中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

1DAYエクステ

2010-07-20 09:07:57 | 身辺雑記
 年のせいか、世事に疎いからか、近頃はよく「これは?」と思う言葉や表現に出くわすことがある。電車のドアに小さい広告が貼ってあり、このようなコピーが目に入った。

 まるで1DAYエクステ!なのにケア!!

 何のことやらさっぱり分からない、イラストを見ると付け睫毛を極端に誇張して描いた女性の横顔がある。どうも付け睫毛のケアの宣伝なのらしいが、その図に付けてある文面も私には意味不明だった。

 気になったので家に帰って検索してみると、エクステとは、ヘアーエクステンション(hair extension)の省略形で「化学繊維(ファイバー・アクリル)や人毛で作られた毛束であり、付け毛・部分かつらの一種である。単にエクステンション、あるいはエクステと略することが多い」とあった。そのほかにもエクステに関するサイトは多くあるから、もはや女性たちにとっては当たり前の言葉なのだろう。

 試みに大学生の孫娘に尋ねようと思って電話したが、学校に行っていたので母親に聞いてみると、いともあっさりと「知ってます。付け毛でしょう」と答えた。髪や睫毛のエクステは孫娘もしているそうだ。つくづく自分が物知らずということを思い知った。

 それにしても、エクステは分かったが、「まるで1DAYエクステ!なのにケア!!」の意味はまったく分からない。それでもう一度「まるで1DAYエクステ」で検索してみると、これも出てきて、電車の広告と同じ写真がついていた。

            

 どうやら睫毛につけるマスカラの広告だったようだが、私の性分でもうひとつすっきりしないのでまた孫娘に電話した。さすがに年頃だけあって私の質問にすらすら答えてくれた。睫毛のエクステは「まつエク」と言うらしく、最近は特殊な接着剤を使って1ヶ月くらい保たせるものもあると言う。広告の企業も知っていて、化粧品会社で、睫毛に付けるマスカラが主要製品だそうだ。「まるで1DAYエクステ!なのにケア!!」は、そんなに難しくとることじゃなくて、要するに、「潤い成分も入っていて長持ちするマスカラ」くらいのことじゃないのと孫娘は言った。改めてあるサイトを見ると「簡単2ステップで、プロビタミンケアしながら、24時間キレイな180%ロングまつ毛に仕上げます」とあった。マスカラだがエクステのようにするものらしい。

 広告のコピーは感覚に訴えるものが多いから、私のように理屈っぽく考えるのは、いかにも旧弊で年寄りじみたことなのだろう。それにしても、このような広告のコピーを見ると、つくづく今の若い人たちの文化を理解することは難しいと思う。とりわけ使われる言葉や表現は英語よりも分かりにくい。これををすらすらと理解できるのは、私にとっては異星人のようにも思えるが、若者からは私などは化石のように見えるだろう。

 「でも、オジイの年でこんなことに興味を持つのはすごい」と孫娘が言ったので、好奇心が強いからねと答えたが、何の役にも立たないような雑学的なことをどんどん取り込んでいくようではあっても、これからも好奇心を盛んにして、いろいろなことを見ていきたいと思う。

ある出来事

2010-07-19 09:42:28 | 身辺雑記
 読んでいる新聞の生活欄に「ひととき」という読者の寄稿欄がある。今日(14日)の生活欄に、6月2日の69歳の全盲の女性の投稿が再掲され、その反響が紹介してあった。女性の文章は次のようなものだ。

 私は全盲で、盲導犬と共に行動しています。先日、大阪駅前のバス停でバスを待っていると、前に並んでいた女性から「犬を連れてバスに乗るつもり?」と非難されました。バスに乗ると、その女性も乗り込んできて「ばばあ、さっさと降りやがれ」と口汚くののしるのです。ほかのお客さんは「乗ってたらいい」と言ってくださいましたが、私は降りることにしました。トラブルが大きくならないようにと、と願ったのです。こんな時、どうすればよいのでしょう。

 まことにひどい話で、とんでもない女がいるものだと腹が立ったが、新聞社でトラブルがあったバスを調べた結果、大阪市交通局の市バスの車内でのことだったことが分かった。交通局によると運転手はこのことを把握していて、「女性」とされた人物は実際は30代くらいの男性だったそうだ。声の高い人物だったので、視覚障害の女性は、女性だと勘違いしたようだ。

