10月25日 京都大学での広河隆一さんの「ジャナーリストという
戦場」講演会のあと、19:00から京都YWCAで同じく広河さんの
上関原発に関する緊急の講演会があったので、参加しました。
広河さんは京大で4時間、YWCAで2時間講演というハードスケジュール。
でもチェルノブイリ原発をはじめ、核問題にずっと関わってきた経緯から、
上関原発についてどうしてもお話したいということで、緊急に開催された
講演会でした。
上関原発と祝島の人々については、こちら
スクリーンに映し出されたのは、チェルノブイリ原発と荒涼とした周囲の風景。
もとは松林が、放射能をあびたためすべて伐採されています。
撮影地点から、チェルノブイリ原発までは3.5km。
祝島から対岸に建設予定の上関原発の距離がちょうどこれくらいとのことでした。
ブイを沈め着工しようとする中国電力の作業船と、阻止する祝島の人々の船。
祝島の女性たちが頑張っています。
27年前に原発建設が持ち上がった時、祝島の人たちが反対を決めた経緯のお話
が興味深かったです。
☆祝島には、もと船乗りの島民がいました。船に乗りイギリス沖を通過しよう
としたとき、
「ここは危険だから甲板から船内に下りるように」との命令が下った。
そこは核施設がある「マン島」付近の海上であったことを元船乗りの島民が
みんなに話した。
☆中国電力の「原発見学ツアー」で漁師の皆さんは若狭湾の原発にバスツアー
に連れ出された。
たしかに原発周囲はきれいな公民館もあり豊かになっているようだった。
でも漁から帰って来た船があったので、船をのぞいてみると、得物はさっぱり。
これでは漁師で食っていけるはずがないと確信した。
☆女性たちもバスツアーで原発見学に連れ出された。たしかに原発は小ぎ
れいで危険はないように見える。でもあちこちに「立ち入り禁止」の立て札。
女性たちは帰りのバスで話し合った。
ものには表があれば裏がある。漁師だって、大漁だったら港は賑わってるけど、
裏ではさばいた魚の残りかすやウロコなど、汚いものがたくさん出る。そうで
あって当たり前。きれいなところしか見せないのは何かウソがある・・・・
☆島民の中には出稼ぎで、原発で働いた経験のある人もいました。「放射能を
含んだ床を雑巾で拭いている」ような原発の生々しい実態を、経験から皆伝えた。
こうして祝島の人たちは原発反対を決めました。日々の暮らしの知恵からの決断だ
ったと思います。だからこそ持続し現在に至ります。
祝島に送る激励のバナーにも参加者で記入しました。
帰りには出口でチラシ配布と署名集めもさせていただきました。
祝島-上関は生物多様性の宝庫、スナメリくんの故郷です。
核も基地もいりません!
☆じゅごん
戦場」講演会のあと、19:00から京都YWCAで同じく広河さんの
上関原発に関する緊急の講演会があったので、参加しました。
広河さんは京大で4時間、YWCAで2時間講演というハードスケジュール。
でもチェルノブイリ原発をはじめ、核問題にずっと関わってきた経緯から、
上関原発についてどうしてもお話したいということで、緊急に開催された
講演会でした。
上関原発と祝島の人々については、こちら
スクリーンに映し出されたのは、チェルノブイリ原発と荒涼とした周囲の風景。
もとは松林が、放射能をあびたためすべて伐採されています。
撮影地点から、チェルノブイリ原発までは3.5km。
祝島から対岸に建設予定の上関原発の距離がちょうどこれくらいとのことでした。
ブイを沈め着工しようとする中国電力の作業船と、阻止する祝島の人々の船。
祝島の女性たちが頑張っています。
27年前に原発建設が持ち上がった時、祝島の人たちが反対を決めた経緯のお話
が興味深かったです。
☆祝島には、もと船乗りの島民がいました。船に乗りイギリス沖を通過しよう
としたとき、
「ここは危険だから甲板から船内に下りるように」との命令が下った。
そこは核施設がある「マン島」付近の海上であったことを元船乗りの島民が
みんなに話した。
☆中国電力の「原発見学ツアー」で漁師の皆さんは若狭湾の原発にバスツアー
に連れ出された。
たしかに原発周囲はきれいな公民館もあり豊かになっているようだった。
でも漁から帰って来た船があったので、船をのぞいてみると、得物はさっぱり。
これでは漁師で食っていけるはずがないと確信した。
☆女性たちもバスツアーで原発見学に連れ出された。たしかに原発は小ぎ
れいで危険はないように見える。でもあちこちに「立ち入り禁止」の立て札。
女性たちは帰りのバスで話し合った。
ものには表があれば裏がある。漁師だって、大漁だったら港は賑わってるけど、
裏ではさばいた魚の残りかすやウロコなど、汚いものがたくさん出る。そうで
あって当たり前。きれいなところしか見せないのは何かウソがある・・・・
☆島民の中には出稼ぎで、原発で働いた経験のある人もいました。「放射能を
含んだ床を雑巾で拭いている」ような原発の生々しい実態を、経験から皆伝えた。
こうして祝島の人たちは原発反対を決めました。日々の暮らしの知恵からの決断だ
ったと思います。だからこそ持続し現在に至ります。
祝島に送る激励のバナーにも参加者で記入しました。
帰りには出口でチラシ配布と署名集めもさせていただきました。
祝島-上関は生物多様性の宝庫、スナメリくんの故郷です。
核も基地もいりません!
☆じゅごん