中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ある出来事

2010-07-19 09:42:28 | 身辺雑記
 読んでいる新聞の生活欄に「ひととき」という読者の寄稿欄がある。今日(14日)の生活欄に、6月2日の69歳の全盲の女性の投稿が再掲され、その反響が紹介してあった。女性の文章は次のようなものだ。

 私は全盲で、盲導犬と共に行動しています。先日、大阪駅前のバス停でバスを待っていると、前に並んでいた女性から「犬を連れてバスに乗るつもり?」と非難されました。バスに乗ると、その女性も乗り込んできて「ばばあ、さっさと降りやがれ」と口汚くののしるのです。ほかのお客さんは「乗ってたらいい」と言ってくださいましたが、私は降りることにしました。トラブルが大きくならないようにと、と願ったのです。こんな時、どうすればよいのでしょう。

 まことにひどい話で、とんでもない女がいるものだと腹が立ったが、新聞社でトラブルがあったバスを調べた結果、大阪市交通局の市バスの車内でのことだったことが分かった。交通局によると運転手はこのことを把握していて、「女性」とされた人物は実際は30代くらいの男性だったそうだ。声の高い人物だったので、視覚障害の女性は、女性だと勘違いしたようだ。

 それにしてもこの男、いったいどのような職業で、どのような環境に生活し、どのような育ちをしたのだろう。今の世の中に、このような輩がいまだにいるとは信じられない気がするが、おそらく下等な心情の人間なのだろう。女性が降りた後でどのような顔(ツラと言いたいが)をしていたのか。他の乗客はどのような気持ちでこの劣悪な男を見ていたのだろうか。それにしても、運転手はなぜ、「盲導犬の乗車は認められています」と言って女性をかばわなかったのか。その男が強面で、トラブルを恐れたのか。どうにも釈然としない。

 この投書が掲載されると反響は大きく、励ましやアドバイスが多数寄せられたと言う。しかし実際には車内などで嫌な思いをした障害者は少なくないようで、まだまだ日本の社会は未熟だと思う。私は道や駅などで視覚障害者が1人でいるときにはできるだけ手助けするようにしている。ある私鉄の駅で降りたときには視覚障害の人の介添えをして感謝されると同時に、介添えの仕方を教えられて勉強になったことがある。盲導犬を連れた人の手助けはしたことはないが、その場合には、可愛いからといって犬をじっと見つめたり、食べ物を与えたり、触ったりしては犬の気が散るからいけないのだそうだ。私は犬が好きで可愛いと思うから注意する必要がある。

 障害者など「社会的弱者」とされる人たちに哀れみや、過度の同情の念を持つことは不要で、同じようにこの社会に生きる者として少しでも役立つようにしなければならない。それが「共(に)生(きる)社会」と言うものだ。