世界には金持ちもいれば貧乏人もいる。金持ちには富裕層と呼ばれる人もいるが,貧乏人には極貧層に属する人たちもいる。いずれにしても金持ちよりも圧倒的に貧乏人が多い。
身近なところでは中国がそうだ。沿岸部の都市にはごく少数の富裕層がいるが、内陸の農村部には多数の貧困農民が存在する。そこを見ないで、最近の中国は経済が発展して豊かになったからと、中国人と言えば大方は裕福だと思っている日本人がいる。私が入っている貧困農村部の子ども達に教育援助をしている会の会員の中にも、時折そのように錯覚して、もう援助は必要ではないのでないかという人もいるが、貧困農村部の実態はとてもそんなものではないし、沿岸都市部にも多くの貧しい人たちがいる.
世界に目を遣ってみると、米国のあるコンサルト会社によると、100万ドル(約9000万円)の金融資産を持つ世帯を「富裕層」とすると、2009年は全世界で1120万世帯、その資産総額は111兆5千億ドル(約1京200兆円)となると言う。米国は470万世帯でトップ、日本は第2位、続いて中国、英国、ドイツとなっている。富裕層は世界の全世帯の1%に満たなかったが、世界の富の約38%を保有し、寡占率が前年より2ポイント高くなり、「富の集中」が一層進んだと言う。いかに富が不均衡に存在しているかが分かる。
日本の富裕層人口は約165万人で、中国の約47万人を大きく引き離している。私の身内や周辺にはそこそこの金持ちはいるが、富裕層とされるのは多分いない。私の父は一介のサラリーマンで、とくに晩年は貧しかったし、私自身も金融資産などはまったくと言っていいくらいの無いに等しいものだから、いわゆるお金持ちの生活というものを知らない。まして富裕層などと言われる人たちがどのような生活をしているのか想像もできない。違った世界なのだろうと思う。
前の首相は政治家としてはトップクラスの資産家で、同じく政治家の弟と、毎月母親から1500万円をもらっていたことが話題になったが、本人は知らなかったと言っていた。そのような言い訳を口にするところはまさに金持ちのぼんぼんで、知らぬはずはないとだいぶ攻められたが、ひょっとすると本当に知らなかったのかも知れないと思ったりする。前首相は「宇宙人」などと言われたが、まったくそのような気がしてくる。
Hr君やHg君と話をしていると、Hr君に「月に1500万もらったら何に使います?」と聞かれた。急に改まってそのように聞かれると、貧乏性が身についた悲しさ、答えられなかった。少しはましな家を建て、こんなことに使い、あんなものを買い、かねがね思っている寄付もしてなどと言っても、「毎月ですよ」と念を押されるとそれ以上は思いつかない。そもそも金があると何かを買ってという考えそのものが、普段まとまった金に縁がない者の発想なのかも知れない。資産は増やすものと考えるべきなのだろうが、そうするとまた増やしてどうなるのだろうと考え、死んだらそれまでじゃないかと思ってしまう。それは貧乏人の負け惜しみだと言われればそうかも知れない。
身近なところでは中国がそうだ。沿岸部の都市にはごく少数の富裕層がいるが、内陸の農村部には多数の貧困農民が存在する。そこを見ないで、最近の中国は経済が発展して豊かになったからと、中国人と言えば大方は裕福だと思っている日本人がいる。私が入っている貧困農村部の子ども達に教育援助をしている会の会員の中にも、時折そのように錯覚して、もう援助は必要ではないのでないかという人もいるが、貧困農村部の実態はとてもそんなものではないし、沿岸都市部にも多くの貧しい人たちがいる.
世界に目を遣ってみると、米国のあるコンサルト会社によると、100万ドル(約9000万円)の金融資産を持つ世帯を「富裕層」とすると、2009年は全世界で1120万世帯、その資産総額は111兆5千億ドル(約1京200兆円)となると言う。米国は470万世帯でトップ、日本は第2位、続いて中国、英国、ドイツとなっている。富裕層は世界の全世帯の1%に満たなかったが、世界の富の約38%を保有し、寡占率が前年より2ポイント高くなり、「富の集中」が一層進んだと言う。いかに富が不均衡に存在しているかが分かる。
日本の富裕層人口は約165万人で、中国の約47万人を大きく引き離している。私の身内や周辺にはそこそこの金持ちはいるが、富裕層とされるのは多分いない。私の父は一介のサラリーマンで、とくに晩年は貧しかったし、私自身も金融資産などはまったくと言っていいくらいの無いに等しいものだから、いわゆるお金持ちの生活というものを知らない。まして富裕層などと言われる人たちがどのような生活をしているのか想像もできない。違った世界なのだろうと思う。
前の首相は政治家としてはトップクラスの資産家で、同じく政治家の弟と、毎月母親から1500万円をもらっていたことが話題になったが、本人は知らなかったと言っていた。そのような言い訳を口にするところはまさに金持ちのぼんぼんで、知らぬはずはないとだいぶ攻められたが、ひょっとすると本当に知らなかったのかも知れないと思ったりする。前首相は「宇宙人」などと言われたが、まったくそのような気がしてくる。
Hr君やHg君と話をしていると、Hr君に「月に1500万もらったら何に使います?」と聞かれた。急に改まってそのように聞かれると、貧乏性が身についた悲しさ、答えられなかった。少しはましな家を建て、こんなことに使い、あんなものを買い、かねがね思っている寄付もしてなどと言っても、「毎月ですよ」と念を押されるとそれ以上は思いつかない。そもそも金があると何かを買ってという考えそのものが、普段まとまった金に縁がない者の発想なのかも知れない。資産は増やすものと考えるべきなのだろうが、そうするとまた増やしてどうなるのだろうと考え、死んだらそれまでじゃないかと思ってしまう。それは貧乏人の負け惜しみだと言われればそうかも知れない。