中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ご先祖様にネアンデルタール人が・・・?

2010-06-08 08:54:47 | 身辺雑記
 ネアンデルタール人というのは、おそらくは小学校の高学年生以上なら知っている古生人類で、発見されたのは1830年のことだが、最初に科学的に研究されたのは1856年にドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷(ネアンデルタール)のある洞窟で発見された骨だった。研究当初はさまざまな議論を呼び、われわれ現生人類(ホモ・サピエンス)の祖先であるとしたり、反対に古生人類ではなく病変した現代人の骨だという意見もあった。しかしいずれの説もその後の研究の進展によって否定され、現在ではわれわれに最も近縁の人類であるとされている。

 ネアンデルタール人は、ヒトと共通の先祖から47万~66万年ほど前に分かれ、独自の進化の道をたどり、約40万~3万年前にヨーロッパから西アジア一帯にかけて分布したとされ、2万数千年前に絶滅した。ほんの最近のことだ。

 一方ヒトはネアンデルタール人と分岐して以後、古代型のサピエンスを経て約25万年前にアフリカに出現した。その後その一部が約8万年前にアフリカを出て、中東を経てヨーロッパやアジアに広がっていったとされている。

 このほどドイツのマックスプランク進化人類学研究所などの研究チームが、東欧のクロアチアから出土した約3万8000年前のネアンデルタール人3体の骨の化石の細胞核からDNAを取り出し、その全遺伝子情報(ゲノム)を解析し、それをアフリカ南部、同西部、パプアニューギニア、中国、フランスのヒト5人のゲノムと比較した。その結果、アフリカを除く3人が、ネアンデルタール人のゲノムと一致する率がわずかに高かいことが分かった。

 このことから研究チームは、アフリカで誕生したヒトの一部が5万~10万年前以降にアフリカを離れた後、ユーラシア大陸に広がる前に中東近辺でネアンデルタール人と混血した可能性があると推測している。「ヒトの遺伝子の1~4%はネアンデルタール人に由来している可能性がある」のだそうだ。

 人類の進化の歴史の中ではそれほど古くはない時期に起こったことなのだが、当時の環境はどんなもので、どのようにして両者は遭遇したのか。混血するくらいだから友好的な出会いだったのではないか。その結果できた子どもにはネアンデルタール人の遺伝子も受け継がれ、代々引き継がれて今に至っているわけだ。

 100年程前には私の父母や祖父母がいた。それ以前の先祖のことは知らないが、ずっと過去に遡っても今の私につながる先祖がいたことは当然だ。そして行き着くところはアフリカから出てユーラシア大陸に広がる前のヒトであることも確かだ。その上に、今回の研究から導き出された説によれば、その頃には私の先祖としてネアンデルタール人もいたことになる。いろいろ想像すると楽しくなってくるではないか。



 チューリッヒ大学による5歳の女児の復元像。



ハモ

2010-06-07 09:03:45 | 身辺雑記
 ハモ(鱧)は大好きな魚である。もちろん食べることがだが。夏になるとハモが出回るのが楽しみだ。

      
       インタネットより
 
 ハモは高級食材とされていてとくに関東では高級料理店以外では一般的ではないそうだが、関西ではスーパーなどでも売られている庶民的なものだが、京都の祇園祭の頃の鱧料理は、私などにとっては目が飛び出しそうな高級なものだ。消費量も関東は関西の十分の一程度だそうで、関東のアンコウに対する関西のフグのように、両地域の文化の違いがよく現われている食材だと言われる。

 妻がいた頃は夏になるとハモのフライをよくしてもらった。妻は揚げ物が上手だったので、揚げたてのハモのフライの味は忘れられない。妻がいなくなった後も自分で試みたことはあるが長続きしなかった。デパートなどの揚げ物の店で買うこともあったが、冷えたものは温めなおしても旨くはない。

 ハモは小骨が非常に多い。この小骨は長くて固いからそのままでは食べるのには適さない。そこで「骨切り」というハモ独特の下ごしらえをしなければならない。これは腹側から開き内臓を取り去った身に包丁を入れて小骨を取り去る技法で、皮を切らないように細かく切り込みを入れていく。切り込みは「一寸(約3cm)につき26筋」のように入れられれば一人前だそうで、包丁を使う上で「最高の技量を要する」と言われる熟練を要するものだ。

