中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

万博制覇

2010-06-19 08:32:55 | 身辺雑記
 愛知県瀬戸市の61歳の主婦が上海万博のパビリオンなど全373施設を「制覇」したというニュースを読んだ。

 この女性は上海万博「全184日間皆勤」を目指して、約5カ月前から上海に移り住んで、上海万博の魅力を伝えようと、ボランティアガイドとして会場に通っているのだそうだ。すでに184日分の入場券は入手しているとのことだ。彼女は05年の愛知万博で全185日間通い続けたそうだが、今回は5月1日から38日間でパビリオンの他に公園やイベント広場などの全施設を回ったようで、「万博ママ」と親しまれていると記事は伝えている。

 万博にはまったく関心のない無粋な私にとっては、感心するよりも何とも呆れてしまい、失礼ながら「奇人」にも思えてしまう。準備のためなのか、5ヶ月前に上海に移住し、全期間中滞在して会場に行くとは、主婦とは言うが、いったいどういう身分なのだろう。体力もさることながら、よほど時間とカネとに恵まれているのではないだろうかと下種の勘ぐりをして、結構なことですなあと思ってしまう。私にはとても理解できないが、万博の「魅力」か「魔力」とか言うものがあって、それに取り付かれているのだろう。

 人によって人生の目的やエネルギーを集中することはさまざまだから、別に万博に熱中する人がいても不思議ではないが、この女性の場合は並外れていて、大方の常識を超えている。「全184日間皆勤」することにどれほどの意味があるのだろう。ギネス世界記録にでも申請するのか知らんと思って調べてみると、この女性、やはり万博観覧の世界記録保持者なのだそうだ。いやはや。


家族葬

2010-06-18 09:29:44 | 身辺雑記
 半月ほど前にHr君の母親が亡くなった。何年か高齢者の療養施設に入居していたが、亡くなる前はずっと意識のない、眠ってばかりいる状態が続いていた。高齢だし、一時は危篤状態に陥っていたこともあって覚悟はできていたし、前から家族葬にすると決めていたから、無事滞りなく済んだようだ。

 私の母や妻の葬儀をした葬祭会館では家族葬用の比較的小さい部屋もあって、Hr君の母親の葬儀はそこで行ったようだが、話を聞いてみると使用料は結構な価格だ。それに仏式で行ったからそちらの費用もかなりかかったとのことだったが、それでも会葬者や遠くの親戚がないだけ楽だったようだ。

 近頃は家族葬を行う家は増えているらしい。ちょうど同じ頃に知人の義兄が亡くなり、やはり同じ会館で仏式の家族葬をしたと聞いた。退職後だいぶたっていたので家族葬にしたようだ。それでも市の小学校長会の会長も勤めた人だったから、関係方面に知らせることはしたらしいが、家族葬でと伝えたので会葬者はなかったとのことだった。

 私も家族葬にしてほしいと思っている。先日弟と食事した時、弟もその意向だということを知った。お互いに現役を退いて10年以上たつのだから、ひっそりやってほしいというのが願いだ。私は息子夫婦や孫達に見送ってもらえれば満足だ。まだそのことはきちんと息子達に伝えていないが、いずれは話すつもりだ。小学校教師の次男はおそらく分かってくれるだろうが、企業に勤めている長男は少々固いところがあるから説得が必要かも知れない。

 家族葬よりもっと簡易な直葬というのがある。これは例えば病院で死んだら葬儀はせずに、そこからすぐに火葬場に持っていくもので、いくら何でもこれはあっさりし過ぎているから希望しない。子ども達にも少しは落ち着く時間が要るだろう。

 墓のことも頭が痛い問題らしい。私の家は東京の谷中霊園に墓があるからいいが、新しく造ろうとすると、ずいぶん高いものらしい。時々霊園から勧誘の電話があるが、関係のないことだから気が楽だ。自分の代から家の墓を造ってくれた祖父に感謝している。

 墓などは不要という人のために、樹木葬というのがある。前にテレビで見たことがあるが、関東か東北のある寺の裏山はその寺の所有地で、雑木林のようになっている。その中の気に入った木を選んで、その根元に遺骨を埋める。それだけだ。寺ではしばらくの間は供養してくれる。供養はどうでもいいが自然に還るという点ではいいことだなと思った。

