高橋ユリカさんの訃報に茫然としてもう三日である。
彼女は下北沢再開発問題の闘士であった。
熊本・川辺川ダムの問題を追いかけ続けたジャーナリストであった。
長い間、自らもがんと闘いながら、ホスピスや緩和ケア問題についての発言・論考も重ねてきた。
なんと多才で、情熱に溢れ、理知的であったか。
保坂区長とも話したが、ほんとうに、下北沢のことは私たちが「託された」のだ。
彼女は死の直前まで病床でこの問題についての概観をまとめ直す作業を、凄まじい勢いで行っていたという。
私が『帰還』という戯曲を書くことができたのは、彼女から熊本の知り合いを大勢紹介していただいて、じつに充実した取材を果たせたからだ。「ユリカさんの知り合い」というだけで、誰もがよくしてくださった。彼女との出会いという僥倖に恵まれなければ、あり得ない仕事だった。
大きく動く現場には必ず魅力的な人がいる。
ただ、こんなスケールで直接的な役割を果たし続けた人を、私は他に知らない。
写真は昨年六月、『帰還』上演後舞台上でのトークに出ていただいた後、スズナリ・ロビーにて。
ご冥福をお祈りする。
彼女は下北沢再開発問題の闘士であった。
熊本・川辺川ダムの問題を追いかけ続けたジャーナリストであった。
長い間、自らもがんと闘いながら、ホスピスや緩和ケア問題についての発言・論考も重ねてきた。
なんと多才で、情熱に溢れ、理知的であったか。
保坂区長とも話したが、ほんとうに、下北沢のことは私たちが「託された」のだ。
彼女は死の直前まで病床でこの問題についての概観をまとめ直す作業を、凄まじい勢いで行っていたという。
私が『帰還』という戯曲を書くことができたのは、彼女から熊本の知り合いを大勢紹介していただいて、じつに充実した取材を果たせたからだ。「ユリカさんの知り合い」というだけで、誰もがよくしてくださった。彼女との出会いという僥倖に恵まれなければ、あり得ない仕事だった。
大きく動く現場には必ず魅力的な人がいる。
ただ、こんなスケールで直接的な役割を果たし続けた人を、私は他に知らない。
写真は昨年六月、『帰還』上演後舞台上でのトークに出ていただいた後、スズナリ・ロビーにて。
ご冥福をお祈りする。