岐阜市の女子短期大学の学生が、イタリア・フィレンツェ市の世界遺産登録地区にあるサンタ・マリア・デル・フォーレ大聖堂に落書きしたことが発覚したことから端を発して、同様のことが相次いでニュースになった。
女子学生達は2月に6人で大聖堂を訪れ、見晴台の大理石の壁に油性ペンで、日付や自分達の名前、学校名の略称を書いた。これを後に日本人観光客が見つけ、写真に撮ってこの短大に送ったことから発覚した。短大では学生達に口頭で厳重注意し、学生と学科長が謝罪文を送ったと言う。
その後も京都の私大の学生3人がこの大聖堂の石柱に大学名や氏名を油性ペンで落書きしたことが、やはり観光客の通報で発覚した。学生達は「他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と言っているという。大学はこの学生達を14日間の停学処分にし、教会には電話で謝罪した。
さらに茨城県水戸市の私立高校の30歳の硬式野球部監督が、1昨年に新婚旅行で訪れたこの大聖堂の展望台の柱に落書きしたことも発覚した。油性ペンでハートと相合傘の図に自分と妻の名を書き込んでいた。大聖堂の近くの店でペンを渡され、落書きしてもよいと言われたと言っているようだ。この監督は茨城県では高名らしいが、高校では監督を解任した。
日本の観光地でも落書きは見られ、中には神社仏閣の柱や塀にナイフなどで彫り付けたりする悪質なものがあり、昔はいざ知らず今では決して好ましい行為とはされていない。それを外国で、それも世界文化遺産の建築物にしたのだから批判されるのは当然だろう。愚かな行為であることには間違いない。
ところが当のイタリアでは反応はまったく違うらしい。このことが報じられると、イタリアの各新聞は1面にカラー写真を使って報じたようだが、多くは日本の学校の処置が厳しすぎると驚いているらしい。中には「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と批判した新聞もあったようだ。実際イタリア人は国民性なのか、よく落書きをするらしく、真偽のほどは知らないが古代遺跡などは落書きまみれだとも言われ、その大半はイタリア人によるものなのだそうだ。ポンペイの遺跡にも当時の落書きがあり、これはそれで貴重なものらしいのだが、古代以来のイタリア人の輝かしい伝統なのかも知れない。現に今回問題になった学生や野球部監督は、現場には多くの落書きがあることにつられてやってしまったらしい。
落書きに関するイタリア人の低いモラルに同調するわけではないが、この一連の落書き騒動は、別に日本の恥を全世界に知らせた国辱事件でもないと思う。どうも今回の落書き「犯人」に対する処置は、京都の大学生に対する停学処分など学校の体面を重んじたこともあったのだろうが、少々厳し過ぎるのではないか。野球部監督の解任にしても、学校の体面のほかに夏の高校野球の時期でもあるから、例によって「高潔で厳格」な高野連への慮りがあったのだろうが、そこまでしなくてよかったのではないか。岐阜の短大生に対するように、強く注意して教会には謝罪する程度でよかったように思う。これだけの話題になったのだから、本人達は十分に懲りたと思うし、他にも身に覚えのある者はおそらく多くいて、首をすくめる思いをしているだろう。もちろん、イタリアなどでは落書きをしてもよいと言うことではなく、それは「旅の恥はかき捨て」の類の愚かしい低次元の行為として戒めていかなければならないし、日本では文化財に対する落書きなどは犯罪として、厳しく対処しなければならない。
女子学生達は2月に6人で大聖堂を訪れ、見晴台の大理石の壁に油性ペンで、日付や自分達の名前、学校名の略称を書いた。これを後に日本人観光客が見つけ、写真に撮ってこの短大に送ったことから発覚した。短大では学生達に口頭で厳重注意し、学生と学科長が謝罪文を送ったと言う。
その後も京都の私大の学生3人がこの大聖堂の石柱に大学名や氏名を油性ペンで落書きしたことが、やはり観光客の通報で発覚した。学生達は「他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と言っているという。大学はこの学生達を14日間の停学処分にし、教会には電話で謝罪した。
さらに茨城県水戸市の私立高校の30歳の硬式野球部監督が、1昨年に新婚旅行で訪れたこの大聖堂の展望台の柱に落書きしたことも発覚した。油性ペンでハートと相合傘の図に自分と妻の名を書き込んでいた。大聖堂の近くの店でペンを渡され、落書きしてもよいと言われたと言っているようだ。この監督は茨城県では高名らしいが、高校では監督を解任した。
日本の観光地でも落書きは見られ、中には神社仏閣の柱や塀にナイフなどで彫り付けたりする悪質なものがあり、昔はいざ知らず今では決して好ましい行為とはされていない。それを外国で、それも世界文化遺産の建築物にしたのだから批判されるのは当然だろう。愚かな行為であることには間違いない。
ところが当のイタリアでは反応はまったく違うらしい。このことが報じられると、イタリアの各新聞は1面にカラー写真を使って報じたようだが、多くは日本の学校の処置が厳しすぎると驚いているらしい。中には「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と批判した新聞もあったようだ。実際イタリア人は国民性なのか、よく落書きをするらしく、真偽のほどは知らないが古代遺跡などは落書きまみれだとも言われ、その大半はイタリア人によるものなのだそうだ。ポンペイの遺跡にも当時の落書きがあり、これはそれで貴重なものらしいのだが、古代以来のイタリア人の輝かしい伝統なのかも知れない。現に今回問題になった学生や野球部監督は、現場には多くの落書きがあることにつられてやってしまったらしい。
落書きに関するイタリア人の低いモラルに同調するわけではないが、この一連の落書き騒動は、別に日本の恥を全世界に知らせた国辱事件でもないと思う。どうも今回の落書き「犯人」に対する処置は、京都の大学生に対する停学処分など学校の体面を重んじたこともあったのだろうが、少々厳し過ぎるのではないか。野球部監督の解任にしても、学校の体面のほかに夏の高校野球の時期でもあるから、例によって「高潔で厳格」な高野連への慮りがあったのだろうが、そこまでしなくてよかったのではないか。岐阜の短大生に対するように、強く注意して教会には謝罪する程度でよかったように思う。これだけの話題になったのだから、本人達は十分に懲りたと思うし、他にも身に覚えのある者はおそらく多くいて、首をすくめる思いをしているだろう。もちろん、イタリアなどでは落書きをしてもよいと言うことではなく、それは「旅の恥はかき捨て」の類の愚かしい低次元の行為として戒めていかなければならないし、日本では文化財に対する落書きなどは犯罪として、厳しく対処しなければならない。