 それにしてもこの男、いったいどのような職業で、どのような環境に生活し、どのような育ちをしたのだろう。今の世の中に、このような輩がいまだにいるとは信じられない気がするが、おそらく下等な心情の人間なのだろう。女性が降りた後でどのような顔(ツラと言いたいが)をしていたのか。他の乗客はどのような気持ちでこの劣悪な男を見ていたのだろうか。それにしても、運転手はなぜ、「盲導犬の乗車は認められています」と言って女性をかばわなかったのか。その男が強面で、トラブルを恐れたのか。どうにも釈然としない。

 この投書が掲載されると反響は大きく、励ましやアドバイスが多数寄せられたと言う。しかし実際には車内などで嫌な思いをした障害者は少なくないようで、まだまだ日本の社会は未熟だと思う。私は道や駅などで視覚障害者が1人でいるときにはできるだけ手助けするようにしている。ある私鉄の駅で降りたときには視覚障害の人の介添えをして感謝されると同時に、介添えの仕方を教えられて勉強になったことがある。盲導犬を連れた人の手助けはしたことはないが、その場合には、可愛いからといって犬をじっと見つめたり、食べ物を与えたり、触ったりしては犬の気が散るからいけないのだそうだ。私は犬が好きで可愛いと思うから注意する必要がある。

 障害者など「社会的弱者」とされる人たちに哀れみや、過度の同情の念を持つことは不要で、同じようにこの社会に生きる者として少しでも役立つようにしなければならない。それが「共(に)生(きる)社会」と言うものだ。

               

老衰

2010-07-17 10:37:39 | 身辺雑記
 先日、著名な生態学者でもあり文化人類学者でもあった梅棹忠夫氏が老衰で亡くなった。90歳だった。

 90歳という高齢だから、老衰で亡くなったと聞いてもさほど不思議にも思わないのだが、新聞などで著名人の訃報を見ると、70代、80代でも死因が老衰ということがある。昔なら60代くらいでも老衰死はあったかも知れない。老衰とは、いかにも老いさらぼえて衰えるという感じだが、実態はどのようなものだろうか。


 ある知人と話していたら、身近な例から、老衰で死ぬ前には食べなくなると言った。食べさせようとしても「食べたくない」と言っていたそうだ。体力が衰えて食べる意欲も気力もなくなり、食べないものだからますます体力がなくなるのだろう。蝋燭が燃え尽きる時に、灯心が吸い上げる蝋がしだいにすくなくなり、焔が揺らいでやがてふっと消えるようなものなのか。最も「自然死」に近い状態と言われ、現在でも死因の第7位を占めてかなり多いらしい。

 しかし、これまでは多数の高齢者の死因は老衰と表現されたが、医学的原因としては不適当ということで、老衰を死因と表現することが少なくなっているとも言われる。老齢による代謝や免疫、回復能力の不全などによる死因を従来は老衰としていたが、現在では診断上、肺炎・多臓器不全・脳卒中などの病死扱いとなることが多くなっているようだ。いずれにしても「寿命が尽きる」ということなのだろうが、多臓器不全という病名は40代、50代の人の場合にも時折見かける。。
 
 どこかにあるかも知れない私自身の寿命を示す蝋燭は、後どれくらい残っているのか。今のところ多くは食べなくなったが食欲はまだあるし、まだ大丈夫だろう。この誕生日の前にした血液検査の結果もほとんどの項目が基準数値の範囲内で問題はなかった。3つほど基準数値を僅かに上回っているものがあったが、医師には問題ない、完全ですと言われた。

 大学時代の同級生の1人が死んだという報せがあった。脳に悪性腫瘍ができて、自覚症状が出てから間もなく逝ったそうだ。もう死んだのかと言ったら知らせてくれた友人は、もうと言ってもお互いこんな年だからなあと言った。まだ老衰は大丈夫だと思っていても、こんなことがあるから油断はできないが、そのときは諦めるしかない。

 (日曜日はブログを休みます)


厚底靴

2010-07-16 08:58:06 | 身辺雑記
 最近の若い女性は背が高いのが目立つ。若い時から4センチくらいも背が縮んだ今の私には羨ましいくらいだ。彼女達は実際に背が高いが、ヒールの高い靴を履いているのが多いからなおさら高く見える。

 ハイヒールの靴の履き心地はどんなものだろうとよく考える。中にはずいぶん高いものがあり、そういうのは踵から爪先まではかなりの急角度で、前につんのめりそうに思うのだが、馴れると何でもないのか。かつてはヒールの高い靴を履いた女性は、少し前屈みになり脚を曲げてチョコチョコと歩くから、格好が良くないのが少なくなかった。今頃は美しい歩き方と言うことがよく言われるし、脚もすらりと真っ直ぐで美しいのが多いから、歩き方が悪いのはあまり見かけない。こう言うといかにも熱心に女性の脚を眺めているようだが、街に出ると嫌でも目に付く。

