茨城県土浦市の教育委員会が、市立図書館にある児童生徒の文集を回収していたそうだ。文集は個人情報に当たるというのが理由らしい。
文集が個人情報と言うのは初耳だが誰が言い出したものやら、市教委の幹部あたりが言い出してそれに下の者が追随したのだろう。この文集は、教員で作る教育研究会が、毎年市内の小中学校の児童生徒の作文の中から優秀作を選び、校名、学年、氏名も掲載したもののようだが、事の発端はある新聞社が取材のため、図書館が所蔵していない年の文集の開示を市教委に求めたところ、市教委は「個人情報に当たる」として拒否し、その後、市教委は図書館に所蔵文集の撤去を求めたらしい。市教委の指導課長は「文集は不特定多数に公開しているわけではない。内容は思想信条に値し、図書館に置くべきではなかった」と説明したというが、どうも理解できにくい論理だ。そもそも文集は個人の日誌などとは違って、人に読まれることが前提になって書かれているのに、それが個人情報とされて保護の対象になるものなのか、また行政が図書館の資料を撤去できるのかと専門家から疑問視する声が出ていると言う。
個人情報に詳しい国立情報学研究所の弁護士は「文集は他人に見られるものであり、敏感な個人情報は載せない前提で作られているはず。個人情報の名を借りて情報を隠す『過剰保護』と言われても仕方がない。市教委は(文集が取材に使われることで)問題になったらどうしようと考えたのではないか」と言っているとのことである。また司書らでつくる日本図書館協会の事務局長は「図書館は独立して資料の選定にあたる責務がある。行政が図書館の所蔵に立ち入って判断するのはおかしい」という意見のようだ。
個人情報保護を保護する法律が紆余曲折を経て成立してからは、何かと言うと個人情報を盾にすることが増えたように思う。中には過剰反応と思われるものも少なくないようだ。私が経験したことでもいくつかある。高校時代に顧問をした生物クラブの卒業生達は今も時折集まっているが、昨年ある学年の元部長の世話で、何学年かの合同会があって、元部員達が集まり楽しいひと時を過ごした。後でその元部長に参加者に礼状を出したいから名簿がほしいと頼んだが、個人情報保護のことがあるから皆の了解を取るので待ってほしいという返事があって、こんなことにも個人情報かといささか鼻白む思いをし、余計な手間をかけることになったと気の毒にも思った。最近あったある学年同窓会でも、クラスの幹事が古い名簿を持っていて、個人情報のことがあるから新しい名簿が作れないと嘆いていた。味気ない時代になったものだ。
個人情報のことについては2007年2月2日のブログにも書いたから繰り返さないが、もっときちんと整理をしてどこまでが許されるかをはっきりさせることが必要ではないか。世間でもいろいろと誤解や混乱も多いようで、それに応えるインタネットのサイトもある。その中の「間違いだらけの個人情報保護」(URLは下記)と言うのを見ると、なかなか面白い。よく問題になる学校のクラスの連絡網を作ることや、クラス名簿を作ることの可否についても明確な見解とその根拠が示されている。文集については見当たらなかったが、想定外のことだったのかも知れない。
個人情報の保護は尊重されなければならないが、さりとて個人に関することは何でも個人情報として非公開だと言うのは、あまりにも過剰反応だと思うし、ぎすぎすした感じがする。しかしそうは言っても。微妙なところが分からないから、疑問は感じても、ついそうかなと思って引っ込んでしまうのが実情だろう。一方ではやたらにダイレクトメールが舞い込んだり、さまざまな勧誘、売り込みの電話がかかって来るのはいったいどうなっているのかと思ってしまう。
http://internet.impress.co.jp/kojinjohoblog/archives/2005/10/post_33.html
文集が個人情報と言うのは初耳だが誰が言い出したものやら、市教委の幹部あたりが言い出してそれに下の者が追随したのだろう。この文集は、教員で作る教育研究会が、毎年市内の小中学校の児童生徒の作文の中から優秀作を選び、校名、学年、氏名も掲載したもののようだが、事の発端はある新聞社が取材のため、図書館が所蔵していない年の文集の開示を市教委に求めたところ、市教委は「個人情報に当たる」として拒否し、その後、市教委は図書館に所蔵文集の撤去を求めたらしい。市教委の指導課長は「文集は不特定多数に公開しているわけではない。内容は思想信条に値し、図書館に置くべきではなかった」と説明したというが、どうも理解できにくい論理だ。そもそも文集は個人の日誌などとは違って、人に読まれることが前提になって書かれているのに、それが個人情報とされて保護の対象になるものなのか、また行政が図書館の資料を撤去できるのかと専門家から疑問視する声が出ていると言う。
個人情報に詳しい国立情報学研究所の弁護士は「文集は他人に見られるものであり、敏感な個人情報は載せない前提で作られているはず。個人情報の名を借りて情報を隠す『過剰保護』と言われても仕方がない。市教委は(文集が取材に使われることで)問題になったらどうしようと考えたのではないか」と言っているとのことである。また司書らでつくる日本図書館協会の事務局長は「図書館は独立して資料の選定にあたる責務がある。行政が図書館の所蔵に立ち入って判断するのはおかしい」という意見のようだ。
個人情報保護を保護する法律が紆余曲折を経て成立してからは、何かと言うと個人情報を盾にすることが増えたように思う。中には過剰反応と思われるものも少なくないようだ。私が経験したことでもいくつかある。高校時代に顧問をした生物クラブの卒業生達は今も時折集まっているが、昨年ある学年の元部長の世話で、何学年かの合同会があって、元部員達が集まり楽しいひと時を過ごした。後でその元部長に参加者に礼状を出したいから名簿がほしいと頼んだが、個人情報保護のことがあるから皆の了解を取るので待ってほしいという返事があって、こんなことにも個人情報かといささか鼻白む思いをし、余計な手間をかけることになったと気の毒にも思った。最近あったある学年同窓会でも、クラスの幹事が古い名簿を持っていて、個人情報のことがあるから新しい名簿が作れないと嘆いていた。味気ない時代になったものだ。
個人情報のことについては2007年2月2日のブログにも書いたから繰り返さないが、もっときちんと整理をしてどこまでが許されるかをはっきりさせることが必要ではないか。世間でもいろいろと誤解や混乱も多いようで、それに応えるインタネットのサイトもある。その中の「間違いだらけの個人情報保護」(URLは下記)と言うのを見ると、なかなか面白い。よく問題になる学校のクラスの連絡網を作ることや、クラス名簿を作ることの可否についても明確な見解とその根拠が示されている。文集については見当たらなかったが、想定外のことだったのかも知れない。
個人情報の保護は尊重されなければならないが、さりとて個人に関することは何でも個人情報として非公開だと言うのは、あまりにも過剰反応だと思うし、ぎすぎすした感じがする。しかしそうは言っても。微妙なところが分からないから、疑問は感じても、ついそうかなと思って引っ込んでしまうのが実情だろう。一方ではやたらにダイレクトメールが舞い込んだり、さまざまな勧誘、売り込みの電話がかかって来るのはいったいどうなっているのかと思ってしまう。
http://internet.impress.co.jp/kojinjohoblog/archives/2005/10/post_33.html