ウォーキングの記録が中々残せません…これは5月末のものです。歩いたのは諏訪湖サービスエリアの山側にある鎌倉街道です。鎌倉街道は、中世に鎌倉から関東諸国を通過し、信濃・越後・陸奥などの国に通じた交通の要路で、鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉!」とばかりに、「馳せ参じる道」でもあったそうです。諏訪地方では東街道と西街道があって、今回歩いたのは西街道の方です。まずは諏訪湖サービスエリアの麓にある「諏訪ガラスの里」から出発しました。上方にサービスエリアが見えます。
「石舟渡」の信号から岡谷方面に向かって「小坂」の信号までは、諏訪湖畔を歩きました。これで何回かに分けて行った湖畔一周が完結した次第です。湖畔には「キショウブ」がたくさん咲いていました。この花は増えてきている様子です。湖畔の公園の「シャクヤク」もきれいでした。
ここからは西側に登って行きました。登って行く途中にあったのは「農村歌舞伎の廻舞台」です。
貴重な建造物でぜひ中も見てみたい気がしたのですが、この門の様子にちょっと恐れをなしてしまいました…
ぜひ、こうして残されたものは大事にしていただきたいです。でも、建物はきちんと管理されている様子でした。
「シャガ」の花がひっそりと咲いていました。
中央自動車道の下をくぐってサービスエリアの上まで登りました。振り返ると、トンネルの向こうに諏訪湖が見えます。
中央道の側道を歩きました。その向こうには八ヶ岳が見えます。
付近に咲く花たちも眺めながら歩きました。「ミズキ」と「ウツギ」と「クサノオウ」です。
この道は「鎌倉街道」ですが、この部分は「三本松ロマン街道」と名付けられています。「一本松」としばらく先に進むと「三本松」がありました。昔の旅人の道しるべになったものと思われます。
「三本松」付近には遺跡もあって案内が出ていました。「三本松ロマン街道」の道しるべもありました。
「三本松」付近からの中央自動車道です。車の通行がとっても少なかったです。
ここから眺めた諏訪湖とサービスエリア、それに諏訪市の田園風景と、茅野市街地と八ヶ岳です。
ここから「諏訪湖サービスエリア」に降りて、スターバックスのお店のテラスで一休みしました。そこからの諏訪湖です。サービスエリアでは利用客も少なく、ひっそりとしていました。
サービスエリアからは坂道を下って諏訪湖畔まで下りました。サービスエリアの花壇に「シロミミナグサ」がきれいでした。途中で見かけた苔と古き半鐘に注目でした。
ガラスの里まで戻りました。ガラスの里にこのウォーキングコースの案内板がありました。次回はサービスエリアから茅野方面も歩く予定です。
地元に居ながら、なかなか歩く機会がなかった鎌倉街道をウォーキングができ、興味深かったです。この日は距離は少なかったですが高低差のある場所でしたので、いい運動ができました。歩数は7968歩でした…
鎌倉街道は諏訪の地にもあったのです。
実は以前に歩いた「諏訪大社上社の杜」も鎌倉街道でした…
古に思いを馳せる道はなかなか良いものです。
諏訪にこの道があるということは、きっと甲斐の国にもあるはず!
と調べてみたら、御坂峠越えで甲府に至る道があるようです…
歴史は今まで敬遠してきていて、私もごたごたは良く分かりません。
大河ドラマも敬遠せずに見て歴史を学ぼうかしらと思います…
農村歌舞伎はこちらでも盛んだったようです。
大鹿歌舞伎はtakeさんは実際に行かれたのですね。
私も一度見に行きたいと思っているところです…
お義母様の集落には貴重な能舞台がありましたね。
そうしたものが受け継がれる環境も素晴らしいことと思います。
中央道関連の遺跡発掘は釈迦堂遺跡博物館に繋がりますね。
いろいろ思いが繋がったウォーキングでした。
それに切れ切れのウォーキングがようやく諏訪湖一周に繋がった日でもありました…
厚木にお住まいだったのでしたら、鎌倉は近いですね。
こちらからだと近いようで遠い地です…
それに何だか鎌倉は賑やかな印象です。
アジサイの時期に行ってすごい人だったことも…
でも歴史ある場所がたくさんありますし、行って見たい所はあちこちあるのです。
本当に「いざ鎌倉!」と出かけたいものです…
「いざ鎌倉へ」「鎌倉街道」・・言葉だけは知っていてもその内容は知りませんでした。
諏訪湖近くに鎌倉街道なるものが通っていたとは!