 より背が高いように見せたいのか、格好がいいと思うのか、若い女性の靴のヒールにはずいぶん高いものがある。中には厚底靴などと言うものがあって、まるで江戸時代の吉原の花魁が、花魁道中で履くときの下駄を思わせるものもある。軽めにつくってあるのだろうが、見た目は何か重そうで、私のような年寄りは格好が悪いと思ってしまう。

              

 厚底靴というのは普通のハイヒールとは違って踵だけでなく爪先も厚いもので、しかもハイヒールよりも高い。15センチ以上のものや20センチを超えるものもあるそうだ。ハイヒールは10センチ以下のものが大半のようだ。


 このほど米国のある女性シンガーが厚底靴を履いていて、空港内で転んだという記事と写真を見た。その厚底靴は「超」が付く代物で、しかも太ももの付け根あたりまであるもので、プラットフォームブーツと言う。ブーツと言うよりもパンツのような感じだ。このシンガーは奇抜なファッションで有名らしいが、さすがにこれは歩きにくかったようだ。このブーツは日本人のデザイナーによるものだそうだ。

 「厚底靴」や「プラットフォームブーツ」を検索してみると実にさまざまなものが通販されている。もちろん街の靴屋でも見られるのだろう。プラットフォームブーツと言うのはこのようなものだ。こんな代物は到底実用的なものではないが、それでも若い女性の心をくすぐるのだろう。

              


 女性シンガーが履いていたプラットフォームブーツ。

              

 このようなものを見ていると野暮の骨頂の化石人間の私は、結構な世の中ですなあとつくづく思ってしまう。


ワールドカップ狂躁曲(2)

2010-07-15 09:40:20 | 身辺雑記
 新聞のあるコラム欄に、女性のコラムニストが書いていた。彼女はサッカーには全然関心はないようだが、

 「我を忘れる瞬間があることが少しだけ羨ましい。熱中とは幸せとイコールだから。熱中対象を得てしんどい現実から逃避し、ストレス解消できれば、それは悪いことではない。ただし、負ければ全否定し、勝てば手放しに礼賛するマスコミやファンは、愛の名のもとに態度を急変させるDV夫のようで怖い」

 同感できる意見だと思った。「我を忘れる瞬間があることが少しだけ羨ましい」とは私自身の気持ちでもあって、熱くなれない自分は面白味のない人間なのかと思ったりする。

 巷で熱狂するファンはどれほどサッカーのことを知っているのだろう。熱狂することでストレス解消している者も少なくないのではないか。それでも一次リーグを突破したくらいで大阪では女性までもが道頓堀川に飛び込む熱狂振りは、私の理解を超えているし、気味悪さも覚えて、これは一種の集団ヒステリーのようなものかと思ったりした。

 そんな熱狂的な騒ぎの中で、ちょっとほっとするようなユーモラスなニュースがあった。ドイツのある水族館で、パオルと名付けられたタコが、ドイツが戦う試合の勝敗を予言し、的中させるということで「予言タコ」として有名になった。水族館ではパオルの水槽の中にドイツ国旗と対戦相手の国旗とを貼り、パオルが好きな貝を入れて蓋をした小さな箱を沈め、パオルが蓋を開けて貝を取った箱の国が勝つという予言だとした。面白いことにパオルは、セルビア戦の1敗も含めて予選から準決勝までのドイツの6試合すべての勝敗を当てて一躍有名になった。準決勝でスペインが勝つということも予言的中させた。

 スペインの国旗の付いたエサ箱を選ぶパオル。

         

 ところが、それまで面白がっていたドイツのファンは収まらない。スペインに負けた途端にツイッターなどに「フライやバーベキューにしてしまえ」とか「切り刻んでシーフードサラダやパエリヤに混ぜてしまえ」、「今晩は家でタコサラダだ」、「「サメの水槽に放り込め」などの書き込みが殺到したそうだ。メールで脅迫状も送られたと言う。水族館の担当者は「最初はパオルの予言に歓喜し、ドイツが負けたとたんに彼に怒りをぶつけるとはやりすぎだ。彼は残念ながら正しい予言をしただけだ。サッカーの試合結果は結果として受け止めてほしい。なんだかんだいっても、パオルはただのタコなのだから」と話したと、ある記事は伝えていた。「パオルはただのタコなのだから」というのが面白い。この他愛もない騒ぎで、いかにサッカーというものがファンの頭に血を上らせるかが分かるし、ファンというものは文字通りfanaticで、単純なものだということも分かる。

