ジュゴン掲示板

ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)は日本では沖縄にのみ生息しているジュゴンを守るために活動をしています。

【番外編】 第14回じゅごんの里ツアー前泊編・読谷村へ

2019年07月07日 | ジュゴンブログ
2019年夏のじゅごんの里ツアー
ちょうど梅雨明けした時に沖縄へ
暑~い旅となりました

ツアースタート前日に沖縄入りし、レンタカーを借りて読谷村へ
読谷村は、沖縄戦で米軍が上陸した場所、そこから南北へ米軍は進軍していった
『鬼畜米兵、生きて捕虜の辱めを受けるな、天皇陛下バンザイ』と
集団強制死があった場所、チビチリガマがある
戦後は米軍基地に占領された

山内徳信さんが市長だったとき
粘り強く、あの手この手で、工夫を凝らし
不屈の精神で米軍と交渉され
土地を取り戻していかれた
取り戻した土地には、役場や運動場や文化施設が造られた
文化を大切にする村づくりが今も続いている

村であり続けるという意志
日本の中でいちばん大きな村だそうです


読谷村役場を見学しました

玄関には、シーサーが飾られ、凛とした感じです

それぞれの字(?)の名が刻まれた石が並んでいます

敷地内に憲法9条の条文が掲げられています

100年の歩みも飾られ

山内徳信さんが市長のときのメッセージ

おばあちゃんとこども 受け継がれていくもの
地球かな いのちの球かな

不戦の誓い


読谷村は翼を広げた鳳の形に似ているので、むらづくりで「鳳計画」として位置づけられているそうです


村役場をあとにして、2018年にリニューアルされたゆんたんざミュージアムへ
世界遺産座喜味城跡のすぐ隣にあります
読谷村の歴史、自然、戦前・戦後の暮らしについて紹介されています



じゅごん骨の飾り

休憩して、沖縄ぜんざい(ぜんざいといってもかき氷)を食べながら
戦争はそんな昔のことではなくて、少し前のことなのだと考えていました

伝統文化も楽しもうと、やちむんの里へ
やちむん(焼き物)の拠点です


お気に入りの金城陶器所
月桃の花の模様のカップを買いました

登り窯です

今回は、チビチリガマやシムクガマには行かなかったけど
また、訪れたいと思う
戦争を忘れないために

また、今度は読谷山花織(伝統の織物)も見に行きたい


旅は続きます







7月のじゅごん茶話会のご案内~7月25日(木)14時~@京橋事務所です

2019年07月06日 | ジュゴンブログ
暑い暑い夏になってきましたね~


じゅごんの里ツアーで辺野古へ行ってきました


大浦湾を船で巡り、土砂投入が続く海をみました

7月25日(木)のじゅごん茶話会では、ツアーの報告をします
厳しい状況ではありましたが、
出会ったみなさんから、お話しを聴き、行動を共にし
励まされ、パワーをもらいました
そのパワーを活かしていかなくちゃ
ゆんたく(おしゃべり)して、いろいろかんがえましょう

そして、フクシマに行って来た仲間からも報告をしてもらいます。

原発、基地
一緒に考えましょう

どうぞ気軽にご参加ください



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じゅごん茶話会のご案内

お茶とお菓子で ゆる~りと
ゆんたく(おしゃべり)しています

 2019年7月25日(木)14時~16時半くらい
                         


学んで、語り合って、考えて、できることに取り組んでいきたい!
辺野古の最新情報をお伝えします
DVDを観たりもします
また、ジュゴンの折り紙を折ったり
ピースリボンにメッセージを書いたり
その時にできることをしています

ご要望があれば、ジュゴンのミニマスコット作りもできます
材料の準備がありますので、事前に連絡いただければ助かります

場所:ジュゴン保護キャンペーンセンター関西事務所
       最寄駅~JR・京阪・地下鉄「京橋」駅より徒歩10分ほど
  アクセスはこちらです

参加費:200円

問合せ:ジュゴン保護キャンペーンセンター関西事務所
        TEL/FAX 06-6353-0514 メール info@sdcc.jp
        当日は 090-5882-3629(いけがわ)
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沖縄、伊江島の阿波根昌鴻さん
米軍から土地を取り戻す、生活の中から平和運動を続けられた
「平和の武器は学習」「人を幸せにして 自分も幸せになる 平和学習をしましょう」
と言われた言葉をかみしめて学びの場を続けていきたいと思っています

「この世の素晴らしいものはみんなタダ
 愛情 太陽 勇気 想像力 好奇心
 それが私の生き方である」(伊江島通信57号より)

そんな生き方にほんの少しでも近づきたいなぁ

第14回じゅごんの里ツアー3日目・浦島さんガイド沖縄愛楽園見学コース

2019年07月06日 | ジュゴンブログ
じゅごんの里ツアー3日目は、2つのコースがありました
ここで紹介するのは、浦島悦子さんガイドの沖縄愛楽園見学コースです

美しい海にかこまれた屋我地島にある沖縄愛楽園は
ハンセン病患者の国立療養所でした
このコースでは、差別とは何か、どうして起こるのか、克服するには何が必要か
そんなことを考えたいと思っていました

ハンセン病に対してのすさまじい偏見、差別、迫害…
人が人をどうしてそんなふうにできるのか…
ほんとうは隔離政策など必要なかったのに
国の誤った政策で、多くの方々が苦しめられた
らい予防法が廃止されてからも
人びとの差別は続いている
なぜ?


