但馬の鉄道

2018年03月26日 | 但馬の交通
        綾部市 綾部梅林うめ祭り


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(3級)問題より

【20】次の鉄道で一番早く全線開通したのは、どこでしょうか。

(a)播但線     (b)山陰線     (c)出石鉄道     (d) 宮津線(舞鶴~豊岡間)



 大阪から神戸姫路までの山陽線は開通していました。京都から福知山を通って

山陰線は和田山まで開通していました。それを追っかけるようにして但馬の鉄道

は、明治39年(1906)に姫路から和田山までの播但鉄道(現JR播但線)が開

通します。

明治42年(1909)に山陰線は城崎駅まで開通します。

昭和4年(1929)に出石軽便鉄道が江原~出石に開通します。

昭和7年(1932)に宮津線が舞鶴~豊岡に開通します。

4つの鉄道線路のうち、一番早く全線開通したのは播但線です。答えは(a)の

播但線(姫路~和田山間)となります。


『稲木だつ』

 昔、じいちゃんが子供のころは、稲束を干す「稲木(いなき)」があったと書

いたね。ふるさと但馬は、秋だって晴れの日がそんなに続かないから、大きな稲

木に長い日数干さなきゃならん。なので、9段も10段もある高い稲木が普通だ

と書いたね。稲木を立てる長い木の棒のことを「稲木だつ」って言ったんよ。そ

の「稲木だつ」の話なんよ。

「稲木だつ」は、6mも7mも真っすぐした木の棒なんだわ。節もきれいに磨い

た、ツルツルの真っすぐな物なんだわ。昔のお百姓さんは、稲木をあっちにもこ

っちにも立てるため、その材料の「稲木だつ」はとってもたくさん何百本と持っ

ていたの。

秋が終わり使わなくなったら、「稲木だつ」は田んぼの側溝に「稲木ぐま」って

積み上げて、ワラで覆いをして次の秋まで保管したんよ。田舎の田んぼには、い

くつもいくつも「稲木ぐま」が並んでいたの。

時代は進んで、稲の乾燥は乾燥機でするようになったの。農作業小屋の乾燥機で

するか、農協のカントリーに出して乾燥してもらうの。とにかく、稲木を作らな

くてもよくなったの。「稲木だつ」もいらなくなったの。

さあ大変、たくさんあった「稲木だつ」は不要のものになって、ずっとずっと田

んぼに積み上げてワラの覆いを毎年するばっかりになったんよ。「稲木だつ」の

その後の運命長かったね。あるものは工事用の足場になったり、あるものは大き

な野立て看板の骨組みになったりしたんよ。じいちゃんのお店の巨大な野立て看

板もずっと田んぼに立ってたわな。あるものはとうとう風呂の薪になったものも

あるの。

何十年もかかって、やっとこの頃「稲木だつ」の積み上げた「稲木ぐま」は見か

けなくなったね。農村風景の昔と今の一番の違い、林立した稲木があったり、

「稲木ぐま」がずらっと並んだ風景が消滅したことだろうかね。