Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「はるばる亭」のエドウィナが、今夜、NHK BSに登場。

2025-02-05 | Weblog
「はるばる亭」のエドウィナが、今夜、NHK BSに登場。
本日 2月5日 水曜日 23:35より

「Follow Your Heart and Listen to the Soup!」というタイトルです。

ほほう、と、思った方は、ぜひ食べに行ってみてください。

以前記した感想

エドウィナからの拡散指令を受けて拡散していましたが、
思いの外、長尺の番組になっていて、びっくり。

彼女のオーストリアでの少女時代から、デザイナーとしての活動のことまで。

パートナーのさなえさんが若い頃の写真も出てきて、びっくり。
さなえさんが亡くなられてて、もうすぐ三年になってしまうのだなあ。

閉店の危機を乗り越えて、いまは週に五日間、営業しています。
経堂駅北口、スーパー・オオゼキの裏側です。

いつまで公開かわからないが、以下で見られます。

https://t.co/XGaAbsMbJ8


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大阪の「30年」

2025-02-05 | Weblog
大阪の小劇場ウイングフィールドさんが回顧の本を出した。
「30年」を記念してということだ。
「30年」経つのか。
おつかれさまです。
そして、ありがとう。

大阪。
私が最初に大阪で演劇に関わったのは、1982年の夏。
いまはなき劇場オレンジルームに、スタッフとして行った。
この30年は公共ホールでやることが多かったから、
ウイングフィールドさんで公演した回数は少ない。

それでも、大阪の街中で演劇をするのは、あらためて、思い出深いものがある。
関西の公共ホールはどうしても、ど真ん中からは、少し外れる。

『屋根裏』は、関西では他の劇場でもやったが、ウイングフィールドさんでもやった。
『宇宙みそ汁』もそうだったが、梅ヶ丘BOXで上演したもので関西で上演するには、確かに最適である。
『悪魔をやっつけろ』は、東京では大きい会場でやったが、ウイングフィールドもぴったりだったな、と思う。京都と伊丹でやってしまったのだ。

そうか。
ウイングフィールドさんでもやった公演を、東京では梅ヶ丘BOXでやってくれればいいのだ。
皆さん、お待ちしています。

ウイングフィールド。
その場所は、劇場というよりは、「解放区」として作られたという気がする。
そうでしょう、福本さん。






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人吉の「大勝軒」でした

2025-02-04 | Weblog
今回の旅で出会ったのは、人吉の「大勝軒」でした。
この街には二十年近く来ているはずなのに、お初でした。

九州ラーメンです。
しかし、特色があります。
「球磨川ラーメン」、別名は「長々麺」。
麺の長さ6メートル。
「地元のソウル」だそうです。
球磨川の雄大さを象徴しているのかもしれません。

ただ、長ければ、茹でるのに時間がかかります。
6メートルもあるので技術的に難しいのでしょう。
九州らしい豚骨スープなのですが、麺は博多のような硬さというか、コシもなく、噛みきってしまえば、長かったかどうかは、あまり関係がないことになります。

ともあれ、体験はしました。


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南の国の「大勝軒」

2025-02-04 | Weblog
南の国を旅していて、「大勝軒」を発見。
池袋でも永福町でもない、南の国である。
どうやら老舗らしいし、二十年近く前から何度か来ている街なのに、認識していなかった。

さて、ここはどこでしょう。
って、クイズじゃないけど、すぐに正解は挙げますよ。
はい。
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『悪魔をやっつけろ』の旅を思い出しながら

2025-02-04 | Weblog
静岡・やどりぎ座のことを思いだしているのは、先週から一人旅が続いており、四年前に全国二十数カ所の『悪魔をやっつけろ』公演で一人旅していた頃のことを思い出すからである。照明・音響変化なしの一人芝居だから、全国各地の、小劇場だけでなく、ライブハウス、お寺、レストラン、講堂、稽古場などの公演会場を、まったくの一人で回ったのである。
今回、おなじように一人旅で何箇所かを巡っているので、コロナ禍下、まったくの一人で旅を続けたあの日々のことが、想起されていたのである。今回は公演ではないが。

