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“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「日本の政治の未成熟さ」と十代のメダリスト

2014-02-12 | Weblog
東京都知事選で「脱原発」候補一本化を呼びかけたルポライター・鎌田慧氏が朝日新聞に選挙結果を受けた「総括」を載せているというので読んだ。
私は鎌田氏のこれまでの活動に対する敬意は持っている。
しかし将来、この文章に書かれていることが、ある立場から見れば間違いではないということになるのかもしれないが、この時代の大局を正確に語っていると誤解されないためにも、私の考えを記しておきたい。

「細川氏は起ち上がりの遅さを最後まで挽回(ばんかい)できなかった」「街頭演説では、小泉氏と細川氏の元首相コンビが、圧倒的な人気をみせていた。どこでも千人を超す人垣ができた」「それが票となって表れるなら、細川氏が舛添氏に圧勝していたはずだ」「が、東京の地下深くに延びている、保守的な岩盤、自公の組織票を崩すことができなかった」というのが鎌田氏の選挙の分析だ。
「細川氏と小泉氏は原発ゼロの経済効果を説くばかりではなく、政治の流れを変える、とも語った。保守派からの「安倍右傾化」批判でもあった」というが、「政治の流れを変える」根拠が、「なにはともあれ脱原発」というお題目のみだったことを有権者が見抜いていたとは考えないのか。
「自民党から除名された舛添氏を、安倍首相が担いで選挙を戦ったのは、ほかに勝てそうな候補がいなかったからだ」「日本の将来よりも当面の利益を保証する、という公約が、原発依存と建設ブームに期待する大企業や、不況と失業に打ちひしがれている中小業者や若者たちの期待感を引きつけたのは事実だった」という認識があるなら、多くの支援者を細川氏陣営に奪われたにもかかわらず、宇都宮候補が善戦したことの理由を考えるべきだ。「中小業者や若者たち」一般から、さらに多くの「弱者」の期待と支援を得たのが宇都宮氏だったことに気づかないのか。
「選挙戦がはじまったとき、細川選挙事務所にいってみると、運動員はいない、ビラはない。街宣車のマイクが小さい。指揮系統がはっきりしない。集まってきたボランティアは、仕事がなく、すごすご帰るありさまだった。「地上戦なしの空中戦」が、選挙責任者の方針だった、という」「態勢を組み直されたのは、当初の運動責任者が一掃されてからである。そのときは、もうすでに一週間がすぎていた。つまり、「舛添が勝った」というより、細川選対の準備不足の敗北だった」という。
つまり、「選挙のプロが支えていなかった」と八つ当たりしているのだ。
私も初動のぎこちなさに「ネット中心の選挙」を企てることが自民党の息のかかった人たちが「細川氏を勝たせすぎない」ために紛れ込んでいるのではないかと疑惑を持った。そして選対のトップの素性の怪しさを指摘した。結果として選対トップは交替した。それに連なって、残っていたらもっと働いたはずの一部の人も切られたという意見もある。その真偽はそこにいなかった私には判断のしようがない。
「せっかく、二人の元首相が、「原発を認めたのは無知だった。間違いだった」と公衆の面前で重大な告白をしても、宇都宮氏を推す共産、社民の陣営はかつての小泉政治を批判して聞く耳をもたず、共倒れとなった。日本の政治の未成熟さだった」という文が、もっとも引っかかる。
スポニチの言うことだから信用できないという人もいるらしいが、都知事選の投開票から一夜明け、細川氏を支援した小泉純一郎元首相が「もう外に向かって選挙戦をやることはない」と終戦を宣言したという。細川氏をスタートに、「これから各地を回って脱原発候補を支援していく」はずじゃなかったのか。
こんな小泉に翻弄されたことが「日本の政治の未成熟さ」というならわかる。だが、鎌田氏の言い分はそうではないみたいだ。
「宇都宮氏を推す共産、社民の陣営」というが、これは「宇都宮陣営」=「共産、社民の陣営」でしかない、という「詐術」である。宇都宮氏は「無所属」で、両党には入っていないし、「共産、社民」は、支援団体の一部であるに過ぎない。
「日本の政治の未成熟さだった」というのは、つまり「共産、社民」のせいで一本化ができず、「脱原発」陣営が敗れたことだと、どうやら本気で言っているらしい。
「脱原発」の細川・宇都宮両陣営を合わせても桝添に届かなかった。そのことを虚心坦懐に受け止める気はないらしい。
共産、社民の両党に対しては私も言いたいことはある。今までも言ってきた。
確かに、この国が議会制民主主義であり、現在の選挙制度を取る以上、「政党がなければたたかいにくい」というのは事実だ。
では新たに立ち上げる「政党」はあり得るのか。
「社会党」が崩壊したこの四半世紀の歴史について皆、ちゃんと検証できているのか。
私たちはよりきちんと現実を見なくてはならないし、もっと超然としているべきなのではないか。