           インタネットより

 
インタネットより

 この技法が京都に伝わったことで、非常に食べにくいハモが食べやすくなり、ハモの消費量が飛躍的に増えたと言う。私は以前魚屋で骨切りするのを見たことがあるが、ザクザクという骨切り包丁で骨を切る音が快かった。骨切りを済ませた後は食べてもまったく骨はないようで、不思議なくらいである。一度未熟な職人がやったのか、固い骨が残っていたものを口にして閉口したことがあり、ハモの料理にとってはいかに骨切りが大切であるかを実感した。中国では骨切りをしないで食べるのが一般的だそうだが、さぞ食べにくいことだろう。

 ハモの湯引き(落とし)も大好きだ。これは今でも自分でつくることはあるが、切り身をさっと湯に通すと、縮んで反り返り花が開いたようになる。美しい白身で、見た目も食欲をそそるが、これに辛子酢味噌や梅肉をつけて食べるとこれぞ口福という思いがする。

               

 今年もハモが食べたくなったので、例によってHg君夫妻やHr君に声を掛け、Hg君の奥さんの手を煩わせて、てんぷらと湯引きを食べることにした。ハモは近所にある良い魚を売る店に注文した。いつものようにてんぷら鍋を囲んでできるそばから食したが、湯引きとともに何とも旨く満足した。

       


       


 ハモは怖い顔をしている。歯が鋭く、噛み付かれるとかなりの怪我をするようだ。 

        インタネットより

車内でのある風景

2010-06-05 10:50:15 | 身辺雑記
 昼過ぎにJRに乗っていると、30歳前後のサラリーマン風の男性が途中の駅から乗ってきた。席に腰掛けるとすぐ鞄の中から菓子パンを取り出して食べ始めた。車内はかなり空いていたが、それでも他にも乗客はいる。しかしその男性は別に隠すような様子もなく、パクパクという感じで食べていた。よほど空腹だったのだろう。外回りか何かで飲食店に入って昼食をとる余裕もなくて、駅の売店かどこかでパンを買ったのではないか。最近では電車内で飲食する高校生など若い者は多く、特に目新しくも珍しくもない光景だが、それでもちゃんとした身なりのサラリーマンらしいのがパンを頬張る姿は何かうら寂しく感じられるものだった。

 かつては電車の中で物を食べたりする姿は見られなかった。われわれ日本人には食事する場所でないところで飲食するのは、はしたない、行儀が悪いという気持ちがあったのかも知れない。もうだいぶ前のことだが、ある母子が電車の中で何かを食べている白人を珍しそうに見ていたら、いかがですかと勧められて慌てて断ったという話を聞いたことがある。妹だったかが、やはり白人の数人連れが、アイスクリームの大きなカップを抱え、歩きながら食べていたと珍しそうに言ったこともあった。どうも所かまわずに物を食べることは米国人あたりが持ち込んだのではないかと思う。そんなことで外人のやることは何でも格好がいいと、真似したがる若者がやりだしたのではないだろうかと勝手に想像している。今では格好がいいとか何とかいうのではなく、空腹になったり口が寂しくなったりすると、電車の中であろうと歩きながらであろうとかまわずに食べることが普通になりかけているのではないか。こらえ性が乏しいのだろうし、体裁などはおかまいなしと思っているのかも知れない。家の中、家の外という区別がなくなったのだろうが、見ていてあまり感じのいいものではない。

 最近も私学の低学年の学校帰りの小学生らしいのが、電車の中で煎餅のようなものを食べているのを見た。あれは家から持ってきたのか、駅の売店ででも買ったのかと思いながら見ていたが、きちんとした制服姿には似つかわしくないように思ったのは年寄りの感想か。高校生あたりになるともう普通のことになっているようで、大きなハンバーガーにかじりついていたりする。夕方のかなり混み合った電車の座席に座って弁当箱を開いて箸を使っている中学生もあった。皆クラブ活動帰りで、家に帰るまでもたないのだろう。しかし今40代後半から50に近くなった私の息子達の頃はそんなことはなかったから、やはりこれは最近の「風俗」なのだろう。

