最初の但馬守護

2018年03月12日 | 但馬の人物
        城崎町戸島 円山川の葦の群生 


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(1級)問題より

【72】源頼朝は義経追討という大義名分で全国に守護・地頭を置きましたが、
最初の但馬守護に任じたのは、誰でしょうか。



 源頼朝は全国に守護職を配置します。源頼朝の信任が厚い安達親長(あだち

ちかなが)が、但馬守護職に任ぜられました。安達氏の祖・安達藤九郎盛長は、伊豆に

流罪となった源頼朝に従ったという武将です。その流れをくむ安達親長が、鎌倉幕府の

有力御家人の一人として但馬の地を治める守護職となったのです。親長は出雲の守護職

も兼任していましたが、承久の変で後鳥羽上皇に与したため解任されます。

その後任は、但馬国太田荘(但東町)を領していた太田昌明が守護職になります。太田

氏の守護職が110年続き、鎌倉幕府が滅び室町幕府の時代になって但馬守護職は山名

師義(やまなもろよし)となるのです。その後、豊臣秀吉に滅ぼされるまで山名一族の

但馬支配の時代が続きます。

答えは   【安達親長】   です。


『大鵬』

 じいちゃんが中学生の頃といったら「巨人・大鵬・卵焼き(きょじん・たいほう・たま

ごやき)」って流行語があったんよ。子供も大人もみんなに人気のある代名詞だったの。

その頃の大相撲は若乃花、栃錦の時代から大鵬、柏戸の時代に代わったころだったの。特

に大鵬の安定した強さはとても人気を得るものだったね。それに、ウクライナ人の父を持

つ樺太生まれの大鵬は、外国人の顔立ちです。今と違い、全部が全部日本人関取の中で、

目立つ顔立ちとそのスマートな取り口で、物凄い人気だったね。

大鵬、柏戸両横綱の千秋楽優勝決定戦は、たいがい大鵬の勝ちで優勝が決まる圧倒的な強

さだったの。幕内優勝も32回で、つい最近まで破られなかった大記録の持ち主だったん

だよ。そんな大鵬のラジオでの相撲放送を聞いて、じいちゃんの中学生時代は過ぎていっ

たんよ。