 パオルは、3位決定戦はドイツがウルグアイに、優勝戦はスペインがオランダに勝つと「予言」して見事当てた。ドイツに関して言えば、的中率100%だった。


 スペイン国旗のついた箱に入り優勝を予言するるパオル。

         

 タコの寿命は平均2年で、最長で3年程度らしく、パオルは2歳半らしいからW杯の予想は今大会が最後になりそうで、引退すると言う。人間のお遊びに駆りだされて喝采を浴びたり脅迫されたりと、ご苦労様でした。これからは普通のタコに戻って、8本の脚を伸ばしてゆっくり休んでください。

 とにかく熱狂は終わった。新聞のスポーツ欄も、やがて静かになるだろう。

ワールドカップ狂躁曲

2010-07-14 08:32:41 | 身辺雑記
 6月11日から南アフリカ共和国で開催されていたサッカーのワールドカップ(W杯)大会も、スペインがオランダに勝って優勝し幕を閉じた。私の次男は中学校から大学までサッカーをやり、今もフットサルの監督をしたりしていて、もちろんサッカーは好きだから、この大会はかなり見ていたようで、優勝はスペインだろうと言っていた。

 日本チームは一次リーグで健闘し、決勝トーナメントに上がった。大会に出る前の練習試合ではあまり芳しくない戦いぶりで、とりわけ同じアジア代表の韓国に負けたときには、ファンやマスメディアからはずいぶん叩かれたらしく、それもぼろくそのようなもので、監督の退任を求める声もあったようだ。テレビのワイドショーなどでも「識者」が、予選リーグで惨敗するだろうなどとご託を並べたてたりしていたらしい。

 それが、一次リーグ第1戦でカメルーンに勝ったときから、がらりと雰囲気は変わり、たちまちのうちに熱狂モードになった。日本チームの試合は新聞の1面で大きく取り上げ、NHKの夜のニュースでもトップで長々と扱った。そして決勝トーナメントに出場が決まると、16強に入ったのは海外の大会では初めてのことだと大騒ぎだ。結局は最初のパラグアイ戦で敗れたが、大会前とは打って変わって「よくやった」の大合唱。ネット掲示板には「岡ちゃんごめん」など「反省」の書き込みが続いたらしい。帰国した選手達を空港で迎えたファンやマスコミの報道陣の騒ぎは、まるで優勝したかのようだった。息子はサッカーが好きだがクールなところがあって、サッカーファンの熱狂振りにはどちらかと言うと冷ややかな見方をしていて、「ちょっとおかしいだろう?」と言っていた。帰国後も選手達の母校訪問や出身自治体での表彰などが続き、大阪府は監督や大阪府出身の選手に府民栄誉賞にあたる「感動大阪大賞」を贈った。授賞理由は知事によると、「スーパースターですから」だそうだ。まさに手のひらを返したような雰囲気に乗ったようなもので、何となく気恥ずかしくもなる。

 私はサッカーファンではないから、ワールドカップ大会で決勝トーナメントに入ることがどれほどの値打ちのものなのかは分からない。とにかくサッカー音痴みたいなもので、何度教えられてもオフサイドというものが分からないし、どういう場合にペナルティーが課せられるかも知らない。野球が好きだから得点が少ないことに、時にはもどかしさを感じたりするド素人だ。だから言うわけではないが、突然日本国民全部がサッカーファンになったかのようなマスコミの扱いには少なからぬ違和感を覚えた。どうも年のせいか、あれほどマスコミに熱狂的に騒ぎ立てられると、つい戦時中の「一億一心火の玉だ」というスローガンを思い出して、時代は変わってもマスメディアの大衆を煽る体質は変わらないのだろうかと思ったりする。 (続)


参議院選挙

2010-07-13 08:51:20 | 身辺雑記
 民主党が敗北した。1人区の当選者は8人、落選者は21人、前回07年は当選者23人、落選者6人だったから、今回の結果は「大敗」と言ってもよいものだろうし、各紙もそのように表現している。比例区を併せても、与党は過半数割れした。

