中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

トマト

2008-07-18 08:30:27 | 身辺雑記
 家庭菜園で野菜を作っているOさんから野菜をもらった。茄子、胡瓜、玉葱、じゃがいも、獅子唐、トマトなどOさんが丹精してつくったもので、どれも新鮮でみずみずしく有り難かった。Oさんは農業を始めて8年、有機野菜作りを目指しているのだそうだ。

 トマトはもちろん完熟もので、果皮は少し黒味を帯びた紅色で、小振りながらいかにも太陽の光と熱とを十分に吸い込んだ健康優良児という感じで、冷やしてかぶりつくと果汁たっぷりで、これがトマトだという旨いものだった。

           

 私は子どもの頃からトマトが大好きだった。木で完熟したもぎたてのものを食べるのは朝の楽しみだったし、もぐ時についでに葉の先を指で潰すと、青臭いトマト特有の香りがして、それも好きだった。今のトマトは昔のものに比べて青臭さが少なくなったように思う。味も糖度がどうのと言われるくらいだから甘みは増したのだろうが、それだけトマトらしい味が薄れているようだ。それにまだ青いうちに採り入れて後で熟させたものだから、口に入れた時の味や香りが違っていて、何かしら物足りない気がする。

 また形も大きさもさまざまなのは当たり前で、八百屋の店先に並んでいるものも、ごつごつ凸凹しているのが普通だった。それが今では品種改良の結果なのか形はきれいに整っている。規格がきちんと決められていて、1ケース当たり何個入るのが何級となっていると、生鮮野菜を大きいコンビニなどに納入しているH君が教えてくれた。コンビニの要求はなかなか厳しいようだ。規格にはまらないものはすべて規格外の不良品としてはねられてしまうから、昔のような凸凹した大きなものがスーパーなどの店頭に並ぶことはない。そういうものはたぶん生産者が廃棄してしまうのだろう。もったいないことだ。

 今でこそトマトはごく普通に食べられているが、50年前に私が高校の教師になった頃はそうではなかった。私が勤めた高校では夏休みに入ると、日本海に面した小さな町で1年生全員を対象として臨海学校をした。その町には今のような民宿もなかったから、町の小学校を宿舎にして、食事は町の人たちが今で言うボランティアで炊き出しをしてくれた。食事のおかずなどは素朴なものだったが、よくトマトが丸ごとつけられていた。形は不揃いでも新鮮でよく熟していて旨かったのだが、私が驚いたのはかなりの生徒がそのトマトを食べないで残すことだった。臭いが嫌いだと言う生徒がかなりあった。私の友人の1人は、海外生活もかなりしたがトマトジュースが嫌いだった。トマトジュースなどはあまり売られていなかったように思う。その頃はチーズが好きでない者も少なくなく、今時のようにトマトもチーズもたっぷり使ったイタリア料理が全盛であることを思うと隔世の感がある。

  これから盛夏にかけてトマトのシーズンである。大いに食べたいのだが、どうも昔と違ってトマトは高い野菜になったように思う。もう少し安くなってほしい。八百屋の店先に積んであったトマトが懐かしい。