中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

虐待

2008-07-23 08:29:43 | 身辺雑記
 道路わきに女性が1人しゃがんでいて、そばに3歳くらいの可愛い男の子が立っていた。母親であろう。どうやら子どもを叱っているようだった。子どもはべそをかいていたが、すぐに表情を戻して少し母親に身を寄せた。すると母親は小さいがきつい口調で何か言うと、その子を突き飛ばした。子どもはよろめいてまたべそをかいた。それを横目に見ながら通り過ぎたが、母親は相変わらずくどくどと叱りつけていた。何を言っているのかは分からなかったが、いらついていて自分が制御できない感じで、耳にしているだけでこちらの気分が波立つようだった。

 街や電車の中で母と幼児が連れだった姿をよく見かける。多くの母親は優しそうな感じで、子どもの顔も穏やかで可愛いが、中には温かさがまったく感じられない母親もいて、子どもにはほとんど無関心な様子である。そのせいか子どもにも生きいきした明るさがない。そういう母と子の様子を見ると、日常どのように子どもに接しているのだろうかと考えてしまう。中には体罰を加えるものもいるかも知れないとも思うと暗い気分になる。

 母親は父親と違って産みの苦しみを経験するから、わが子に対する愛情は本能のように持っているのだろうと思うのだが必ずしもそうではないらしい。とりわけ最近ではわが子を虐待したり、はなはだしい場合には死なせる例も少なからず聞くようになった。獣にも劣る母親が出てきているわけだ。中でも不愉快なのは、幼児を連れた母親が年下の若い男と一緒になって、男が「しつけ」と称してわが子を虐待するのを止めることをせず、時には一緒になって虐待に走ることだ。男の言う「しつけ」にも怒りを覚えるが、そんな低劣な男のなすがままになっている母親も惨めきわまるもので、誰かが言っていたが、母親を捨てて女になると始末に悪いということも頷ける。

 07年度に全国の児童相談所が対応した児童(18歳以下)虐待件数は4万を超したという。虐待の内訳は、身体的虐待、育児放棄(ネグレクト)、心理的虐待、性的虐待の4種類で、年々増加しているという。厚生労働省は虐待そのものが増えているほかに、虐待に対する社会的関心が高まっているためと見ているそうだが、最近の各家庭相互のコミュニケーションが乏しくなっている住宅事情もあって、まだまだ密室的に虐待が行われているのではないだろうかとも思う。

 最初に挙げた道路わきにいた母親の場合には、虐待をしているという証拠は何もないが、おそらく自分の感情を制御できない性格に育ったのではないだろうかと想像した。わめいたり叩いたりするほかに感情を抑えるすべを知らないのではないか。それでもわが子に対してごく普通の母親としての感情があればいいが、それさえもなければ日常的に虐待に走ってしまうのだろう。もちろん児童虐待は母親だけに限らず、父親もする。だが男に母親の母性本能のようなを求めるのは無理ではないか。もちろん虐待は決して許されることではないが、その点では男は女には劣る存在だ。男には分からないが、母親にとってわが子というものはわが身の分身として、この上なく愛しい存在ではないのだろうか。それだけに、わが子を虐待する母親の心の奥を想像すると暗然とした気持ちになる。