行きつけの理髪店で散髪をしていたとき、私の頭の毛を刈っていた主人が突然、「こんな奴らは死刑にしてしまえばいいんだ」と吐き捨てた。店内のテレビでは、3年前に名古屋市で起きたいわゆる「闇サイト殺人事件」の被告達への判決公判が間もなく始まろうとしていることを報じていた。
この事件は実に残虐で忌まわしいもので、何の面識もない犯人達が携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトで知り合って、夜帰宅途中の31歳の派遣社員の女性を拉致し殺害した。被害者の必死の命乞いもを聞き入れず、男達は被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、ハンマーで頭をめった打ちにし、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走したという、人間性のかけらもない非道な事件だった。犯人の1人、無職の男がこの闇サイトに投稿して仲間を誘い、それに新聞拡張員だった男と無職の男が応じて共謀して実行したもので、被害者の女性とは面識のない通り魔事件だった。
名古屋地裁の裁判長はは3名の内2名に死刑を、1名に無期懲役を言い渡した。無期懲役になった男への判決理由は、犯行直後に警察に出頭したことで、インターネットで知り合った集団が発覚や逮捕が困難な点から、他の2人の逮捕に協力し、その後に起こりえた犯罪を阻止したとしたことを特に有利な事情として考慮したものという。
娘との2人暮らしをしていた母親は、極刑を求める署名運動をして海外も含めて、30万人の署名を集めたが、判決には無期懲役があったことに納得しておらず、他の2人と同様の極刑を望んでいるが、鬼畜のような男どもの理不尽きわまる犯行によって、たった1人の娘を奪われた母親として当然の感情で、たとえ死刑反対論者でもこの母親の気持ちを批判できないだろう。
死刑判決を受けた男の1人の弁護人は「闇サイトを介して形成された犯罪集団の危険性や模倣性を不当に重く量刑事情として解釈している」として控訴し、もう1人も控訴するようだ。このような弁護人の言い分は、法律的には成り立つものだろうが、何が何でも死刑を回避するための強弁としか思われない。それで加害者の人権を守ったつもりで、弁護人としての面子は立つのだろうが、人間として少しでも被害者の恐怖や無念さを思い浮かべたことはあるのだろうか。弁護ロボットのような印象さえ受けてしまう。最近凶悪な犯罪に対する死刑判決が出るたびに、弁護人のありように納得できないものを感じることはよくある。
この事件でも、被害者が1人であることからその量刑が注目されていたが、1人なら死刑が回避され、2人以上なら死刑はあるということにもどうにも納得できないものがある。「人を殺す」という異常な行為に対して、殺されたものが1人ならとか2人ならなどという「勘定」が成り立つものだろうか。その殺人の動機や行為のありようによって考えるべきだ。殺されたものの命は、犯人がどう反省しようと2度と戻ってくるものではない。殺人者の人権もあるだろうが、被害者の生きる権利が奪われたことはどうなるのか。
今回の判決は被害者が1人であっても死刑の判決となったが当然に思える。彼らに本当に罪を悔いる気持ちがあったとは思いにくい。公判中にも互いに罪をなすりつけ合い、その中の1人は交際相手に対して手紙を出し、その中で被害者が、拉致後の車中で被害者が吐き気を訴えたことに触れ「車酔いしてたら、背中とかに汗かくんだよ。芝居の上手い彼女(笑)。嘘吐き姉ちゃん。嘘なら俺の方が上手だぜ」と書いていた。被害者が包丁で脅されて震えていた場面は「がったがた。マグニチュード10?」と表現。 また事件を「仕事」と表現し「『仕事』(8月21~25日)をちゃんと覚えておこう」と書いていた。ただただこの男の異常な心に戦慄さえ覚える。被害者の女性はどんなに絶望し恐怖の中で死んでいったことか。何回死刑にしても飽き足らないくらいの野獣だ。
また、「自首」したからと言って量刑について考慮される可能性があるのもおかしなことだと思う。今回の事件で無期懲役を言い渡された男の自首した理由は、「死刑になりたくなかったから」とのことで、犯したことに対する反省はないようだ。実際、判決後に「被害者は運が悪かっただけ。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。生かしてもらえてよかった。ありがたい」と被害者や遺族を馬鹿にするようなコメントをした。このような人間はやはり死刑にすべきだったと思う。
この男に対する判決について、被害者の母親は納得せず、検察が控訴をすることを望んでいるようだが、被告達が控訴したことで裁判は高裁に移って続けられることになった。できたらこの無期懲役の男も含めて納得できる結果になるように願っている。