 撒葬というのもある。自分が気に入っていた場所に遺灰を撒くというものだが、しょせんは無機物になった灰だ。ちょっと感傷的な感じもする。私には特に撒いてほしい場所はない。庭に埋めてもらってもいいが、これは法律上いけないのだそうだ

 あれこれ死んだ後のことも考えなくてはならないのは煩わしいことだが、あまりドライに考えないほうがいいのかも知れない。もっともドライの程度は人さまざまだから、私が希望している家族葬も人によってはドライで味気ないと言う人もいるだろう。とにかく後残された時間はあまりないようだから、何とか落ち着かせよう。

ハナショウブ

2010-06-17 09:07:08 | 身辺雑記
 尼崎市の農業公園にハナショウブ(花菖蒲)を観に行った。梅雨入りの翌日だったが幸い雨は降らず、日がさして蒸し暑かった。





 公園は広くてよく整備され、ハナショウブのほかにも花期の終わったボタン、盛りを過ぎたバラ、これからが見頃のアジサイなどがある。ハナショウブはちょうど見頃だった。

 73種類、約2万5千株あると言う。













 ハナショウブはアヤメ科アヤメ属で、アヤメとカキツバタも同じ科、属。「いずれがアヤメかカキツバタ」と言われるようによく似ている。

アヤメ 

カキツバタ

 ハナショウブは外花被片に黄色い斑紋があるのがアヤメやカキツバタと見分ける特徴だそうだ。





























 ほとんどが紫系や白色系で、黄色はこの花だけだった。



 ハナショウブは成熟した女性の堂々とした美しい容姿を思わせる華麗な花である。

はやぶさ(2)

2010-06-16 10:56:57 | 身辺雑記
 私は高校生のころから物理学や工学は苦手で、その方面のニュースにはほとんど関心はなかったが、糸川英夫博士の名前は、博士が主導して開発した「ペンシルロケット」の名称とともによく記憶に残った。ペンシルロケットは将来のロケット旅客機の開発を視野に入れて、東京大学生産技術研究所が、ロケット推進の研究目的で1954年から開発、実験した戦後日本初の実験用ロケットで、鉛筆のような形状だということで愛称となった。予算上の制約から超小型の火薬式のもので合計150機余りが製造され実験されたが、その方針はその後、ロケット旅客機から観測ロケットへ変更された。

 1954年と言えば私が大学3年生の時で、映画館でのニュースか何かでその実験の様子を見たことがあるか、中には失敗の場面もあったし、打ち上げるのでなく水平に飛ばしていたように思う。何しろ20~30センチくらいの小さいもので、門外漢で無知な私には何かおもちゃのようなちゃちな感じがしたものだ。しかし、単体でロケットシステムとして成立しており、その後の研究のデータとしては役に立ったそうだから、今回のはやぶさを打ち上げた技術もその延長線上にあるもので、思えば日本のロケット技術はもちろん、観測機器の制御の技術もこの60年近くの間に長足の進歩を遂げたものだ。

 私はは7年前のやぶさの打ち上げのニュースはほとんど記憶にはないが、イトカワに着陸したことは覚えている。熱烈なファンでもない限り、大方の関心は私程度とは思うのだが帰ってくるとなると、ニュースの量が増え俄然関心が高まったようだ。そしてしだいに熱狂的になったようで、例によって情緒的な報道の仕方もあって、「健気なはやぶさの姿に涙が出ました」などと感情移入する人も多くなり、「はやぶさ君」というキャラクターが出てきたり、中には「はやぶさに国民栄誉賞を」などという提案も出ている。日本では日常接したり使っているものや生き物を擬人化することは昔から行われているが、これは外国人には奇妙に映るらしい。私は過度の感情移入には付いていけないところがあるし、まして国民栄誉賞などという提案には、まじめな提案者には悪いが、いささか辟易した。