 飲食ではないが、電車の中でいい年をしたサラリーマンがコミック誌を読んでいる姿も多く見られるようになった。昔、高校生あたりに人気の『少年ジャンプ』というコミック誌があったが、電車内の吊り広告を見ると、それが今では『ビジネスジャンプ』とやらに「進化」したようで40代と思われるのが熱心に読んでいて、彼らはおそらくは『少年ジャンプ』時代からの愛読者で、いつまでたってもこのようなコミック誌から抜け出せないのだろう。もう少したったら彼らが年取った50代のオジサンや、60代のジイサンがコミック誌にのめりこむ姿が見られるようになるかも知れない。実際最近、駅のホームで60代の、車内では50代の男性が週刊コミック誌を手にしているのを見た。

 コミック誌と同じように近頃では、電車内で飲食する者の年代がだんだん上がってきているようだ。やはり中高生あたりの習慣から抜け出せない世代が増えているように思う。これもまたそのうちに、40代、50代、60代と上がっていくかも知れないと思うとちょっと情けなくなる。
   

    (日曜日はブログを休みます)


首相退陣

2010-06-04 09:25:26 | 身辺雑記
 鳩山首相が退陣した。やっとと言う感じでもある。カネの問題で内閣発足当時から火種を抱えていたが、沖縄の米軍基地の問題でとうとう行き詰った。自民党など野党からは退陣せよ、解散せよと迫られていたが、いざ退陣となると今度は選挙目当てだと非難される。言い方もいろいろあるものだ。首相の肩を持つわけではないが、今の野党はどれも単独では政権を担うことはできないようだから、野党という立場は非難さえしていれば済むようで気楽なものとも思う。

 辞任のニュースを理髪店のテレビで見たが、街の声ときたら首相を叩くものばかりで、中には「お坊ちゃん政治はもう結構です」と怖い顔でコメントしている中年の女性もあった。テレビ局の主観でこのような声ばかりを編集したのだろうが、何だか8ヶ月間良いことは何もしてこなかったようで、いかに庶民の声と言ってもこれでは少し偏っているのではないかと思った。どうも近頃のマスメディアは情報を垂れ流しして煽ることはするが、冷静な判断ができるような情報を提供することでは少し問題があるのではないか。

 私自身は、政権交代したからと言ってそれほど劇的な変化が起こるとは思えなかった。どちらかと言うと前政権党のありように嫌気が差すムードの中で、何か変化が起こるのではないかという期待感が強まった結果だったが、あのような圧勝ではなかったほうが良かったような気がする。最近の議会運営にしても、前政権党がしばしばとってきた多数を頼んだ強引さも見られるようになった。前与党と野党が攻守交代した感じで、そのスタイルはあまり変わっていないようだ。戦後長く続いた政治風土は一朝一夕には変わるものではないのか。

 沖縄の米軍基地の問題が結局は鳩山首相の命取りになったのだが、何しろこの問題は米国の意向に大きく左右される一筋縄では行かないもので、今の東アジアの情勢ではちょっとやそっとでは米軍は出て行こうとしないだろう。場合によっては解決には何十年もかかるかも知れない。そのような問題を「最低でも県外」とか「5月末までに決着」と言ったのは少し軽はずみだったと思う。だから自民党にまで公約違反だと叩かれた。結局は元の木阿弥になってしまったが、それでも戦後60年もたってもなお米軍が駐留し続けていている現実や、その中の沖縄県民の思いがどのようなものかということが改めて分かったことはあるのではないか。しかしどの野党も批判はするが、我が党ならこういう道筋で解決するなどとは言わない。

 何か政治の未熟さばかりが表立ったようでもあるが、それでも例えば「事業仕分け」などでいかに税金の無駄遣いがされていて、天下った官僚に驚くほどの多額の給料を支払っていたことなどはこれまでの政権党のもとでは知ることはできなかっただろう。是は是、非は非と冷静に見ることが大切ではないか。

 私がとっている新聞にある作家の次のような意見が載っていた。

 「国民は選挙するだけで、後は政治に丸投げ。今ある政権をより良くする努力はせず、評論家のように文句ばかり言うシステムに慣れてきた。このままだといくら人や政権を変えても何も変わらない」

