中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

PHS

2010-07-06 09:10:58 | 身辺雑記
 この数日、消灯前のベッドで、小沢昭一『川柳うきよ鏡』(新潮新書)を読んだ。何年か前に買ったもので、2004年の発行。平成6(1994)年から平成14(2002)年に雑誌『小説新潮』に掲載された読者の作品に、著者がコメントをつけた内容になっている。今から8~16年前の世相を映し出した句が多いから、ああ、こんなこともあったなと忘れかけていたことを思い出させる。

 その中の平成10(1998)年のものに、

  PHSが育てる軽い人

 というのがあった。PHSは現在普及している携帯電話とは違った様式の移動電話で、平成7(1995)年にサービスが開始された。私も最初はPHSを持ったが、音質は良いのだが、基地局の設置の関係で移動すると音声が途切れやすいこともあったし、私の家の近くの基地局は少し離れた所にあったので、家の中でも受信できないところがあり、不便なのでやがて普通の携帯電話(PDC)に換えた。

 現在のような携帯全盛の時代には、上の川柳の意味はちょっと理解しにくいが、著者のコメントは次のようなものだ。

 「だけどここへきて急にみんな、何んであんなにイドーしながらしょっ中携帯電話を耳に当ててなきゃなんないの? ドコモかしこも街中〝鶴田浩二〟ばかり。なんだかウスッキミ悪い世の中で、ふと思ってしまうのは―日本中電話しながら 亡びけり」

 この〝鶴田浩二〟も私には分からなかったが、後ろの解説を見ると、昭和45(1970)年に発売された『傷だらけの人生』という歌をを歌うときに、鶴田浩二が片耳に手のひらを当てるのが印象的だったそうで、40年も前の何とも古い話だ。

 それはともかくとして、この平成10年ごろはまだPHSも含めて携帯電話は出始めで、街中を携帯で話しながら歩く姿は軽薄にも思われることもあったのだろう。

 それから10年以上たった現在、著者のコメントも今では時代遅れと思わせるほど携帯は普及し、どこもかしこも携帯だらけだ。中には仕事に必要なものももちろんあるのだろうが、電車などで見かけるのはおよそ不要不急と思われるのが多い。これまでに何度か書いたが、街では依存症ではないかと思われる姿が氾濫している。今の携帯は話すよりも見るものになっているから、電車の中などでは〝鶴田浩二〟はあまり見かけない。しかしじっと無表情に画面に見入っている姿は、やはり「なんだかウスッキミ悪い」感じで、「携帯が育てる気味の悪い人」というところだ。