はやぶさ

2010-06-14 09:50:55 | 身辺雑記
 7年前に打ち上げられた小惑星探査機はやぶさが、60億キロの宇宙の旅を終えて帰還した。この探査機は小惑星「イトカワ」に着陸し、その地表の砂を持ち帰るという世界初の快挙と大いに注目を集めた。はやぶさは大気圏に突入して燃え尽きる前に、イトカワの砂が入っているのではないかと期待されているカプセルを放出し、これは回収できたようだ。

 NHKオンラインより

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100614/k10015087141000.html

 「イトカワ」は地球から3億キロ離れた宇宙空間にある太陽系の小惑星で、1998年に米国の研究所のチームによって発見され、その後日本の宇宙科学研究所の依頼によって日本のロケット開発の父とされる故糸川英夫博士の名前が国際天文台連合によって2003年に承認された。非常に小さな惑星で、三軸径は535 × 294 × 209 mしかない。形は不規則で、仰向けになっているラッコとも、サツマイモとも形容される。

         

 その小さな天体に向かって観測機を打ち上げて、7年かかって到達、帰還させたり、途中でのさまざまなトラブルを解決したりする制御技術はたいしたものだと思う。すでに日本は気象衛星ひまわりや金星探査機あかつき、月探査機かぐやなどの打ち上げで、技術の高さを世界に示してきたが、ここにまた大きな成果を上げることができた。


猫好き、猫嫌い

2010-06-14 08:24:55 | 身辺雑記
 私はこの10年来猫を飼っている。これまでにも紹介したことはあるがミーシャというメス猫だ。まあペットなのだろうが、それほどのものではなく、血統書付きでもなく、もとは捨て猫だったのを貰い受けた。妻がいた頃には2度犬を飼ったことがあり、猫には関心がなかったが、今は猫好き、猫党だ。

            
          
 猫好きの者は、猫は犬と違って人に媚びないで超然としているのがいいと言い、猫嫌いはそこが気に食わないし、犬は明るいが猫は陰気だとも言う。私は今では猫好きだから、やはり猫の超然としているところが好きだと思う。猫にもさまざまな個性があるようだから一概には言えないのかも知れないが、ミーシャの場合はしょっちゅう「我関せず焉」という態度ではなく、時々ニャアニャア啼きながら寄って来て膝の上に乗ったりするし、胸のあたりにすがるようにしてうずくまることもあり、夜はそばに来て眠っている。それがまた可愛い。こういうことを言い出すと親バカのように切りがないからこれくらいにしておくが、いずれにしてもペットと言うよりは同居人のようなものだ。

            

 これはおととしに撮ったものだが、この頃に比べると最近は毛の艶が乏しくなってきたように思う。もう10歳を超えているから、人間で言えば中年なのだろうが至って元気だ。

 中国の作家の魯迅は猫嫌いで知られていたようで、論敵から揶揄や攻撃を受けたようだが、彼の場合は猫に対しては嫌いと言うよりも憎悪を抱いていたらしい。幼少の頃彼は蛇に襲われた小さい鼠(親指くらいの大きさで、二十日鼠のようなものらしい)を助けて介抱したのだが、それ以来その小鼠は彼に馴れて、自由にあたりを動き回るようになったのでひどく可愛がっていた。ところがあるとき急に姿を見せなくなり気をもんでいると、彼の世話のために住み込んでいた阿長という呼び名の保姆(うば)が、鼠は猫に食われてしまったと告げた。後で分かったことは、その鼠は阿長の足に這い上がろうとして彼女に踏み殺されたのだが、当初はそうとは知らなかった幼い魯迅は猛然と憎悪に駆られて、それからは猫を見れば追い回したり、石を投げたり、棒でぶちのめしたりしたらしい。その後北京に移ってからも飼っていた子兎たちを猫が殺したので、彼の言うところによると「旧い怨みに新しい憎悪が加わって」、いっそう猫を目の仇にしたと言うことだ。彼の小品『犬・猫・鼠』には猫嫌いになったいきさつが縷々述べられているが、ここまで猫嫌いが徹底するとかえって面白い。

 我が家のミーシャは、多分都会で飼われているどの猫もそうだろうが、狩をするようなことは滅多にない。トカゲやバッタを獲ったことはあるが、もし鼠を見でもしたら恐れてすくんでしまうのではないだろうか。「鼠など獲ることなくて猫が逝く」という句があった。