あと、『悪魔をやっつけろ』は、デヴィッド・ヘアーの作品であり、いま、デヴィッド作品ではないが、イギリスの某新作戯曲に取り組んで準備をしているためでもある。

写真は、『悪魔をやっつけろ』の宣材を貼りだしてくれていた、四年前のやどりぎ座。

さて、とりあえず今日は、雪が心配である。


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四年前、静岡・やどりぎ座で上演した、二本立て

2025-02-03 | Weblog
四年前、静岡・やどりぎ座で上演したのは、この二本立てである。

燐光群『悪魔をやっつけろ』
髙山植物園プレゼンツ『はしるふたり』

あたふたと、1日に2回の公演。

こうしたシンプルな企画に相応しい、素敵な劇場だった。

やどりぎ座が昨年閉館してしまったのは、残念である。

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やどりぎ座客席は「密」を避け、広々と。 コロナ真っ盛りの時期だったのだ。

2025-02-03 | Weblog
四年前、静岡に行ったのは、やどりぎ座で公演したからである。

客席は「密」を避け、広々と。

コロナ真っ盛りの時期だったのだ。

やどりぎ座が昨年閉館してしまったのは、残念である。

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やどりぎ座の外観

2025-02-03 | Weblog
四年前、静岡に行ったのは、やどりぎ座で公演したからである。

お洒落な外観。

やどりぎ座が昨年閉館してしまったのは、残念である。


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静岡に行ったのは、やどりぎ座で公演したからである

2025-02-02 | Weblog
四年前、静岡に行ったのは、やどりぎ座で公演したからである。
やどりぎ座が昨年閉館してしまったのは、残念である。


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唐突に思い出す、というわけではなく

2025-02-02 | Weblog
昼食に入った食堂。
ランチセットを頼むと、店の親父さんが、「今日は本当はクジラ肉を出したかった」と唐突に言う。
たぶん本当にそうだったのだろう。
私がクジラ関係者と見抜いたわけではなさそうだ。
なんにしても「クジラ肉」という言葉がしばらく頭に残って、
向かいでは先輩がてんぷら蕎麦を食べていて、隣では二人がチャンポンセットを食べてている。
私以外の人は麺類食だった。
まあ、何でもある店だったのだが。
麺類とクジラ、と言われると(言われてはいないが)、記憶の彼方に何か浮かんできた。
クジララーメンというのがどこかにあったはずだ、と思い出した。
静岡だった。
店には入らなかった。暇がなかった。クジララーメンというのがどんな味かは未知のままだ。表の写真を撮っていた。私はクジラに関したものを発見したら、それがどんなものでも、撮影し、沖縄宜野湾のクジラ博士チームに送ることにしているのだが、はたしてその写真も撮影していた。
「ヒトヤドノクジラ」である。
不思議なネーミングセンスである。
「大人のラーメン」とあるが、どこがどのように大人なのかの謎は解けていない。食べていないからだ。

で、ともあれ、私の脳裏には、静岡に行った頃の思い出が甦ってくるのだった。

クジララーメン店を唐突に思い出した、と、思っていたが、少しも唐突ではなかった。そのような順路で意識に上がってきたのだ。

その後数分間、静岡のことを思いだしながら、移動していた。
旅先で、また、ぜんぜん違う町のことを思い出す、それもよくあることである。
しかし、私は静岡にまた行くことはあるのだろうか。

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過去作品の舞台を訪ねる

2025-02-01 | Weblog
故あって、十五年くらい前に書いた戯曲の舞台となった場所を訪ねている。

三年半前にも来た。

過去作品の舞台を訪ねるというのは不思議なものだが、
まあ、結局、全ては現在形である。
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ダブル加藤氏と自由ヶ丘で