鎌田氏が「本気」で取り組まれたと多くの人が言う。だからきっとそうなだろう。
しかし、氏の過去の数々の活躍と比べての、今回の選挙戦がらみの、不用意でぎくしやくした態度は、かといって、かつて私たちを『「反核」異論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』で困惑させ、「私たちはオウムに殺されても仕方がない」と言い放って唖然とさせた、かの吉本隆明氏の晩年期を彷彿とさせるわけではない。もう少し「現実的」なのだろう。
だがその誤謬は、私に何かの刺激を与えてくれるわけではない。この国がどこまで駄目になったかを、その示す方向の中で、くっきりと教えてくれただけだ。

「建国記念の日」のせいか、オリンピック中だからか、「愛国心」というコトバをよく聞く。「海外に行くとみんな愛国者になる」などという人もいるが、逆の人もいるはずだし、そういう意味ではなく、どこにいようと自分の国のことを客観的にも語れることこそが、たいせつな、正しい「愛国心」の必須条件であると私は思う。冷静で論理的な裏付けのない「愛国心」など、意味がない。
逆に言えば、海外に行っても自分の国について冷静かつ論理的に語れる者こそが、私の思う「愛国心」を備えていることの必須条件である。その意味では、私は海外ではじゅうぶんに「愛国心」の持ち主と思われているはずだ。「自分の国のことをちゃんと見ている」「こういう日本人がいることがわかって安堵した」ということを、よく言われた。海外数カ国で「講演」もしてきたが、私に「愛国心」がないと思った聞き手は、ほとんどいないのではないかと思う。

「日本の政治の未成熟さ」という言い放ち方には、冷静さも論理も感じられない。「未成熟」、そんなことは初めからわかっている。おそらく鎌田氏がジャーナリズムで活躍を始められた頃からそうなのだろう。ただ、今回に限っていえば、鎌田氏こそがその「日本の政治の未成熟さ」を利用しようとしたのではないのかと、私は思う。
そして、細川氏と小泉氏には、東京に対する「愛」は感じられなかった。そういうことが大切なのではないかという気がする。

オリンピックなどどうでもいいし、国がこんな状況では「国を代表する」リアリティがわかる人には切なく、かえって可哀想な申し訳ないような気がするだけなのだが、ソチ五輪第5日の11日、スノーボードの男子ハーフパイプ決勝で、日本の15歳、平野歩夢が2回目に93.75で2位となり銀メダル。18歳の平岡卓は2回目に92.25点を出し、3位で銅メダルを獲得。日本選手団の今大会初メダルとなった。平野は冬季五輪の日本勢最年少メダリストとなるそうだ。
金メダルは2回目で94・75点を出したユーリ・ポドラドチコフ(スイス)。五輪3連覇を狙った年収八億円の大富豪・アメリカのショーン・ホワイトは2回目の90.25点で4位に終わったという。

テレビなど見ている暇はないが、競技後とセレモニーの十代の二人をちらりと見ると、なんとなくめんどくさそうにいる感じが素敵だ。
それでいい。
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2 コメント

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Unknown (路頭の人)
2014-02-12 12:22:09
鎌田氏のことをどうこう言うのは筋違い。鎌田氏は選挙の当事者ではない。
むしろ宇都宮氏の出馬のしかたこそが問題。最初の段階できちんと誰が立つかというテーブルに着くべきであった。
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どんなテーブル? (kuroneko)
2014-02-12 14:28:02
ブログ「みんななかよく」 のkuronekoです。いつも拝見しております。

横やりながら疑問を記します。

>最初の段階できちんと誰が立つかというテーブルに着くべきであった。

「テーブルにつく」というからには、そういう設定をする会議が提起されたり、話し合いの提起がされていたのでしょうか。
そもそも誰と誰が集まるテーブルなのか疑問。

「最初の段階」というのは、猪瀬辞任から自民党が候補を立てずに、実質、舛添候補にぶら下がることを決定した段階までということかな。その段階では細川候補は出馬表明していないから、話し合いのテーブルにはつけませんね。
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