鎌倉殿の力は大きなものだったのですね。
大河ドラマの中だけで歴史を見ているだけのような私です。
幕末のごたごたなんて 本当に私の中ではごたごた・・
家康さま登場の解説で(今の大河ドラマのことです)少しは整理されてきました。
あらら 横道に・・
鎌倉街道
「三本松ロマン街道」と名付けられたこの道は 本当に歴史ロマンを感じさせられる道ですね。
この農村に江戸時代からあった歌舞伎(大鹿村の歌舞伎や 義母の集落での能、※能だけではなくお芝居用(?)に回り舞台も残されています。貧しいだけではなかった山奥での文化、喜び楽しみを思い描かれます)
すくっと立つ松の木は 昔の旅人の道しるべ・・・きっとそう。
縄文からの遺跡群(やはり「中央道建設のため」の文字が・・)
今は使われてはいなそうな錆びた半鐘・・
身近な古き歴史を見知り ここで諏訪湖一周ウォーキングも達成と。
「おめでとうございます!」
=追伸=
ranさんからのコメントを拝見して・・
鎌倉近くにお住まいだったのですね~。
私が厚木に住んでいた時には あんなに近かった鎌倉ですが 山梨からは直線距離は近くてもいざ出かけるとなるとどのルートを使っても「遠い場所」
これでは 「いざ鎌倉」は無理な地か。
山梨に戻ってからも何回か行った「江の島・鎌倉・湘南方面」・・道路の混雑さも含めて「遠い!」
でも 今は高速道路で繋がった!
でも 「でかけられない今」
出かけてみたい鎌倉へ・・。いざ
鎌倉街道はあまり馴染みがないですよね。
私が初めて諏訪に来て住んだのが下諏訪町の高木地籍…
そこの山際の道に鎌倉街道の小さな標識を見つけました。
当時は鎌倉時代からあって、鎌倉につながる道かしら位の認識だったのですが…
今回、ようやくその実体が分かりました。
この道は茅野市坂室で分かれて諏訪湖の東西を通り、岡谷市鮎沢で合流しているようです。
私の知っていたのは東街道でした…
ranさんは鎌倉の近くにお住まいだったのですね。
街道繫がりの鎌倉…何度か行きましたが、いいところですね。
今度はこの鎌倉街道に思いを馳せて鎌倉を歩いてみたいものです…
この一本松と三本松はいつ頃からここにあったのでしょう…
鎌倉時代とは言わないまでも、江戸時代位からはあったような雰囲気の松でした。
きっと多くの旅人を見守ってきたことでしょうね。
今は高速道路とサービスエリアを見守っている感じです…
この道に車が少ないのに驚きでしたが、考えてみたら私もしばらく高速を走っていませんでした…
八ヶ岳も田園風景ももうすっかり初夏の雰囲気ですね。
梅雨に入ってしまったので、あまり動けていない毎日です。
体操教室もコロナでずっとお休み…
このウォーキングくらいしか運動の機会がない日々です…
私は諏訪に嫁ぐ前は鎌倉近くに居住しており文字を見るだけで懐かしいです!
現在でも『いざ鎌倉!』は使われて居ますネ。
1本松・3本松は中世のままこの場に育っているのでしょうか?
松は寿命が長~いですから・・・
諏訪湖の高台でさぞ風雨にさらされた今日を迎えているのかも・・・
八ヶ岳・久しぶりに目にします。
もうすっかり初夏の八ヶ岳ですネ。
眼下に見える田圃も田植えがすっかり終わって爽やかな風景に見えます。
タッジマッジ―様はとても健康的な日々をお過ごしですネ。
7968歩・・・
私には信じられない歩数です。
湖畔一周完結・おめでとうございます!