根拠のない「建国記念日」など祝日にする必要などない。天皇誕生日とかと並んで、お休みになって嬉しい子どもたちを洗脳するために作られたのだろう。
舛添「新都知事」は、あれほど批判していた自民党の要望を丸呑みにし、首都機能移転や道州制などの政策を取り下げ、「生まれ変わった」御陰で当選できた。人間は権力を握るという誘惑のためには自分の持論さえ捨てるという醜悪さをこそ、子どもたちは学んでほしい。というか、そういう報道は一つもないね。
マスコミは桝添が告発されていることをちゃんと報道するように。
本当にマスコミの責任は重い。
20代の投票先が、田母神氏2位で27%の支持(毎日新聞2月10日朝刊、出口調査)。脱原発派二人の倍近いのだという。
日本全国に約250万人の「ネット保守」が存在し、その勢力は社民党の約2倍、日本共産党の約半分、国会議員にして2~3議席分の勢力だと分析する人もいる。
どんな国になってもいいのか。
若い世代は自分から進んで徴兵制の時代を招こうとしているのか。
選挙が終わったから「ノーサイド」というが、初めからそんな「対立」があったのか?
私はとくに細川陣営にいろいろ意見を言ったが、合理的な疑問さえ受け付けられないのはおかしい。立候補初期に当時の選対トップ馬渡氏への疑惑についてこのブログに記したことは、一部から馬渡更迭に役に立ったと思われたりもした。細川氏の「クリーンイメージ」を傷つけないためにということか。
「ノーサイド」も知らないし、「対立」も知らない。
それでも「一本化」できなかったことでいろいろ言う人がいるなら、そして「脱原発」、右傾化する安倍政権に「NO!」がそれだけ大切なら、先に立つ宇都宮候補を応援すればよかったのだと繰り返すしかない。
「一本化」しなければ勝てない、という言説が流布されたこと自体が有権者に信頼されなかったということに、気がついていないのだろうか。
小泉の街頭演説は選挙演説ではなく結果として「小泉の人気取り演説」になってしまっていたと言う人も多い。多くの聴衆もいたが、有名な人が喋っているから見てみようと思った、という声も聞く。国政には戻らないというのが嘘とも思わないし、小泉に政界再編への意志があるかどうかもわからない。そういうことを問題にしているのではない。
「脱原発」に対して「徐々にでいい」と応えた有権者が半数なのだ。悔しく情けないが、その現実に向き合うことが大切だ。
言いかえよう。「一本化」騒動で、「脱原発」メッセージが「政治に利用された」という印象を持つ一般有権者が多いということだ。
その印象じたいがねじ曲がったものだ。だが、そう取られた理由はある。
また、「元首相二人の揃い踏み」は、反骨でも何でもなくて、「力に縋った」という印象でも取られているのだ。
これは私の意見ではない。
「原発は国政ではない、都知事選で焦点になることに違和感がある」という多くの有権者たちの声を、「脱原発」を主張に抱えた候補者を応援した私たちは、本当に理解しないといけない。
「脱原発」の逼迫と重要性が理解されていないことを思い知らされたわけだ。
原発「即ゼロ」が、193万票、舛添氏得票211万票に迫ったなどという脳天気なことを言っている場合ではない。
「宇都宮氏が細川氏に勝って喜んでいる共産党」には、私も激しい違和感がある。
宇都宮氏は「共産党の候補者」ではない。
ではどうする。
建設的な議論以外は無意味だ。
次にどうするか、でしかない。
ソチ五輪で日本人選手の活躍が期待される中、「明治天皇の玄孫」で、日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の息子でもある竹田恒泰なる人物が、ツイッターで選手に「注文」をつけているという。
「メダルを取る可能性がある日本選手」は、オリンピックでおなじみの光景となっている「メダルを噛む」行為をしないこと、理由は「品がない上に、メダルを屈辱することになる(原文ママ)」だそうだ。さらに国歌が流れたときは「聴くのではなく歌え」「日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない」「直立不動で歌うこと」という。「予選落ちしてヘラヘラと『楽しかった』などと語った選手」に対して、負けた場合は「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」「日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」。
メダルを噛む習慣は私にもよくわからないが、本人の勝手だろうし、歌う歌わないもその人の自由だろう。
こういう言説が平気で出てくることじたいに違和感がある。
選手も、選手を応援する人も萎えさせる。
私はテレビなど観ている余裕がないが、そもそも一般の人たちの気持ちが、「自分たちの国」「自分たちの国の選手」と素直に思うことができなくなってしまっているのではないか。
「建国記念日」は廃止すべきだ。私たちが「自分たちの国」のイメージを共有できないなら。
舛添「新都知事」は、あれほど批判していた自民党の要望を丸呑みにし、首都機能移転や道州制などの政策を取り下げ、「生まれ変わった」御陰で当選できた。人間は権力を握るという誘惑のためには自分の持論さえ捨てるという醜悪さをこそ、子どもたちは学んでほしい。というか、そういう報道は一つもないね。
マスコミは桝添が告発されていることをちゃんと報道するように。
本当にマスコミの責任は重い。
20代の投票先が、田母神氏2位で27%の支持(毎日新聞2月10日朝刊、出口調査)。脱原発派二人の倍近いのだという。
日本全国に約250万人の「ネット保守」が存在し、その勢力は社民党の約2倍、日本共産党の約半分、国会議員にして2~3議席分の勢力だと分析する人もいる。
どんな国になってもいいのか。
若い世代は自分から進んで徴兵制の時代を招こうとしているのか。
選挙が終わったから「ノーサイド」というが、初めからそんな「対立」があったのか?
