3月が近づくとデパートや人形店には雛人形が並び、春めいた雰囲気になる。3月3日は桃の節句、雛祭りだが、今の新暦の3月3日はまだ春の陽気は本格的でなく、梅の季節だから、桃の花も温室栽培らしいものが花屋で見られるくらいだ。やはり桃の節句は旧暦でするほうがよいように思う。今年の旧暦3月3日は3月29日だから、この頃には桃の花は見ごろだろう。Hr君たちとその頃に和歌山にある桃の郷に行ってみようかと言っている。
旧暦3月3日は、古は上巳(じょうし、じょうみ)と呼ばれ5月5日の端午の節句などとともに五節句に一つとされた。上巳は上旬の巳の日の意味で、元来は3月上旬の巳の日であったが、古代中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったそうだ。そしてこのころが桃の季節でもあるので桃の節句と呼ばれるようになったようだ。
今では3月3日は雛祭りとなっているが、これは江戸時代からで、その起源は平安時代の京都で貴族階級の子女が御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ「雛遊び」だと言われている。優雅なままごと遊びのようなものだったのだろう。それが江戸時代になると庶民の人形遊びと節句が結び付けられて「雛祭り」の行事となった。
我が家には女の子は生まれなかったから、雛人形を飾ることはなかった。子どもの頃には妹達がいたから毎年床の間に雛壇を組んで飾った。三人官女も五人囃子も随身もあり、蒔絵を施した小さな道具類もあった。今の都会の住宅は概して狭く、床の間などはないことが多いから、このような大きな雛壇を飾ることは少なくなり、箪笥の上などに飾れるようなものが売られている。それでも何十万円かするものも多いようだ。ごく小さな内裏雛(親王)だけのものも多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/65/26c45954ead6442a2c8ea33d6736bf97.jpg)
内裏雛は男雛と女雛とが一対になっていて、平安時代の天皇と皇后を模している。よくどちらを左にするか右にするかが言われるが、唐代や日本の宮廷では左が上位とされていたので、天皇は左(向かって右)に座し、内裏雛もそれに倣った。大正時代から西洋式に天皇は右に位置するようになったので、それを真似て東京では、男雛を向かって左にする家庭が増えたが、京都を含む畿内や西日本では、旧くからの伝統を重んじて今でも男雛を向かって右に置く家庭が多く、これを「古式」と言うそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/4f/c89e0516cf8d494d445122476691a10c.jpg)
桃の節句とか雛祭りというと、何となく春めいた暖かさを感じるもので、幼少の頃は男の子であっても華やいだ気分になったものだ。私はあの赤白緑三色の菱餅の色が好きだったから、今でも和菓子屋などで菱餅を見ると嬉しいような気分になる。
インタネットより
雛人形は3日が過ぎたらすぐに片付けないと、婚期を逸するという俗信がある。昨年大阪の会社に来た邵利明(明明)に小さな内裏雛を買ってやったが、それをずっと飾っていたのでHr君がその俗信を教えてやると、明明は驚いたように「ええ、本当ですか。結婚できなくなったら、教えてくれなかった爺爺のせいですよ」と言った。中国人は若い人でも俗信や迷信を信じる傾向があるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/32/b4295a55248cfed1372d050f6c03e81b.jpg)
旧暦3月3日は、古は上巳(じょうし、じょうみ)と呼ばれ5月5日の端午の節句などとともに五節句に一つとされた。上巳は上旬の巳の日の意味で、元来は3月上旬の巳の日であったが、古代中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったそうだ。そしてこのころが桃の季節でもあるので桃の節句と呼ばれるようになったようだ。
今では3月3日は雛祭りとなっているが、これは江戸時代からで、その起源は平安時代の京都で貴族階級の子女が御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ「雛遊び」だと言われている。優雅なままごと遊びのようなものだったのだろう。それが江戸時代になると庶民の人形遊びと節句が結び付けられて「雛祭り」の行事となった。
我が家には女の子は生まれなかったから、雛人形を飾ることはなかった。子どもの頃には妹達がいたから毎年床の間に雛壇を組んで飾った。三人官女も五人囃子も随身もあり、蒔絵を施した小さな道具類もあった。今の都会の住宅は概して狭く、床の間などはないことが多いから、このような大きな雛壇を飾ることは少なくなり、箪笥の上などに飾れるようなものが売られている。それでも何十万円かするものも多いようだ。ごく小さな内裏雛(親王)だけのものも多い。
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内裏雛は男雛と女雛とが一対になっていて、平安時代の天皇と皇后を模している。よくどちらを左にするか右にするかが言われるが、唐代や日本の宮廷では左が上位とされていたので、天皇は左(向かって右)に座し、内裏雛もそれに倣った。大正時代から西洋式に天皇は右に位置するようになったので、それを真似て東京では、男雛を向かって左にする家庭が増えたが、京都を含む畿内や西日本では、旧くからの伝統を重んじて今でも男雛を向かって右に置く家庭が多く、これを「古式」と言うそうだ。
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桃の節句とか雛祭りというと、何となく春めいた暖かさを感じるもので、幼少の頃は男の子であっても華やいだ気分になったものだ。私はあの赤白緑三色の菱餅の色が好きだったから、今でも和菓子屋などで菱餅を見ると嬉しいような気分になる。
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雛人形は3日が過ぎたらすぐに片付けないと、婚期を逸するという俗信がある。昨年大阪の会社に来た邵利明(明明)に小さな内裏雛を買ってやったが、それをずっと飾っていたのでHr君がその俗信を教えてやると、明明は驚いたように「ええ、本当ですか。結婚できなくなったら、教えてくれなかった爺爺のせいですよ」と言った。中国人は若い人でも俗信や迷信を信じる傾向があるようだ。
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