

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(3級)問題より
【19】1871 年(明治4 年)に廃藩置県が行われ、但馬は豊岡・出石のほか3
県を合わせて5 県となりましたが、これに含まれないのはどれでしょうか。
(a)村岡 (b)生野 (c)久美浜 (d)岩美
明治2年(1869)に諸藩は朝廷に版籍奉還をします。次いで明治4年(1871)
廃藩置県が断行され、但馬ではすでに県となっていた久美浜、生野に続いて豊岡、
出石、村岡が県となりました。この問題での答えは(d)の岩美となります。岩
美は現在の鳥取県の範囲になります。
ところで、すぐその年の11月に生野も出石も村岡も含めた但馬全域と、丹後、
丹波(氷上・多紀・天田三郡)を管轄する豊岡県が誕生します。県庁は豊岡藩邸
を取り壊して元久美浜県庁舎を移築します。豊岡は県庁所在地として発展します。
5年後の明治9年(1876)には、豊岡県は兵庫県と京都府に分割されて現在の兵
庫県が成立します。
『柳祭り』
じいちゃんが小さい時に、自転車に乗せてもらって「柳まつり」に連れてっても
らった時の話なんよ。豊岡の柳まつりは昔からあるの。今と一緒で、8月1日2日
とあったかな。今は、8月1日には豊岡おどりが駅通りであるけれど、昔はなかっ
たね。でも、2日の花火大会は昔もあったんよ。
昔の花火大会は、立野の廃川っていうところであったの。今の市民会館が建ってる
ところ、昔はみんな水のある川だったんよ。じいちゃんは子供だろ、自転車の後ろ
にちょこんと乗せてもらって、家を夕刻出るの。豊岡までは自転車で1時間近く見
ておかなければならないの。
じいちゃんの父ちゃんがこぐ自転車は、納屋道の桑畑のそばを通って、八条の集落
をずっとずっと走って行くの。とっても遠いいよ。八条地区を抜けるとまた右手に
桑畑が続くの。その先が桜通りの堤防の上と言ってね、左ずっと田んぼの向こうに
豊岡高校の校舎が見える豊岡の入り口なんだわ。
だんだん暗くなってきた道を、じいちゃんの父ちゃんは一生懸命自転車こぐの。子
供のじいちゃんも、だんだん眠くなってきたんよ。旭通りを抜けると、やっと打ち
上げ花火が見られるところに着くの。「とど兵」っていう料亭の裏の石垣なんだわ。
今でも建物がある石垣の上なんだわ。現在の道路はちょうど川なんよ。川に沿って
石垣にみんな座って、目の前の打ち上げ花火を見学したの。
毎年同じコースで父ちゃんに連れてってもらったんよ。あっという間に終わってし
まう花火を見終わると、帰りはまた同じコースを一時間かけて、後ろから落ちない
ようにしっかりつかまって、うつらうつらと夢の中だったんよ。