 政治情勢にはいささか疎いから原因はよく分からないが、やはり選挙前の首相の消費税についての意見がかなり影響したのではないか。ただ消費税論議をすることを考えると言うだけでなく、自民党が掲げる10%を基準にしたいなどと言ったものだから、値上げが急に現実のものとなったかのように有権者は受け止めたのではないか。

 消費税を上げるべきだと言うつもりはないが、物価問題に大方の国民が敏感なこの問題を、選挙前にわざわざ口にした首相の意図や感覚がどうも分からない。内閣支持率が鳩山前首相のときに著しく低下し、代わって菅首相が就任するとV字型に回復したことで自信を深め、財政危機を解決するためには、この際言うべきことはためらわずに言ったほうが政治家として正しい姿勢だと判断したのか、国民の意識を甘く見たのか、情勢が読めないのか、いずれにしても感覚が理解できない。そもそも党議も経ずに首相の独断でこのような問題を公にすること自体が問題なのではないか。実際、首相が消費税値上げを口にしてからは、支持率はみるみる下落した。責任は大きいと思う。ある新聞のコラムには「『政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える』と言う。首相になって『最小不幸社会』を語ったときの菅さんは政治家だった。それが支持率のV字回復に目がくらみ、やみくもに選挙を急ぎだした頃から政治屋に変身したようだ」とあった。

 有権者の気分は移ろいやすいもので、今回は自民党に改選第1党の席を与えた。自民党が大喜びしている様子が伝えられたが、消費税について言えば、自民党は前から消費税10%と言っている。だいたい取り組みが焦眉の急となっている国家財政の危機をもたらした責任はどこにあると言うのか。このようなことを有権者どのように考えたのだろうか。自民党がだめなら民主党、民主党がだめなら自民党という程度の意識なのか。私にはどっちもどっちと思えるのだが。

 これで、またもや国会は「ねじれ状態」となった。これからいったいどのようになっていくのだろう。



アイガモ

2010-07-12 09:49:27 | 身辺雑記
 すぐ近くにある田の稲も伸びてきた。雨に打たれている稲の葉の緑が美しい。そんな稲の中を、多分アイガモと思われる2羽の水鳥が歩き回りながら餌をあさっていた。毎日姿を見せるわけではないから、この田の持ち主が飼っているものではないだろう。どこからやって来るのだろう。







 この田にアイガモが姿を見せたのは、まだ妻がいた頃だから、もう10年以上前のことだ。そのときも2羽だった。その後毎年ではないがいつも2羽が姿を見せた。初めの頃から10年以上もたつのだから、同じ2羽とは思われない。雌雄の番なのかも分からない。きょうだいか、ともだち同士なのか、いったいどこからやって来るのだろう、夜を過ごす場所で朝になると、「あそこに行ってみようか」、「そうしようか」などと言い合ってやって来るのだろうかなどと他愛もないことを考えたりする。



 「合鴨とは、カモ目カモ科の鳥。野生のマガモとアオクビアヒルとの雑種。肉食用とするほか、狩猟のおとりに用いる。
 合鴨は、鴨類のいない夏季にアヒルでは満足できず、より野生の味を求めてアヒルを掛け合わせて作られた雑種である合鴨は「間鴨」とも表記するように、アヒルとマガモの間の鳥であることからこの名があり、」 (インタネット版『語源由来辞典』)

 日本では1990年代ごろから、アイガモを水田に放して雑草を食べさせ除草剤の使用を減らす合鴨農法が行われている。私のある知人もこの合鴨農法を仲間と一緒にしているが、「アイガモクン」などと愛称で呼びながらシーズンが終わるとつぶして肉にするので何だか哀れにも思っていた。しかし、アイガモは自然には存在しない雑種だから、放鳥は厳禁されているので仕方がないことのようだ。そうすると近くの田で見るのはアイガモではないのかも知れないが、一応アイガモとしておこう。

 舗装した畦道で休んで、羽をつくろったりしている。







 しとしとと降る梅雨の水田にアイガモがいる風景は、ちょっと心休まるものだ。




ツバメの雛

2010-07-11 09:53:46 | 身辺雑記
 近くの私鉄のターミナル駅の出入り口にある非常口表示灯に、ツバメが巣を作っていた。

 

