3月2日(土)3日目、ゲート前大行動に参加した後、
伊江島へ渡るため本部港へ向かいました。
途中安和桟橋前を通過。
この日は積み出しはなく、抗議行動も行われていませんでした。
こんな民間の桟橋を使うなんて・・・。
やりたい放題の道理なき基地建設、一刻も早く止めてほしい
の思いが募ります。
伊江島ではわびあいの里主催の第17回ゆずり合い・助け合い・学び合う会に参加。
学習会1日目の基調講演は、報道写真家の嬉野京子さんの
『阿波根昌鴻さんとの出会い ~団結道場のリニューアルによせて~』
1965年に行われた祖国復帰行進に参加し、少女が米軍車両に
弾き殺された場面に遭遇した嬉野さん。命がけで撮影したこの写真により、
米軍政下の沖縄の実態が、全国に伝わることになりました。
阿波根さんが勉強のため東京に出られたとき、嬉野さんのお母さまのお家に
下宿されるなど、ご縁が深かったそうです。
リレートークでは、
団結道場建設実行委員蝶の平安山良有さん、真謝区長の平安山良尚さん、
名護市議の川野純治さん、写真家の張ヶ谷弘司さんがお話され、
そして彫刻家の金城実さんと本土の大学生たちが登場!
当初県民投票に反対だった金城さんですが、
若者を立てる!と県民投票を応援することにされたそうです。
「選挙権がなぜ18歳に引き下げられたのか、徴兵制と結び付けて
考えなければならない」という若者へのメッセージにも、
若い人たちを大切に思う金城さんの気持があふれていました。
夕食休憩後、民族歌舞団「花こま」さんによる面踊り。
「誰一人も取り残さない」「辺野古の基地についてしっかり話し合いましょう」
という玉城デニーさんと、県民によりそうどころか、
県民投票の結果が出る前に、結果にかかわらず移設を進めるという安部政権。
テンポよく、デニーさんの個性を引きだし、安倍を斬る!
気分がすかっとして、拍手喝さい!!
そして、餅つき!
蒸し上がったもち米を、舞台の上でついて、きなこ餅にして
参加者全員に配ります。
ジュゴンチーム大活躍で~す!
学習会2日目
2日目の講演は鳥山淳さん(沖縄国際大学教授、阿波根昌鴻資料調査会代表)の
『「陳情日記」からみえてくるもの』
資料調査会のみなさんが、阿波根の残された膨大な資料を整理し
目録を作られています。
昨年の「真謝日記」に続き、出版された資料集第2弾「陳情日記」です。
1955年5月真謝区民が那覇へ陳情に出かけたり、
乞食行進をしたころの日記です。
「乞食をするのは恥ずかしい。しかし我々に乞食をさせる米軍はもっと恥ずかしい」
と、むしろ旗を掲げて多くの島民が沖縄島各地を歩き、
土地を守る島民の闘いは、島ぐるみ闘争へと広がりました。
参加者からの発言タイムではSDCCも登壇。
今応援している「ジュゴン訴訟」についてなどアピールました。
一緒に登壇した、ならコープ平和の会の世話人さんは、
とりくんでいる憲法学習などについて話されました。
総括は石川元平さんから
1956年、プライス勧告に抵抗し、永代借地権を阻止した島ぐるみ闘争を
はじめ、沖縄はひとつひとつの闘いで、民主主義を勝ち取ってきた。
今回の県民投票の最大の成果は、若者たちがその歴史を
正しく受け取って、未来へつないだことだ。
最後に謝花悦子さんからのごあいさつ
昨年の知事選での玉城デニーさんの出陣式は伊江島で行われました。
漁船をチャーターして伊江島に渡られ、
わびあいの里にもご挨拶に来られたデニーさん。
伊江島は、デニーさんのお母さまの出身地、
そして、米軍基地の闘争がはじまった地です。
阿波根さんや翁長さんの意思がデニーさんをはじめ
多くの人に受け継がれたことに、
謝花さんは「阿波根は生前、人間は死ねば3年で魂が亡くなり忘れられる
と行っておりましたが、その予言ははずれました」と。
参加者のみなさんに、感謝の言葉を述べられました。
ことしは、国会議員の糸数慶子さん、伊波洋一さんも参加。
多くの学びのある学習会でした。
ジュゴンのブースにもたくさんの方が来て下さり、
お話をしたり、グッズを買ってくださったり。
わびあいの里スタッフのみなさん、参加者のみなさんに感謝いたします。
学習会後、ヌチドゥタカラの家にも行ってきました。
何度行っても、新しい学びがあります。
保存工事で未来につながった団結道場前で
今回は、辺野古大行動に参加したため、学習会に先立つ
集会と団結道場保存工事落成式に参加できませんでした。
それで、二日目の朝に出かけてきました。
伊江島の土地闘争のことを知るにつけ、真謝にある団結道場の
存在に重みを感じます。
きれいになった団結道場前で、
いのちが大切にされる社会にしようと、
なかなか大変だけど、がんばり続けようと、
こころ新たに誓いました。
ZAN