中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

軍艦マーチ

2009-03-16 09:00:50 | 身辺雑記
 アフリカ・ソマリア沖に出没する海賊対策のために、2隻の海上自衛隊の護衛艦が現地に向けて広島の呉基地を出航した。自衛隊法に基づく海上警備行動での派遣命令を受けてのことだ。国会承認は受けていないので、新法を成立させての事後承認になるということで、批判もある。

 出港準備の様子をテレビで見た。慌しい中で「軍艦マーチ」が演奏されているのが聞こえた。前にも海上自衛隊の出航を報じるテレビ番組でも聞こえていた記憶がある。軍艦マーチは正式には軍艦行進曲と言うが、私のような戦争末期に少年時代を送った者にはある種の「懐かしさ」と、それが今の自衛隊で演奏されていることへの違和感とが交錯する曲だ。曲としては優れたものなのかどうかはわからないが、勇壮なこともあって、戦争中には人気があった。

 明治30年(1897年)に「此の城」、後に「軍艦」という歌詞が作られ、明治33年(1900年)に曲が付けられて「軍艦行進曲」として誕生し、旧大日本帝国海軍の公式行進曲となった。敗戦で使われなくなったが、海上自衛隊創設を機にその公式の儀礼曲となり、進水式などで演奏されるようになった。太平洋戦争中には盛んに演奏されたから、当時小学生だった私も繰り返し耳にして覚えてしまい、よく歌っていた。歌詞は2番あり、その1番は次のようなものだ。

  守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の
  浮べる城ぞ頼みなる
  浮べるその城 日の本の
  皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし

  真鉄(まがね)のその船 日の本に
  仇なす国を攻めよかし

 これには短い前奏部があって、私たちは歌うときには「タン・タン・タタタタ・タタタタ・ターン」と口ずさんでから「守るも攻むるも黒鉄の・・・」に入った。2番は「石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり」と、小学生にはいささか難しかったこともあってうろ覚えで、あまり歌った記憶がない。「龍かとばかり靡くなり」などは「立つかとばかり」だとずっと思っていた。

 「守るも攻むる」とか、「日の本に仇なす国を攻めよかし」などという歌詞だから、今の「自衛」隊にはふさわしいものとは思われない。いや、歌詞はもうお蔵入りして使うものではないと言うことなのだろうが、歌曲のメロディーは歌詞があって記憶されるもので、歌詞とメロディーは表裏一体のものだ。だから軍国少年として育った私などは、この曲を聞くと反射的に「仇なす国を攻めよかし」と口ずさんでしまう。やはり旧帝国海軍の公式曲をそのまま引き継いだのは安易だったように思う。もっとも戦後になってどういうわけかは不明だが、この曲はパチンコ店で盛んに聞かれるようになった。弾丸を撃つ(玉を打つ)ということなのか。だから、戦中のことを知らない世代の中には、なぜパチンコ屋の曲が海上自衛隊の公式の場で演奏されるのかといぶかる向きもあったかも知れない。

 ついでに、海上自衛艦旗も旧帝国海軍の軍艦旗とまったく同じデザインの十六条旭日旗だ。軍艦マーチと十六条旭日旗、何やら複雑な気持ちになる。