 ミーシャはあと何年生きるのだろう。20歳まで生きると言われもするから、そうすると後10年だ。残したらかわいそうだと思うのだが、あと10年は私にとってはちょっと厳しい。とにかく、これからしばらくは長生き競争だ。





2010-06-12 09:07:19 | 中国のこと
 西安の謝俊麗に「我愛你(ウォアイニィ)と我想你(ウォシャンニィ)とはどう違うのか」とチャットで尋ねると、大笑いの絵文字付きで「どういう目的でそんなことを知りたいの。まず教えて」と返ってきた。

 とくに誰かに使おうとしているわけではないが、好きな相手に自分の気持ちを表すのに意味の違いがあるのかと思っていたからだ。「我愛你」は英語の「アイ・ラブ・ユー」の直訳のような言葉だが、これは少し仰々しいものかと思っていて、では「我想你」はそれよりも軽い意味で使うのか、「アイ・ライク」くらいの意味かと思ったりしていた。

 前に西安に行った時、迎えに来た明明(邵利明)と車に乗って空港から市内に向かう途中で、CDの曲が流れてきた。私の好きな「月亮代表我的心」(月は私の心)で、出だしの2句目に「我愛你」という言葉がある。このときはメロディーだけだったので、私はその部分で「我愛你だね」と明明に言うと、彼女はちょっと慌てたように「そんなことは言わないで。ドライバーが誤解します」と言った。語尾の「・・・・だね」は日本語でドライバーには分からないから、私が明明に「愛しているよ」と言ったのだ、年輩の男が若い女性にはしたないと思われると、明明は気を回したのだろう。そのときに、そうか「我想你」はデリケートな感じのものなのか思った。

 その後、これは前にも書いたことだが、西安や上海の結婚している友人達に、夫婦の間で「我愛你」を使うかと尋ねた。若い恋人同士や結婚して間もない時だったら使うこともあるが、夫婦の間では恥ずかしくて使わないねと皆が言ったからやはり少し仰々しい言葉なのだろうと思った。

 謝俊麗は「想はライクではないよ。会いたいということ」と言った。それで改めて日中辞典を見ると、想には「懐かしむ。会いたいと思う」という意味もある。だがこれをどのような場面で使うのかは分からない。例えばこれを 西安の李真や謝俊麗に使ったらどのようにとられるのだろうか。そう思って李真に聞いてみたら「恋人同士がよく使うよ。会いたいって」と言った。恋人でなくても「おかあさん。我想你」などとも言うようだ。

 では「我愛你」は堅苦しい言葉かというとそうでもないようだ。俊麗は、「撓撓(ナオナオ 俊麗の息子)にママが好き?と聞いたら、大きな声で『愛』と言うのが大好き」と言った。この場合は「好き」ということだろう。ママに好きかと聞かれて、好きと答える撓撓は1歳9ヵ月、どうやら愛の意味は分かっているようで可愛い反応だと思う。俊麗が嬉しがるのは当然だ。今度西安に行ったら、撓撓に「おじいちゃんが好きか」と尋ねてみよう。「撓撓。你愛爺爺嗎?」とでも言えばいいだろうか。「愛」と応えてくれたら大満足だ。

 中国で今使われている漢字は簡体字で、ずいぶん省略された字体のものがあるが、「愛」の字は「心」がなく、その下の「夂」が「友」になった「爱」で何となく落ち着かない。前に中国語教室で一緒だったある高齢の男性は軽妙なところがある人だったが、「心のない愛なんておかしい」と言って皆を笑わせた。


     (日曜日はブログを休みます)   

2010-06-11 08:21:37 | 身辺雑記
 厚生労働省のまとめによると、昨年1年間の癌による死亡者は34万人に上るのだそうで、これはこれまでで最も多いとのことだ。昨年1年間に死亡したのは114万1920人で、7年連続で100万人を超えた。

 死亡の原因で最も多いのは癌で34万3954人、全体の30%を占める。これは統計を取り始めた明治32年以降で最多の人数だそうだ。癌に続いて心疾患(心不全、心筋梗塞など)が18万602人(16%)、脳血管疾患(脳梗塞、脳内出血など)が12万2274人(11%)となっている。

