生活

とりとめもなく

真実は、いつもひとつ!

2010年06月30日 22時37分06秒 | Weblog
今日は水曜レディースデーなので映画を観た。
東銀座の銀座シネパトスまで行ってきました。地味ーで暗ーくて重ーい社会派映画「BOX 袴田事件 命とは」というのを観てきた。事件ものの映画ってけっこう好きでよく観るのだけど、いつもだいたいやりきれない気持ちになってしまうが、今回は特にそうだった。
1966年の6月30日(奇しくも、今日です)に静岡県清水市で起こった殺人放火事件の犯人に仕立て上げられてしまった男と、冤罪の印象を強く受けながらも有罪判決を下すことになってしまった裁判官の葛藤を描いた作品となっております(実際の袴田事件はこちら→
袴田事件
味噌会社の専務家族が殺されて金品を盗られて放火されるのだが、その家に隣接する従業員寮に住んでた袴田巌(新井浩文くんです)がかつてプロボクサーだったということで疑いの目を向けられ、猛暑のなか連日12時間以上にもおよぶ拷問まがい(というか拷問)の取り調べを受け、やってないもんはやってないし何も知らないのだが「やった」とひと言言えばこれから解放されるのか・・・というところまで追いつめられてとうとうやったことになってしまう。その頃にはもう意識朦朧で白目むいちゃってるんですよ。犯行時に着ていたという血染めの衣類もでっち上げられ、ズボンはサイズが小さくて履けないというのにそれを証拠に死刑になってしまうのよ。
「自白の強要」と言葉にしたらあっさりしたもんだが、取り調べではそれはもう死んだほうがましな目にあわされるし、なんでやってないもんをやったと言ってしまうのかというのも何も知らない者からしてみれば「死刑になっちゃうのになんでやったと言っちゃうのか、アホか」と思ってしまうが、逃げた先が死刑であっても今ここから逃げたいとまで思うほどの酷い拷問にあうと思ってください。
そして、最初の裁判で調書に疑問をもって冤罪であると主張した裁判官がいて、これが熊本典道(萩原聖人くんです)という人なのですが、ほかの二人の裁判官と意見が折り合わずに多数決で決めることになって結局2対1で死刑の判決を下すのです。
そして人が人を裁くことができるのかということ、冤罪という印象を強く受けながらも自分が人を死刑にしてしまったという良心の呵責にさいなまれ、有望だったのに裁判官を辞めてしまうんです。その後はつねにとり憑かれたように袴田のことを考えてるように描かれていた。
なんだかおかしな描き方をしたシーンもあったけど、思うあまりにそれほどまでに袴田と同化しちゃってるみたいな感じにしたかったんだろうな。
これは映画だから本当に本当はどうだったのかというのはわからない。でももし自分の職場で殺人事件が起きて、何も知らない自分が殺人犯に仕立て上げられて死刑宣告を受けたらどう思います??「だって実際やってないし、まさかねー」なんていうのが一切通用しない絶望といったらどんなものか。ちなみに袴田さんはいまも東京拘置所にいます。事件から44年です。
やってないのに犯人にされ人生を奪われた人がいるいっぽう、やったのにのうのうと生きてる奴がいるのだよ。
・・・というモヤモヤした気持ちがどうにもならないのでそのモヤモヤをエネルギーに変えて家まで歩いて帰った。
コメント
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