 巣には4羽の雛がいた。顔はちょっと子犬のように見えて愛らしい。



 親ツバメの帰りを待っていて、親が帰ってくる方向を見ている。



 餌がほしいのか時々黄色い口を大きく開けてピーピー囀るのが可愛い。





 しばらくその場を外して戻ってみると、親が巣にいた。外はかなりの雨なので、餌があまり捕れないのか、休んでいるのか、じっとしている。雛達もうずくまっている。



 1羽の雛が急に頭を持ち上げて、口をあけて餌をねだると、親は飛び去った。



 その後も親は戻ってきて餌を与えていたが、一瞬のうちにまた飛び去るので写真は撮れなかった。

 私が巣を見上げていると、通りかかる人たちも見て、「可愛い」と言ったり、携帯電話で写真を撮ったりしていた。この雛は親が運ぶ餌で、これからどんどん大きくなっていくのだろう。巣立つまで時々見に行くつもりだ。


 [付]可愛い動物を見ると心が和む。インタネットを見ていると時折可愛い写真を見つけることがある。これもその1つ。女性写真家がカメラを構えているところへ、子犬や小鹿が寄って来て興味深そうに見ている様子が何とも可愛い。

           


物忘れ

2010-07-10 09:54:33 | 身辺雑記
 同じ題で前にも書いたが、近頃経験したことを書く。

 年をとると物忘れすることが多くなるとはよく言われることだが、とりわけ人や物の名前を思い出しにくくなることは、それほど高齢にならなくても50代も半ばを過ぎると顕著になる人もいるようだ。卒業生のI君は50代も終わり頃だが、話しているとよく「ほら、あれ・・・・。あかんなあ。また、すぐ出てこん」と、もどかしそうに宙を指さし手首を振りながら言う。そんな時は私も同じだから、お互い様だよと笑うのだが、しばらくするとどちらかが、「ああ、○○だった」と思い出し、「そうそう、○○」とほっとしたような気分になる。

 私もご他聞に漏れずその傾向がだんだん強くなっている。人の名前が出てこない時には、その人の顔を思い浮かべながら頭の中で、アア、アイ、アウ、アエ、アオなどと50音を組み合わせて取っ掛かりを掴もうとしたりするのだが、なかなかうまくいかない。そうこうしているうちに頭の中は空白状態になり、やがて諦めてしまう。あの思考の空白状態が無念無想の境地なのかとか、心頭滅却すればというのはあのようなものかなどと考えたりする。それなのに後になって突然、「ああ、○○さんだ」と思い出すのは一体どういうことになっているのか。前にも電車の中で、前の座席に座った中年の男性の顔に見覚えがあった。確かテレビのプロ野球中継放送の解説者だったはずだ、「世界の盗塁王」と呼ばれていたなとそこまでは思い出したが、その名前がどうしても思い出せない。まあいい、どうせまた突然思い出すだろうと思って諦めたが、やはり夜になってはたと思い当たった。「何とかモトだった。そうだフクモトだった」と思い出し、その後しばらくして「福本豊だ」と、めでたく(?)完成した。

 前にHg君やHr君たちと雛人形を見に行ったときに立ち寄ったある神社で、何かの木の枝にたくさんの白いものが付着しているのを見て、「ああ、あれは・・・・」と言おうとしたが名前が出てこない。その後もずっと思い出そうとしたが結局その日はだめだった。ところが2日目かの明け方、トイレに立ってからベッドに戻り布団にもぐりこんで、もう一眠りしようと目をつぶったら、急に「地衣類」という文字が暗い中に出てきて、それがだんだん大きくなったような感じになった。はたと我に返り、「そうだ。そうだ。地衣類だった」と納得し、安心して眠りにつくことができた。

 *地衣類というのは一見コケのように見えるが菌類と藻類の共生体で、乾燥に強く、地表や岩の上、樹皮上などに着生するものが多い。また極地などの厳しい環境にも生育する。梅や松、桜などの樹皮に付着し、古木じみた様相にしているのはよく見かける。
 桜の樹皮で。代表的な種、ウメノキゴケの仲間か。

 梅の樹皮で。

 高校で生物を教えていた時にはもちろん説明もしたのだが、今になって名前が思い出せずに情けないようなもどかしさを感じたが、脳細胞の奥の方に埋もれていたものが、急に日の目を見たように思い出したわけだ。これはどのような脳の働きなのだろうかと思う。比喩的になるが脳細胞を箪笥の引き出しのようなものだとすると、たびたび中の物を出し入れしていないと、どの引き出しか分からなくなり、見つけて開こうとしてもガタが来ていてすぐには開かない。こんなことなのだろうかと思ったりする。

 やがては多くの引き出しが開かなくなるようなこともあるのだろう。そういう状態の自分はどうにも哀れな存在になるのだから、考えるのは止めておこう。