 癌は昭和56年(1981)から29年連続で日本人の死因の第1位で、年代別では40代から80代までで最も多くなっているそうだ。癌は年齢が高くなるほど発生率は高くなり、80歳を超えた高齢者に高頻度に発生するという。そう言えば、新聞の訃報欄を見ると近頃、癌で亡くなる高齢者が多いようだ。

 男女別の癌による死亡率は、男性では①肺癌、②胃癌、③大腸癌で、女性は①大腸癌、②肺癌、③胃癌となっていて、男女ともに肺癌や大腸癌が増加傾向にあると言う。厚生労働省は「喫煙や食生活の欧米化などの生活習慣に加えて、高齢化が進んでいることが癌のリスクを高めている要因とみられる」と推測しているようだ。(以上、主にNHKのニュースから引用した)

 さて、私も高齢者の仲間入りをしてだいぶたった。あと3年すれば80代に入るから、統計的には癌のリスクはこれから高くなっていくのだろうが、どうなることか。私の父は5人きょうだいの次男だったが、父の姉を除いて、長兄は胃癌で壮年期に、父も末の弟も膵臓癌で70代で亡くなっている。すぐ下の弟は前立腺癌に罹ったが、これは死因にはならなかった。姉は脳疾患で亡くなったが私の従姉にあたる娘が4人いて、2人は癌で死んだ。私は6人きょうだいの長兄で、2番目の妹は乳癌に、末の妹は子宮癌に罹ったが幸い2人とも存命している。こう見ると、どうも父のほうには癌が多い。しかし父の両親はどちらも90歳以上の高齢で癌とは無縁だった。母の家系は両親きょうだいとともに概して長寿で、母は86歳まで生き、母の双子の伯母は今99歳だ。癌で亡くなったのは、確か50代で亡くなった叔母1人だけだ。

 私は母に似ている。だから自分では癌ではなくて長寿の血を引いているのではないかと勝手に思っているが、こればかりは思うようにはならない。いずれにしても来るものは来る。欲を言えば安楽に死にたい。事故だけは願い下げにしたい。


菓子パン

2010-06-10 09:34:43 | 身辺雑記
 近頃はパン屋やデパートのパン売り場に菓子パンや惣菜パン、調理パンなどさまざまなパンが並んでいるが、中でも菓子パンの種類は多い。デパートのパン売り場では1人でいくつも菓子パンをトレイに載せているのを見かけるが、菓子パンは人気があるらしい。

          

 私が子どもの頃は菓子パンと言えば、あんパン、ジャムパンそれにクリームパンくらいではなかったかと思う。子どもだから無論菓子パンは好きだった。この3種のパンは今も売られているが、デニッシュなどの西洋系のものに比べると甘さの点では太刀打ちできないようだ。

 この日本の菓子パンの中でも歴史が古いのはあんパンだ。これは日本独特の菓子パンで、明治7年(1874)に初めてつくられたというから、130年くらいも前のことだ。私が子どもの頃はパンと言えば「キムラヤ」を連想するほどだったが、その木村屋の創業者と息子が考案して銀座の店で売り出し、明治天皇にも献上した。それであんパンも木村屋の名も全国的に有名になった。木村屋の創業者は元士族というから、「士族の商法」も成功した例だろう。明治7年と言えば維新後間もない頃で、まだまだハイカラなパンなどは庶民の口からは遠かっただろうが、それを饅頭のように餡を入れるという日本人の好みに合わせたところがグッドアイディアだった。当時はパン酵母ではなくて酒饅頭のように酒種を使って発酵させたという。表面には今ではケシの実を散らしているのがあんパンのトレードマークのようになっているが、初めは塩漬けの桜の花を乗せたと言うからあくまでも和菓子風である。
 
 私はあんパンよりも甘みが強いジャムパンが好きだったと思う。あんパンは丸いが、ジャムパンはあんパンと区別するために木の葉形につくられ、今も楕円形として継承されていることが多いようだ。ジャムパンも木村屋の創作で、3代目が考案して明治33年(1900)に発売された。私の幼少時代の昭和10年代頃まではアンズジャムが使われているのが普通で、イチゴジャムが一般的になるのは昭和20年代後半あたりからだそうだが、アンズジャムのパンは記憶にはない。
 