2025-02-01 | Weblog
シナリオライター加藤正人さん、
東映ビデオの重鎮だったというかVシネマを始めたプロデューサー加藤和夫さん、
ダブル加藤氏と、自由ヶ丘「淡海」で。

お二人とも四十年のおつきあい。
加藤正人さんは八十年代の廣木隆一組関係から。
彼の最新映画『碁盤斬り』は、オリジナル作品であることに意義がある。
加藤和夫さん、私が初めて演出した劇研の芝居の主役、てことは、もう四十五年か。
ダブル加藤両氏が組んだ映画が『破戒』。
この顔合わせで話すのは初めて。
話が弾みすぎる。楽しすぎる。
きりがないので、とても中身は書けない。

「淡海」は、学生時代、私が後に東映に就職した故・南太郎さんの後釜としてバイトに入った店である。私の後釜が加藤和夫さん。
和夫は私の長原のロッテリアのバイトも引き継いでいたことを、この日に言われるまで忘れていた。
「淡海」は岡山(倉敷)出身のご夫婦が経営していて、私のバイト時は映画評論家で寺山修司グループの斎藤正治さんが常連だった。彼はいつも焼酎お湯割り二百円(当時)をさくっと飲んで帰るのだった。
おかみさんもお元気だった!!

話は尽きなかった。
とても書き切れないので、いったん、ここまで。

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混ぜない理由

2025-01-31 | Weblog
先日書き込んだ、牛丼+カレーが盛られている場合についてですが、
混ぜない理由は簡単で、
混ぜたら全体が「カレー」になってしまうからである。
甘い牛肉の入ったカレー。混ぜれば甘かった記憶も消える。
決して「カレー味の牛丼」にはならない。取り返しのつかないことになる。
はい。
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森友公文書改ざん「文書不開示」訴訟で、大阪高裁が「不開示」とした国の決定を取り消す、逆転判決

2025-01-30 | Weblog
森友学園をめぐる決裁文書の改ざんを命じられたことを苦に自ら命を絶った、財務省近畿財務局職員だった、赤木俊夫さん。
妻の赤木雅子さんが2021年に財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などを開示するよう求めたが、財務省側は文書が存在するかどうかも明らかにせず「文書不開示」とした。
国の決定に対し、捜査の関連資料を開示するよう求めた裁判で、本日、大阪高裁は、不開示とした国の決定に対して、あらためて「取り消し命令」を出したのだ。
雅子さんが控訴し、高裁にあがっての、逆転判決である。
法廷内で拍手が巻き起こったという。

これで赤木俊夫さんが、どのような指示系統で改ざんを強いられたかが明らかにされる。
これ以上無駄に時間を費やすべきではない。国は上告せず判決に従うべきである。

一昨年9月、大阪地裁は「将来の刑事事件の捜査に支障が及ぶ恐れがある」として訴えを退けていた。
国が「見せない」「出さない」と決めることが、誰の利益になるのか。
再発を防ぐことこそ、国民の利益であり、弱者である、労働する現場人を守ることになる。
公文書の開示のあり方じたいが見直されていく契機ともなる、記念すべき判決として、評価すべきである。

財務省の調査報告書では、安倍元総理の「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣も国会議員も辞めるということをはっきりと申し上げておきたい」という国会答弁の後、当時の佐川宣寿理財局長が近畿財務局に決裁文書の改ざんを指示したとされている。
間に立つ官僚たちも「歯車」だから責任をとれないというのは、おかしい。
何よりも、真実を明らかにするのを遮ることが、正当化されてはならない。
財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などが開示されれば、そうしたメカニズムが白日の下にさらされれば、再発を防ぐことに繋がる。
俊夫さんの無念を晴らすためにも、きちんと裁かれねばならない。

写真は、『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』、2020年上演。
左より、円城寺あや、杉山英之。
撮影・姫田蘭。

