中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

山城茄子は老ひにけり

2008-07-05 09:32:29 | 身辺雑記
 きのう75歳の誕生日を迎えた。これまでは市から交付されていた「国民健康保険高齢受給者証」は、名称を「後期高齢者医療被保険者証」と変えて、県の後期高齢者医療広域連合という機関から送られてきた。これでめでたく悪名高き後期高齢者となった。

 東京の施路敏、西安の李真と謝俊麗からは朝からチャットでお祝いを言われ、上海の唐怡荷からは電話、長男や上海の梁莉、知人からはメールがあり、古い卒業生からはカードが届いた。夜はH君夫妻達が行きつけのお好み焼き屋で祝ってくれた。次男の家族、大学生の孫娘、施路敏、邵利明からはプレゼントをもらった。普段は孤独な生活だが、こうして皆の祝福を受けて幸せに思う。李真は誕生日が楽しかったら後の1年は楽しいと言ったが、どうやらこれからの1年は好い年になりそうだ。

 この年になると、誕生日には先のことに思いを向けるよりも、過ぎ去った日々を思うことの方が多くなっている。それにしても75年とは、へりくだって言えば馬齢を重ねたということになるのだろうが、それでもまあまあの歳月ではなかったかと思う。

 定年退職前に依頼されて、高等学校の全国誌に一文を投稿したことがある。退職前の心境を綴ったものだが、その出だしにその頃折に触れて読んでいた『梁塵秘抄』を引いて、こんなことを書いた。

 「・・・・数ある歌謡の中で、退職まで残すところ1年足らずという頃から、面白いと思いはじめたものに次のような一首がある。

 山城茄子(やましろなすび)は老ひにけり、採らで久しくなりにけり、
 あこかみたり、さりとてそれをば捨つべきか、
 措いたれ措いたれ種採らむ。

  『老ひにけり』にはいささか抵抗はあるが、どうも我が身に関して思うところもあるし、教師のあり様についても言えるところがあるのではないかなどと素人流の勝手な解釈をして・・・・」

 梁塵秘抄は平安後期に在位した後白河法皇(1127~1192)が編んだ今様歌謡集で、今様とは「当世風」の意である。古典の素養の乏しい私にはよく理解できない歌も多かったが、有名な「遊びをせんとや生(むま)れけむ 戯(たはぶ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」などがある。

 上の「山城茄子は老ひにけり」の歌の意味はさほど難しくはない。私がこの歌に惹かれたのは、最後の「措いたれ措いたれ種採らむ」の句だった。採られることもなく放置されて、もう打ち捨ててしまってもよいような萎びて茶色に変色した茄子だが、取っておいて中の種を採ろうと言うだけのことだが、年老いても次の世代に遺すべきものを持っているのだと解釈できるのではないかと考えた。上に引用した文の後のほうで私は、
 
 「では私の中に一粒の種子もできていないのかと問われれば、そんなことはないと答えられる。何かにつけ自分の仕事については、真剣に取り組んできたから、人がまた蒔いてくれるかどうかは知らぬが、それなりの種子はできているという自負はある」

 と書き、最後に「まず、これまでの私の中にできているはずの種子を取り出して蒔こうと思う・・・」と結んでいる。

 今読み返すと、定年を迎える直前のいささか気負った自分の気持ちが、懐かしく思い出される。そして、退職後も知的障害者関係の仕事に就き、それまでの私にはなかった体験をしたから、蒔いた種はそれなりに成長したと思う。妻が逝き、まったくの無職の年金生活者になってからは、社会に役立つようなことはしていないが、それでも中国語を習ったり、中国の恵まれない子どもたちの支援にも関わったし、中国にたびたび出かけて知見を広めたし、交友の輪も広がった。こんなこともやはり私の中にあったいくばくかの種を蒔いた結果なのだろうと思う。

 あの文を書いてから15年以上がたった。あの頃はまだ若いという気持ちであったから、「老ひにけり」にはいささか抵抗感があったが、今ではまさにその心境である。もっともそれは気力をなくした詠嘆ではない。ここまで来たのだなあという感慨を伴った、ある満足感のようなものがある。それに、何が後期高齢者だ、政治家や官僚ども、見ておれという反抗心のようなものも残っている。私の老体の中に種はまだ残っているかと言うと、どうやら残り少なくはなっているようだが、まだあるような気がする。これからも命のある限り、ぼちぼちとそれを蒔いていこうかと思っている。