怒りを忘れずに

2010-06-03 09:28:11 | 身辺雑記
 年をとると気が短くなり怒りっぽくなるとよく言われる。年寄りが家庭内ならともかく、公衆の面前で腹を立てて怒鳴ったりしているのを見聞きすることがあるが、そのような老人の姿は醜いものだ。私もいい加減年をとったので、自分はどうかなと考えることがある。

 若い頃の私は、どちらかと言うと短気な方だった。ちょっとしたことに腹をたてて怒鳴ったりすることはあまりなかったが、それでも甘えがあったのだろう、妻には何でもないことで当たったことはよくあった。妻はおっとりした性格だったから言い返したりはしなかったが、それでも時折「お父さんはお坊ちゃんなんだから」と言ったりした。また目上の人に腹立ち紛れに失礼な言動をしたこともある。今思い出すとまことに汗顔の至りだ。関西地方で言う「イラチ」で、すぐにいらいらする傾向はあった。買い物などで行列をして待つことは今でも苦手だ。しかし、私自身年をとったからと言って特に気が短くなったとは思えない。むしろ最近は青壮年期よりもゆったり構えるようになったと思っている。

 感情的に腹をたてることは感心したことではないが、「憤り」、「怒り」を持つこと、忘れないことは大切なのではないかと常々思っている。最近、新聞の投書欄で「怒り忘れぬ生き方、貫きたい」という80歳の男性の投書を読んだ。

 最初にまず作家の落合恵子さんが、あるトーク番組で司会者に「あなたのこのすばらしい生き方のエネルギーは何ですか」と問われ「憤ることです」と答えたことを紹介し、さまざまな不正不義、差別と偏見、とくに弱者への愛のなさ、こうした社会のゆがみに対して心底憤る、怒るという落合さんの生き方に「私は快哉を叫んだと」と書いている。そして「私は社会をまともなものにするのは正しい意味での憤り、怒りであると思っている。怒るということは、その対象物と真向かいになることである」と続けている。

 この男性の投書は「老骨ながらこれからも怒りを忘れない生き方を続けたい。単なる好好爺でありたくない。私から怒りが消えた時は人格的死の時である」と結ばれているが、まったく同感だ。このような老人の生き方はともすると「いい年をしてそんなにカッカしないで」、「肩の力を抜いて」、「そんなに怒っても世の中変わらないよ」などともっともらしく言われることもあるだろう。近頃は「物分りのよい」人が増えてはいないか。特にまだ20代と思われるのに、何か世の中、社会とは所詮こんなものだと分かったような物言い、姿勢があるが、若いのにこんな考えでは年をとったらどうなるのだろうと寂しくなることがある。若者こそが世の中の不正義、矛盾に怒りを持つべきではないだろうか。

 狷介な老人にはなりたくないが、あまり物分りがよいのも考え物だ。これからもせいぜい社会の矛盾や不正義からは目をそらすことなく憤っていこうと思う。怒りと好奇心を失わないこと、これが心の若さを保つのに必要なことだろうと思っている。

体罰(2)

2010-06-02 09:49:53 | 身辺雑記
 私が高校の教師になって数年たった頃、同じ理科を担当していた私より少し若いある教師が、よく生徒を殴った。ちょっとしたことでも手を出すようで、本人もさして悪びれずに公言していた。あるとき私は彼に、生徒を殴るのはよくない、教師は生徒より高い位置にあるのだから、自分よりも背が高い生徒を叩く場合でも、心情的には上から叩き下ろすようなものだ、それがいけないと忠告した。彼は特に反論もしないで聴いていたが、その後は止めたかどうかは知らない。

