同じ題で前にも書いたが、近頃経験したことを書く。
年をとると物忘れすることが多くなるとはよく言われることだが、とりわけ人や物の名前を思い出しにくくなることは、それほど高齢にならなくても50代も半ばを過ぎると顕著になる人もいるようだ。卒業生のI君は50代も終わり頃だが、話しているとよく「ほら、あれ・・・・。あかんなあ。また、すぐ出てこん」と、もどかしそうに宙を指さし手首を振りながら言う。そんな時は私も同じだから、お互い様だよと笑うのだが、しばらくするとどちらかが、「ああ、○○だった」と思い出し、「そうそう、○○」とほっとしたような気分になる。
私もご他聞に漏れずその傾向がだんだん強くなっている。人の名前が出てこない時には、その人の顔を思い浮かべながら頭の中で、アア、アイ、アウ、アエ、アオなどと50音を組み合わせて取っ掛かりを掴もうとしたりするのだが、なかなかうまくいかない。そうこうしているうちに頭の中は空白状態になり、やがて諦めてしまう。あの思考の空白状態が無念無想の境地なのかとか、心頭滅却すればというのはあのようなものかなどと考えたりする。それなのに後になって突然、「ああ、○○さんだ」と思い出すのは一体どういうことになっているのか。前にも電車の中で、前の座席に座った中年の男性の顔に見覚えがあった。確かテレビのプロ野球中継放送の解説者だったはずだ、「世界の盗塁王」と呼ばれていたなとそこまでは思い出したが、その名前がどうしても思い出せない。まあいい、どうせまた突然思い出すだろうと思って諦めたが、やはり夜になってはたと思い当たった。「何とかモトだった。そうだフクモトだった」と思い出し、その後しばらくして「福本豊だ」と、めでたく(?)完成した。
前にHg君やHr君たちと雛人形を見に行ったときに立ち寄ったある神社で、何かの木の枝にたくさんの白いものが付着しているのを見て、「ああ、あれは・・・・」と言おうとしたが名前が出てこない。その後もずっと思い出そうとしたが結局その日はだめだった。ところが2日目かの明け方、トイレに立ってからベッドに戻り布団にもぐりこんで、もう一眠りしようと目をつぶったら、急に「地衣類」という文字が暗い中に出てきて、それがだんだん大きくなったような感じになった。はたと我に返り、「そうだ。そうだ。地衣類だった」と納得し、安心して眠りにつくことができた。
*地衣類というのは一見コケのように見えるが菌類と藻類の共生体で、乾燥に強く、地表や岩の上、樹皮上などに着生するものが多い。また極地などの厳しい環境にも生育する。梅や松、桜などの樹皮に付着し、古木じみた様相にしているのはよく見かける。
桜の樹皮で。代表的な種、ウメノキゴケの仲間か。
梅の樹皮で。
高校で生物を教えていた時にはもちろん説明もしたのだが、今になって名前が思い出せずに情けないようなもどかしさを感じたが、脳細胞の奥の方に埋もれていたものが、急に日の目を見たように思い出したわけだ。これはどのような脳の働きなのだろうかと思う。比喩的になるが脳細胞を箪笥の引き出しのようなものだとすると、たびたび中の物を出し入れしていないと、どの引き出しか分からなくなり、見つけて開こうとしてもガタが来ていてすぐには開かない。こんなことなのだろうかと思ったりする。
やがては多くの引き出しが開かなくなるようなこともあるのだろう。そういう状態の自分はどうにも哀れな存在になるのだから、考えるのは止めておこう。
年をとると物忘れすることが多くなるとはよく言われることだが、とりわけ人や物の名前を思い出しにくくなることは、それほど高齢にならなくても50代も半ばを過ぎると顕著になる人もいるようだ。卒業生のI君は50代も終わり頃だが、話しているとよく「ほら、あれ・・・・。あかんなあ。また、すぐ出てこん」と、もどかしそうに宙を指さし手首を振りながら言う。そんな時は私も同じだから、お互い様だよと笑うのだが、しばらくするとどちらかが、「ああ、○○だった」と思い出し、「そうそう、○○」とほっとしたような気分になる。
私もご他聞に漏れずその傾向がだんだん強くなっている。人の名前が出てこない時には、その人の顔を思い浮かべながら頭の中で、アア、アイ、アウ、アエ、アオなどと50音を組み合わせて取っ掛かりを掴もうとしたりするのだが、なかなかうまくいかない。そうこうしているうちに頭の中は空白状態になり、やがて諦めてしまう。あの思考の空白状態が無念無想の境地なのかとか、心頭滅却すればというのはあのようなものかなどと考えたりする。それなのに後になって突然、「ああ、○○さんだ」と思い出すのは一体どういうことになっているのか。前にも電車の中で、前の座席に座った中年の男性の顔に見覚えがあった。確かテレビのプロ野球中継放送の解説者だったはずだ、「世界の盗塁王」と呼ばれていたなとそこまでは思い出したが、その名前がどうしても思い出せない。まあいい、どうせまた突然思い出すだろうと思って諦めたが、やはり夜になってはたと思い当たった。「何とかモトだった。そうだフクモトだった」と思い出し、その後しばらくして「福本豊だ」と、めでたく(?)完成した。
前にHg君やHr君たちと雛人形を見に行ったときに立ち寄ったある神社で、何かの木の枝にたくさんの白いものが付着しているのを見て、「ああ、あれは・・・・」と言おうとしたが名前が出てこない。その後もずっと思い出そうとしたが結局その日はだめだった。ところが2日目かの明け方、トイレに立ってからベッドに戻り布団にもぐりこんで、もう一眠りしようと目をつぶったら、急に「地衣類」という文字が暗い中に出てきて、それがだんだん大きくなったような感じになった。はたと我に返り、「そうだ。そうだ。地衣類だった」と納得し、安心して眠りにつくことができた。
*地衣類というのは一見コケのように見えるが菌類と藻類の共生体で、乾燥に強く、地表や岩の上、樹皮上などに着生するものが多い。また極地などの厳しい環境にも生育する。梅や松、桜などの樹皮に付着し、古木じみた様相にしているのはよく見かける。
桜の樹皮で。代表的な種、ウメノキゴケの仲間か。
梅の樹皮で。
高校で生物を教えていた時にはもちろん説明もしたのだが、今になって名前が思い出せずに情けないようなもどかしさを感じたが、脳細胞の奥の方に埋もれていたものが、急に日の目を見たように思い出したわけだ。これはどのような脳の働きなのだろうかと思う。比喩的になるが脳細胞を箪笥の引き出しのようなものだとすると、たびたび中の物を出し入れしていないと、どの引き出しか分からなくなり、見つけて開こうとしてもガタが来ていてすぐには開かない。こんなことなのだろうかと思ったりする。
やがては多くの引き出しが開かなくなるようなこともあるのだろう。そういう状態の自分はどうにも哀れな存在になるのだから、考えるのは止めておこう。