中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

京都大原三千院

2010-07-01 08:38:29 | 身辺雑記
 Hg君の車でHr君も一緒に京都の大原にある三千院に出かけた。いつも一緒のHg君の奥さんは糖尿病で入院中。

 大原は京都の北、いわゆる洛北の郊外にあり、現在は京都市左京区に属する。京都市の中心部から北に向かっていくとしだいに建物も少なくなり、やがて緑濃い山里に入る。この地はかつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られていたと言う。

 三千院の御殿門。


 三千院は三千院門跡とも称される天台宗の寺院で、山号は魚山。開基は最澄である。門跡(もんせき、もんぜき)とは、皇族・貴族が住職を務める特定の寺院を言う。

 三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は1871年以降使われるようになったもので、それ以前は「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」などと呼ばれ、「梨本門跡」「円徳院」などの別称もあり、「円融房」が正式の寺名だったようである(Wikipedia)。

 御殿門を入ると受付があり、ここから客殿に通る。入ったところに仏像や仏画が置かれている。


 美しい小さい空間。


 客殿から。




 客殿に面する聚碧園(しゅうへきえん)。


 清浄水。


 本殿を宸殿と言い、本尊は傳教大師作と伝えられる薬師瑠璃光如来。写真撮影は禁止である。


 宸殿から往生極楽院に通じる庭園、有清園。杉木立の中の杉苔の鮮やかな緑が美しい。




 地蔵像。

  
 往生極楽院。平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれたものである。国宝の阿弥陀三尊像を安置する。ここも堂内は撮影禁止。




 わらべ地蔵。有清園の苔の間から愛らしい顔をのぞかせている。いつの時代のものか。






 紫陽花苑。ここの紫陽花は小ぶりで 色も浅かった。








 売炭翁石仏。鎌倉時代作の阿弥陀如来像。


 観音堂。



 門前のみやげ物店。屋根は苔むし、草が生えている。