 よく教師や親の体罰は「愛の鞭」だと言われるが、そんな美しいものではないと私は思っている。わが子に対してにせよ、生徒に対してにせよ、愛情があれば叩いたり、殴ったりすることなどはできるとは思われない。そこには無抵抗な者に対する理不尽な怒りがあるだけだ。私は一度だけ長男を叩いたことがあった。長男は利かん気なところがあり、あるとき私や妻に逆らった挙句、「家出する」と言って飛び出していった。まだ5歳くらいの時のことだ。妻は心配して、私が「放っておけ」と言ったが後を追いかけた。しばらくして連れて戻ってきたが、子どものことで、家出するなどとこましゃくれたことは言ったものの遠くに行く勇気はなく、家をちょっと出た道の角で泣いていたそうだ。他愛ないことなのだが、妻に促されて私の前に座った息子は「ごめんなさい」と謝った。できもしないくせに家を飛び出したりして生意気だと思った私は、何かしらひどく腹が立ってきて息子の頬を1つぴしゃりと叩いた。すると息子は幼い顔をきっとさせて私を睨みつけ、にじり寄るようにして「おとうさんはひどい。ぼくが謝ったのに叩いた」と訴えた。その顔を見ると私はひどく恥ずかしくなって、「おまえの言うことはもっともだなあ」と言い、「お父さんが悪かった。ごめんよ」と謝ると、息子はわっと泣き出した。それ以来息子を叩いたこともないし、もちろん生徒に体罰を加えたこともない。このような経験から、子どもや生徒に体罰を加える時は怒りに駆られているもので、むしろ「愛の鞭」だと冷静にいられるほうが気味が悪いし、偽善だと思うようになっている。

 教師も人間だからその時々の感情に支配されることはあるし、むしろそれは人間味があって悪くないことだと思う。しかし体罰はいけない。何かで読んだことがあるが、教師に体罰を受けて恨みが残ったと言う者はかなり多いそうだ。今頃は中高生はもちろん小学生でも憎たらしい言動の者が少なくない。殴ってやりたいという気持ちになるのはよく分かるが、そのような者は殴っても何の効き目もない。かえって反抗心を強くするだけだろう。腹は立つだろうがとにかく教師はプロなのだから、言い聞かせる努力をまずするべきだ。それでも聴かないのならそれまでにしておけばいい。それでは事なかれ主義で、教師の姿勢としては良くないと言われるかも知れないが、怒りに任せて殴るよりはましだ。




体罰

2010-06-01 10:43:40 | 身辺雑記
 昨年の12月のことだが、石川県の45才の県立高校の教師が課題を提出しなかった1年生の女子生徒の頬を平手で3回たたいた。体罰を知った校長がこの教師に謝罪するよう命じると、「謝るのは嫌だ」と学校を飛び出し、約8時間自宅にこもった。この教師がいない間、担当する理科の授業は別の教諭が穴埋めをしたという。1月下旬に石川県教委はこの教師を、減給10分の1(1カ月)の懲戒処分にした。体罰禁止なのはもちろんだが、教師の職場放棄を重く受け止めたということだ。

 この教師、45歳と言えば小学校の教師をしている私の次男と同じ年齢だが、妻子もあるだろう分別のある年頃なのに、何とも理解できないような行動で、いったいどのような性格で、日ごろどのような言動があったのだろうか。幼稚とも愚かともどうとでも言えるが、何かため息が出る思いがした。

 発端は課題を出さなかった女子生徒を平手打ちしたことにあるのだが、もしその女生徒が反抗的な態度をとったとしてもやはりよくない。ところがこの記事を検索したついでに、これについてのネット掲示板もあったので拾い読みしてみると、体罰を容認する意見が意外に多い。もちろんこの教師の行動を愚かとする声は多いのだが、言うことを聞かない者には体罰は当然とか、この程度のことは体罰と言えないとかいうもので、気になったのはそういう書き込みをしている者の口調が何か傍観者的なことで、教師の体罰ということが本当に分かっているのだろうかと思ったし、実際に教師から体罰を受けた経験があって、そのときにそれを教師の自分に対する戒めと思って有難く受け止めたのだろうかということだ。

 私は教師から叩かれるような体罰を受けたことは、小学校のときに1回あっただけだ。東京から戦火を避けて宮城県の温泉町に学校集団疎開をした時のこと、ある日同室の者が10名くらい担任の先生に呼び出されて、風呂場の浴槽の縁に立たされて、理由も何も告げられずに片っ端から頬に往復びんたをくらわせられた。それが終わって同級生達は皆出て行ったが、私は1人残って頬を水で冷やした。先生も残って風呂の湯で手を洗っていたが終始無言だった。同室の者の中に生活がルーズなのがいて、どうやらそれを皆がいびったということらしかったが、先生はそれを諭すこともなかったから、結局理由はよく分からなかった。今でもそのときの様子、とりわけ私の前に立って私を叩いた先生の無表情な顔を何か暗い印象で思い出すことができるが、65年もたった今でも嫌な思い出として残っている。 (続)