 クリームパンはあんパンやジャムパンに比べるとモダンな感じがするが、これも明治の菓子パンで、老舗の「新宿中村屋」で知られる中村屋が考案して発売したのが明治37年(1904)で、私の父が生まれる1年前のことだ。創業者がシュークリームの旨さに感じ入って製造したのが元祖だとされている。クリームパンは普通グローブ形をしているが、焼く時に中身に空洞が出来やすいので、空気を抜く為にグローブ型の切れ込みを入れたとか、切れ込みから中身が判るようにする為とか言われているようだ。私は今ではクリームパンが一番口に合うが、子どものころに食べた記憶がない。食べたのだろうが、あんパンやジャムパンの方をよく覚えている。
  
 日本のパンは美味しいと、前に日本に来ていた米国人が言ったのを聞いたことがある。特にさまざまな菓子パン類は好まれるだろうが、日本の伝統的なあんパンなどは好みに合わないかも知れない。やはりこれは日本人好みのものではないか。あんパンもジャムパンもクリームパンも皆100年以上の歴史があり、日本人に親しまれてきた。今では西洋系の菓子パンに押されているようだが、これからも息長く親しまれていくのではないかと思う。


              

なりすます

2010-06-09 08:47:34 | 身辺雑記
 「なりすます」とは、実際はそうでないのに、なりきった風をすること(広辞苑)だ。なりすましに関して、人騒がせでバカらしい話の記事を2つ見た。

 一つはミニブログのツイッター上に菅首相になりすました者が登場したことだ。ツイッターは鳩山前首相が私もしますと言って有名になり、ツイッターする議員が増えていて、国会議員でも100人以上いるらしい。その鳩山首相になりすました偽者もすでに登場し「辞職しません」などとつぶやいていたが、この偽者は後に正体を明かして謝罪したとのことだ。菅首相になりすました偽者は次々に出て、中にはご丁寧に、ネクタイを締めた顔写真付きで「これを機に始めることにしました」と本物そっくりになりすます者もあったらしい。民主党本部が否定したので偽者は2日で姿を消したが、新しい首相のつぶやきをチェックしようと登録した読者(フォロワー)が1万人を超えたケースもあったようだ

 私はツイッターには興味が持てないので、政治家の「つぶやき」を覗いてみようとは思わないが、当然のことながら興味関心を持つ人は少なくないようだから、それに乗じて偽者が出てくるのだろう。それにしてもこの偽者たちは何を目的でわざわざこのようなことをしたのだろうか。その精神状態は理解できない。鳩山前首相になりすました偽者は謝罪の中で、「有名人を使ってコントをやってみたい」と思ったのが動機だと言っているが、何かしら幼稚で馬鹿げている。菅首相の偽者たちの動機は分からないが、愉快犯のようなものではないだろうか。実害はなかったとは言え、こういうことにエネルギーを注いで多くの人を惑わしてやろうというのは、やはりまともではない。

 もう一つ、これは実害があった「なりすまし」の話だ。福岡県八女市で、34歳のアルバイトの男が電波法違反などの容疑で逮捕された。この男はアマチュア無線のマニアだが、自宅でアマチュア無線では許可されていない業務用の周波数の電波を発信できるように無線機を改造して、タクシー会社の配車係になりすまし、「本社どうぞ」「了解」などとやっていた。今年1月から4月にかけて154回やっていたというから相当なものだ。タクシー会社では業務を妨害されたことになるから逮捕されるのは当然だ。それにしても34歳にもなる男がいったい何を考えてこんなことをしたのだろう。幼児はよく電車ごっこなどをするものだが、そんな遊びのつもりだったのか。まったく幼児性丸出しの行為だ。

 菅首相になりすましたことで、ツイッターの「使い手」とされている民主党のある議員は「面白い現象だが」と言ったそうだが、、「なりすまし」は詐欺にも結びつく行為で、笑って済まされるものではないだろう。