死刑反対論者が何と言おうと、私はこのような悪逆非道な犯罪に対しては死刑しかあり得ないと思っている。
この事件は実に残虐で忌まわしいもので、何の面識もない犯人達が携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトで知り合って、夜帰宅途中の31歳の派遣社員の女性を拉致し殺害した。被害者の必死の命乞いもを聞き入れず、男達は被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、ハンマーで頭をめった打ちにし、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走したという、人間性のかけらもない非道な事件だった。犯人の1人、無職の男がこの闇サイトに投稿して仲間を誘い、それに新聞拡張員だった男と無職の男が応じて共謀して実行したもので、被害者の女性とは面識のない通り魔事件だった。
名古屋地裁の裁判長はは3名の内2名に死刑を、1名に無期懲役を言い渡した。無期懲役になった男への判決理由は、犯行直後に警察に出頭したことで、インターネットで知り合った集団が発覚や逮捕が困難な点から、他の2人の逮捕に協力し、その後に起こりえた犯罪を阻止したとしたことを特に有利な事情として考慮したものという。
娘との2人暮らしをしていた母親は、極刑を求める署名運動をして海外も含めて、30万人の署名を集めたが、判決には無期懲役があったことに納得しておらず、他の2人と同様の極刑を望んでいるが、鬼畜のような男どもの理不尽きわまる犯行によって、たった1人の娘を奪われた母親として当然の感情で、たとえ死刑反対論者でもこの母親の気持ちを批判できないだろう。
死刑判決を受けた男の1人の弁護人は「闇サイトを介して形成された犯罪集団の危険性や模倣性を不当に重く量刑事情として解釈している」として控訴し、もう1人も控訴するようだ。このような弁護人の言い分は、法律的には成り立つものだろうが、何が何でも死刑を回避するための強弁としか思われない。それで加害者の人権を守ったつもりで、弁護人としての面子は立つのだろうが、人間として少しでも被害者の恐怖や無念さを思い浮かべたことはあるのだろうか。弁護ロボットのような印象さえ受けてしまう。最近凶悪な犯罪に対する死刑判決が出るたびに、弁護人のありように納得できないものを感じることはよくある。
この事件でも、被害者が1人であることからその量刑が注目されていたが、1人なら死刑が回避され、2人以上なら死刑はあるということにもどうにも納得できないものがある。「人を殺す」という異常な行為に対して、殺されたものが1人ならとか2人ならなどという「勘定」が成り立つものだろうか。その殺人の動機や行為のありようによって考えるべきだ。殺されたものの命は、犯人がどう反省しようと2度と戻ってくるものではない。殺人者の人権もあるだろうが、被害者の生きる権利が奪われたことはどうなるのか。
今回の判決は被害者が1人であっても死刑の判決となったが当然に思える。彼らに本当に罪を悔いる気持ちがあったとは思いにくい。公判中にも互いに罪をなすりつけ合い、その中の1人は交際相手に対して手紙を出し、その中で被害者が、拉致後の車中で被害者が吐き気を訴えたことに触れ「車酔いしてたら、背中とかに汗かくんだよ。芝居の上手い彼女(笑)。嘘吐き姉ちゃん。嘘なら俺の方が上手だぜ」と書いていた。被害者が包丁で脅されて震えていた場面は「がったがた。マグニチュード10?」と表現。 また事件を「仕事」と表現し「『仕事』(8月21~25日)をちゃんと覚えておこう」と書いていた。ただただこの男の異常な心に戦慄さえ覚える。被害者の女性はどんなに絶望し恐怖の中で死んでいったことか。何回死刑にしても飽き足らないくらいの野獣だ。
また、「自首」したからと言って量刑について考慮される可能性があるのもおかしなことだと思う。今回の事件で無期懲役を言い渡された男の自首した理由は、「死刑になりたくなかったから」とのことで、犯したことに対する反省はないようだ。実際、判決後に「被害者は運が悪かっただけ。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。生かしてもらえてよかった。ありがたい」と被害者や遺族を馬鹿にするようなコメントをした。このような人間はやはり死刑にすべきだったと思う。
この男に対する判決について、被害者の母親は納得せず、検察が控訴をすることを望んでいるようだが、被告達が控訴したことで裁判は高裁に移って続けられることになった。できたらこの無期懲役の男も含めて納得できる結果になるように願っている。
死刑反対論者が何と言おうと、私はこのような悪逆非道な犯罪に対しては死刑しかあり得ないと思っている。