中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

七夕

2010-07-08 09:26:15 | 身辺雑記
 7月7日、当地では夕方になってから曇となった。日中は湿度が高く蒸し暑かったから、夜の曇り空は仕方がないことだろう。テレビの気象情報では「あいにくの曇り空で」ということが多いが、だいたい新暦の7月7日は日本では梅雨のさなかだから晴れることはなかなか期待できない。これでは七夕の主役の牽牛(彦星)と織姫が、天の川を渡って年に一度の逢瀬を楽しむのは無理だ。雨の日は天の川は増水して渡れなくなるのだそうだ。

 七夕を「たなばた」と読むのはいつごろからなのか。本来は「しちせき」と読む。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と表記した。七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから七日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったとも言われているようだ(Wikipediaによる)。

 七夕は中国や日本の節供で、正月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、9月9日(重陽)とともに五節供の一つとされ、旧暦7月7日の夜に行われる。牽牛と織姫のためにも七夕は旧暦で行うのがいい。今年の旧暦7月7日は、新暦では8月16日で、これなら晴れることは多いだろう。

 七夕伝説は、中国の由来のものだが、ある飲料メーカーの調査では案外知られていないこともあるようだ。天帝の娘の織姫は、牽牛と結婚してから、自分の仕事の機織に精出さないようになり、天帝の怒りに触れて天の川の両岸に引き離されて、年に一度だけ会うことを許されたという伝説で、牽牛と織姫は夫婦なのだが、恋人同士と思っている人が8割はいたそうだ。天の川を隔てて恋い慕うというイメージがそう思わせるのかも知れない。

 左上織姫、右下牽牛
 
 短冊に願い事を書いて笹の枝に吊るす風習は江戸時代から始まった日本独特のものだそうだ。「五色の短冊 私が書いた」と歌われる五色は、緑、紅、黄、白、黒が本来のものだが、黒は今は見られないようだ。昔は家々に見られたが、今ではかなり廃れてしまっている。中国では五色の糸を吊るすと言う。

http://www.geocities.jp/koji_ito_gassyou/tanabatasama.html



 もう60年も前のこと、私の家は滋賀県大津にあったが、夏の夜は庭に茣蓙を敷いて夕涼みしながら家族と話し合ったりした。空気はひんやりして空は真っ暗で、それこそ銀の砂をちりばめたような天の川が天空にかかり、すばらしかった。私がもう一度見たいものは天の川と、澄み切った空に浮かぶ中秋の名月だ。それにあの一家揃っての夕涼みの雰囲気が懐かしい。