことだろうか。


喫茶店でお茶を飲みながら、一週間の反省をする。
もう少し人に優しくなれたんじゃないか
誰かを傷つけていないだろうか
仕事の能率、悪いんじゃないだろうか


実績なんて大層なもの、何もない。
こんな私の疲れのアピールなんて誰にとっても騒音に価すると思う。

いつになるか分からないが、自分に自信がついた時、
「疲れちゃった~」と誰かに可愛く言いたい。

可愛く言っても異存がないぐらい若々しくいたいものだ。


水曜日

2005年06月01日 22時51分39秒 | Weblog
水曜日の夜は、コンビニでカップラーメンを買い、
食べながらanegoを観るのが常。

水曜日のこの枠は、ショムニを初め、OLモノのドラマが多い気がする。
週の真ん中。
元気力エネルギーが一番消耗しきるのが水曜日ではないだろうか。
これらの栄養ドラマのお陰で、週末まで頑張れる労働者も多いと思う。

そんな労働者の一人、私もanegoを観た後は「週の折り返し地点だ!」とポジティブになれる。
ドラマなのに、私にとっては教育テレビのような役割を果たしているんである。
しかし、anegoの奈央子同様、帰宅後はだらしない装いをし、
カップラーメン食べているんだから本当に切ない。

ラーメン食べた後、鼻をかんだティッシュをゴミ箱に投げ、アウトだった。
切なさマックスである。


世のOLってどんな風にこの時間を使っているのだろう。
ふと疑問に思った。