私はとくに細川陣営にいろいろ意見を言ったが、合理的な疑問さえ受け付けられないのはおかしい。立候補初期に当時の選対トップ馬渡氏への疑惑についてこのブログに記したことは、一部から馬渡更迭に役に立ったと思われたりもした。細川氏の「クリーンイメージ」を傷つけないためにということか。
「ノーサイド」も知らないし、「対立」も知らない。
それでも「一本化」できなかったことでいろいろ言う人がいるなら、そして「脱原発」、右傾化する安倍政権に「NO!」がそれだけ大切なら、先に立つ宇都宮候補を応援すればよかったのだと繰り返すしかない。
「一本化」しなければ勝てない、という言説が流布されたこと自体が有権者に信頼されなかったということに、気がついていないのだろうか。
小泉の街頭演説は選挙演説ではなく結果として「小泉の人気取り演説」になってしまっていたと言う人も多い。多くの聴衆もいたが、有名な人が喋っているから見てみようと思った、という声も聞く。国政には戻らないというのが嘘とも思わないし、小泉に政界再編への意志があるかどうかもわからない。そういうことを問題にしているのではない。
「脱原発」に対して「徐々にでいい」と応えた有権者が半数なのだ。悔しく情けないが、その現実に向き合うことが大切だ。
言いかえよう。「一本化」騒動で、「脱原発」メッセージが「政治に利用された」という印象を持つ一般有権者が多いということだ。
その印象じたいがねじ曲がったものだ。だが、そう取られた理由はある。
また、「元首相二人の揃い踏み」は、反骨でも何でもなくて、「力に縋った」という印象でも取られているのだ。
これは私の意見ではない。
「原発は国政ではない、都知事選で焦点になることに違和感がある」という多くの有権者たちの声を、「脱原発」を主張に抱えた候補者を応援した私たちは、本当に理解しないといけない。
「脱原発」の逼迫と重要性が理解されていないことを思い知らされたわけだ。
原発「即ゼロ」が、193万票、舛添氏得票211万票に迫ったなどという脳天気なことを言っている場合ではない。
「宇都宮氏が細川氏に勝って喜んでいる共産党」には、私も激しい違和感がある。
宇都宮氏は「共産党の候補者」ではない。
ではどうする。
建設的な議論以外は無意味だ。
次にどうするか、でしかない。
ソチ五輪で日本人選手の活躍が期待される中、「明治天皇の玄孫」で、日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の息子でもある竹田恒泰なる人物が、ツイッターで選手に「注文」をつけているという。
「メダルを取る可能性がある日本選手」は、オリンピックでおなじみの光景となっている「メダルを噛む」行為をしないこと、理由は「品がない上に、メダルを屈辱することになる(原文ママ)」だそうだ。さらに国歌が流れたときは「聴くのではなく歌え」「日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない」「直立不動で歌うこと」という。「予選落ちしてヘラヘラと『楽しかった』などと語った選手」に対して、負けた場合は「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」「日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」。
メダルを噛む習慣は私にもよくわからないが、本人の勝手だろうし、歌う歌わないもその人の自由だろう。
こういう言説が平気で出てくることじたいに違和感がある。
選手も、選手を応援する人も萎えさせる。
私はテレビなど観ている余裕がないが、そもそも一般の人たちの気持ちが、「自分たちの国」「自分たちの国の選手」と素直に思うことができなくなってしまっているのではないか。
「建国記念日」は廃止すべきだ。私たちが「自分たちの国」のイメージを共有できないなら。
そういう安っぽい恐怖心を植えつけて右傾化を防ごうとするから、かえって左翼勢力はバカにされるのではないでしょうか
兵器のハイテク化で先進各国は軒並み徴兵制を廃止し、中国でさえ徴兵制じゃなく実質志願制だというのに、島国日本が徴兵制を採用する確率は限りなく低いです