元気いっぱい、矍鑠としてということではないが、とにもかくにも馬齢を重ねながら大過なく喜寿を迎えることができた。まずはめでたいことだと言うべきだろう。
私の父も7月生まれだったが、喜寿を迎える誕生日の前の2月に癌で死んだ。もっとも還暦とか喜寿などは、数え年でするという向きもあるから、父も喜寿を超えたということになるのだが、現在の年齢は満年齢で数えるから、喜寿などについてもそうなっている。自分の喜寿などにはあまり関心がなかったが、70半ばになると、せめて父親の年齢は超えたいと思うようになった。別にカウントダウンと言うことではないが、やはり今年の誕生日は例年とは少し違った感じで迎えたように思う。還暦の年の誕生日はまだ現役で迎えたから、いよいよ定年だなと、やはり人生の一区切りという意識はあったが、喜寿は取り立てて言うこともない。
それでも、2月には高校の生物部の卒業生達が50余名集まって喜寿を祝ってくれたし、つい先日は昔担任したクラスの生徒達が10数名集まってくれて楽しく過ごした。有難いことだと思う。
誕生日は日曜日だったので、次男の家族と神戸で会い、フランス料理で祝ってもらった。このところ誕生日は独りで過ごすことが多いので、久しぶりに誕生日の気分を味わうことができた。やはり家族に「おめでとう」を言われると華やいだ気分になるものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/0c/b1b721e649fe9094360274c9828c8067.jpg)
息子からのプレゼント。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/37/40665eeb2d89da3d31509c7b3d9b7543.jpg)
今年は思いがけないことに中国の友人からプレゼントが2つ届いた。1つは西安の謝俊麗の家族からのワレットで、とても気に入った。小包の箱には差出人として俊麗と夫君の劉凱君の名前があったが、その後に息子の撓撓(ナオナオ)の劉東易(リュウ・トンイ)の名も書いてあったのは、何か可愛く、嬉しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d6/7728d5f4580b607732628d5a3bb23ce1.jpg)
もう1つは新疆ウイグル自治区のウルムチに住む趙戈莉(チャオ・カリ)からの新疆南部の玉(ぎょく)の産地として有名な和田(ホウタン)の子玉という玉のペンダント。和田を流れる白玉河で採れた白い玉で、戈莉の夫君の愛蔵品の一つを贈ってくれたようだ。真っ白ではありませんがと戈莉は手紙に書いているが、なかなか良いものらしい。喜寿だからと特に気を遣ってくれたようで、その心遣いが有難かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e0/98eaf4215b39d8cd6e4cfa1e71d7d23b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/94/c5636622776656ea60bc35c193d7840d.jpg)
とにかく当面の目標だった喜寿はクリアできた。そうするといささか欲も出てきて、次の目標は80歳、傘寿ということにした。後3年だから、今の調子で行けば何とかなるのではないか。半寿(文字を分解すると八十一)と言うものもあるそうだ。その後は母の年齢を超えることだが、母は86歳で死んだから、これはいささかハードルが高い。その後は88歳の米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿となるが、どれも遙か彼方で、目標にするには遠すぎる。
頑健と言う体ではないが、これと言った病気をすることもなく、元気でここまで来られたのは,まさに「喜」ばしいことだが、これも日常の食生活に気を遣ってくれた亡き母や妻のお蔭だと思って感謝している。
何か満ち足りた気持ちで帰宅すると、妻の弟の連れ合いと、糖尿病で入院中のHg君の奥さんからお祝いの電話が入っていた。東京にいる上海人の施路敏からもおめでとうと電話があり、プレゼントを送った、長生きして私の花嫁姿や子どもを見てねと言った。県内に住む知人の女性や上海の唐怡荷(タン・イフ)からは祝いのメールがあった。怡荷のメールには「今日は面(麺)を食べてください」とある。麺は中国では長寿のしるしである。
良い一日だった。
私の父も7月生まれだったが、喜寿を迎える誕生日の前の2月に癌で死んだ。もっとも還暦とか喜寿などは、数え年でするという向きもあるから、父も喜寿を超えたということになるのだが、現在の年齢は満年齢で数えるから、喜寿などについてもそうなっている。自分の喜寿などにはあまり関心がなかったが、70半ばになると、せめて父親の年齢は超えたいと思うようになった。別にカウントダウンと言うことではないが、やはり今年の誕生日は例年とは少し違った感じで迎えたように思う。還暦の年の誕生日はまだ現役で迎えたから、いよいよ定年だなと、やはり人生の一区切りという意識はあったが、喜寿は取り立てて言うこともない。
それでも、2月には高校の生物部の卒業生達が50余名集まって喜寿を祝ってくれたし、つい先日は昔担任したクラスの生徒達が10数名集まってくれて楽しく過ごした。有難いことだと思う。
誕生日は日曜日だったので、次男の家族と神戸で会い、フランス料理で祝ってもらった。このところ誕生日は独りで過ごすことが多いので、久しぶりに誕生日の気分を味わうことができた。やはり家族に「おめでとう」を言われると華やいだ気分になるものだ。
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息子からのプレゼント。
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今年は思いがけないことに中国の友人からプレゼントが2つ届いた。1つは西安の謝俊麗の家族からのワレットで、とても気に入った。小包の箱には差出人として俊麗と夫君の劉凱君の名前があったが、その後に息子の撓撓(ナオナオ)の劉東易(リュウ・トンイ)の名も書いてあったのは、何か可愛く、嬉しかった。
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もう1つは新疆ウイグル自治区のウルムチに住む趙戈莉(チャオ・カリ)からの新疆南部の玉(ぎょく)の産地として有名な和田(ホウタン)の子玉という玉のペンダント。和田を流れる白玉河で採れた白い玉で、戈莉の夫君の愛蔵品の一つを贈ってくれたようだ。真っ白ではありませんがと戈莉は手紙に書いているが、なかなか良いものらしい。喜寿だからと特に気を遣ってくれたようで、その心遣いが有難かった。
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とにかく当面の目標だった喜寿はクリアできた。そうするといささか欲も出てきて、次の目標は80歳、傘寿ということにした。後3年だから、今の調子で行けば何とかなるのではないか。半寿(文字を分解すると八十一)と言うものもあるそうだ。その後は母の年齢を超えることだが、母は86歳で死んだから、これはいささかハードルが高い。その後は88歳の米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿となるが、どれも遙か彼方で、目標にするには遠すぎる。
頑健と言う体ではないが、これと言った病気をすることもなく、元気でここまで来られたのは,まさに「喜」ばしいことだが、これも日常の食生活に気を遣ってくれた亡き母や妻のお蔭だと思って感謝している。
何か満ち足りた気持ちで帰宅すると、妻の弟の連れ合いと、糖尿病で入院中のHg君の奥さんからお祝いの電話が入っていた。東京にいる上海人の施路敏からもおめでとうと電話があり、プレゼントを送った、長生きして私の花嫁姿や子どもを見てねと言った。県内に住む知人の女性や上海の唐怡荷(タン・イフ)からは祝いのメールがあった。怡荷のメールには「今日は面(麺)を食べてください」とある。麺は中国では長寿のしるしである。
良い一日だった。