同作は、半分は、岡山出身の作家・棟田博の代表作『拝啓天皇陛下様』に基づいている。かつて渥美清主演・野村芳太郎監督で映画化され、「国民的喜劇」として成功を収めた。棟田博氏は私の遠い姻戚である。『拝啓天皇陛下様』を劇化することが、私の永年の夢であった。

『拝啓天皇陛下様』の愛読者である、現代を生きる官僚が、「玲和」を迎える世の「生きにくさ」「宮仕えの辛さ」を、かつての時代に思いを馳せながら耐えていく物語であった。
そう。その官僚のモデルが、赤木さんだったのだ。

二日前のフジテレビのロングラン会見についても毀誉褒貶があるだろうが、少なくとも「真実を知る」ことを求めることが正当であることは、確かめられたと思う。

「真実が味方してくれる」と信じれば、死を選ばずにすんだはずの人たちが、いるのだ。

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講義の終了と、未回答の質問への回答

2025-01-30 | Weblog
レポートの採点を終了。
コロナ禍が終わって、大学に対面式が本格的に戻って、二年。
自分が旅公演中の一回だけ、Zoom講義だった。
学生たちに出した課題は自由度の高いものだったので、それぞれが自分自身の関心に基づいて書いてくる。
当然ながら、将来演劇に携わる学生ばかりではないので、その興味の拡がり方が面白い。今年も熱心な学生がいた。内容はほぼ同じなのに、二年連続で受講してくれる者もいた。

※   ※   ※   ※   ※

さて、講義の中で、答案用紙に私への質問を記入するように言っておきながら、それ以降の講義で答えられていない幾つかのバラバラな質問があって、終了後ではあるが、学生たちへのメッセージ機能で、それらの質問について、回答を記し、送った。(最近の大学はネット環境の機能を駆使するのです。ときどき追いつけませんが)

といっても、答えようのない質問も多かったので、答えられそうなものだけです。
もはや講座終了後なので、こちらにも紹介します。
そのときどきの質問なので、とりとめもないものです。

Q:「コメディーの演劇」と「コント」は何を基準にして区分けされていますか?

区分けする必要のある人が、そうしているだけ。

Q:何がきっかけで演劇の魅力に気づいたか。

具体的に、個々の作品にめざましい表現のあるものが著しく多い時期に演劇に出会ってしまったからです。1980年頃。

Q:キスシーンを、キスをしているように見せて、本当は舌を入れていないという話にびっくりしました。本当に入れてしていると思っていました。していないのにしているように見せるコツやポイントがあったら教えてほしいです。

接触はしています。単純に舌を入れていないだけです。

Q:講義内に紹介された「スライディングステージ」などの機構の導入を決めるのは誰なのでしょうか。

美術家と舞台監督と演出家と制作者。設備のある劇場なら、自然と決まります。他に適切な合理的方法がないときにその判断を共有できるのが専門家チームです。
日本の劇場にはほとんどその設備がありません。設備がなくて架設しなくてはならない場合は、導入を決定できるのは、財布を握っている人です。

Q:俳優が演出を兼ねているステージでは「演出家」はいるのか?
Q:俳優は演出にどこまで口を出していいのか。仕事の領分の分け方はどうなっていますか。

「演出家」が存在する演劇は、百何十年か前にうまれたばかりです。じつは昔から、「演出家」がいなくても演劇をやっていたのです。
逆に、誰かが言葉として指示らしい指示を出しているように見えなくても見事に劇が出来上がってゆく場合もあります。

Q:感情移入と客観のバランスとは?

たぶん「バランス」を考え始めた段階で、その演技プランは破綻しています。

Q:何かを伝えようとしたら、かえって不自然にならないでしょうか。

演者が何かを伝えるとしたら、何かを伝えようとするのではなく、何かを伝えなければならない現実を生きるだけです。


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