館内の資料展示室を見学しました

園内を案内してもらいました

愛楽園発祥の地の碑

早田壕 戦争(沖縄戦)は、さらに患者を苦しめました
園内に患者たちが自ら壕を掘り、避難生活を強いられたのです

面会室跡、そのほかにも小学校跡、戦争時の弾痕後などをみました

愛楽園から海を眺める



古民家カフェ喜色でランチ

さとうきびごはんにゆし豆腐
美味しいお料理に、ほっとする

パチリ

浦島さんが教えて下さった内容は、ほんとうに重いものです
まだまだ考え続けなければと思います

2001年熊本地方裁判所は、ハンセン病隔離政策が日本国憲法に違反していた
(人権侵害)と判決を下しました
それは、患者は病気が治ってからも、差別に苦しめられ「人生被害」を受けたから
そこには、差別を増長するような政策があったのです
そして、それに流され偏見をなくせない人たちもいるのです

ハンセン病は、伝染力が弱く隔離は必要ないと広く知らされたはずでした
しかし、患者本人だけでなく、家族までも同様の差別を受け続けているのです

2019年6月29日、私たちが見学する前日です
元患者の家族が国に損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟で
熊本地方裁判所は、国の責任を認める判決を下しました
原告561人のほとんどが匿名です。
知れると、差別を受けるから…
終わっていないのです

差別、偏見をなくしたい

人は誰でも心の弱さを持っていると思う
弱い立場におかれた人をさらに追い詰める
その集団心理は怖い
その弱さをどう乗り越えるか
自分がその場に立ったとき、どう動けるか

日々の中で
心を開いて
柔軟さと強さと優しさを学び、鍛えていきたいと思う

また、ゆっくりと訪れたい場所です








第14回じゅごんの里ツアー2日目(6月29日)大浦湾巡り

2019年07月06日 | ジュゴンブログ
2日目は、じゅごんの里ツアーの一押し企画である「大浦湾巡り」です。


大浦湾を一望できる瀬嵩の高台から現状を見学しました。



作業船・監視船が海を占領しています。悲しい!



グラスボートからアオサンゴの群落を見学に行きましたが、通過した台風の影響でNGでした。残念。




ランチは、弾薬庫下のプライベートビーチに上陸してとりました。


しかし台風の影響で海は濁っており、シュノーケリングを堪能することはできず。
来年こそは、作業船・監視船・ブイのないきれいな大浦湾に行きたい!!


第14回じゅごんの里ツアー2日目(6月29日)ピースキャンドル&てるやさん

2019年07月04日 | 活動報告

2日目、大浦湾めぐりの後、シュワブゲート前へ
こちらも座り込み1819日目。
毎日の座り込みのみなさんの努力に頭が下がります。


夕方18時半~は、渡具知さん一家が2004年から毎週土曜日に
続けられている「ピースキャンドル」に参加させていただきました。


ゲート前を通る車に向かって手を振りながら
「辺野古の海を守りましょう」
「ジュゴンの海を守りましょう」
「辺野古の新基地建設止めましょう」
「沖縄に基地はいりません」
と、大きな声で呼びかけます。
手を振り返してくれたり、会釈してくれたりすると元気が出ます!


終了後、渡具知武清さんから、2004年にこのアクションをはじめた
きっかけについてなど、お話していただきました。
昨年12月に朝日新聞に取材を受けていらっしゃるので、
詳しくはこちらをご覧ください。


2004年、子どもさんたちはとても幼かったのですが、
ずっとご両親の背中を見て育ってきたおふたり。
和奏さんからは「このごろ、沖縄の現状について、より考えるようになってきた、
若い人たちで新しいグループをつくる動きも出てきた、もっと活動していきたい」
そして、和紀さんから
「上のピンクのハートは、ジュゴンを守りたい人たちの気持ち。
ジュゴンの下の赤いハートは、ジュゴンがみんなの気持ちを守っているところ」
とかわいい看板の説明がありました。
今回、残念ながらお兄ちゃんの武龍さんには、会えませんでしたが、
渡具知さん一家の強くやさしい気持ちに、改めて感激しました。
行動終了後娘さん2名が、思いを語ってくれました。



2009年のじゅごんの里ツアーで撮影した動画がありました!
10年前の子どもたちの姿、ご覧ください。
辺野古・大浦湾の海を守ってください! キャンドル行動(短縮版)



ところで、浦島悦子さんも、いつもピースキャンドルに参加されているのですが、
なんと行動中に浦島さん宛ての宅配荷物が届きました。
宅配のドライバーさんに、「夕方はシュワブ前にいる」と伝えると、
「あー、いつもやってるやつですね」と。
ピースキャンドルも認知されてきてるなあ、とおっしゃっていました。


ピースキャンドルの後は、二見の民宿「てるや」さんで、バーベキュー交流会。
スタッフが、汗だくになりながらお肉を焼いています。


こちらにも、参加してくださった浦島悦子さん


テント村の相馬由里さんも


そして、毎年じゅごんの里ツアー3日目のコースにご協力いただいている松尾太士さんも
来て下さいました
今年の春まで名護市の地域支援員されていましたが、
今は東海岸で若い人も生活していける取り組みとして、
やんばる育ちの食材を使ったやんばるカリーを広げる活動をされています。
 →やんばるカリー
稲嶺市政で進められていた地域おこしの取り組みが、
渡具知市政では180度変わってしまったそうです。
でも、めげずにがんばる人たちが、この地域を豊かにしていくんだと
勇気と元気をいただきました。

ZAN

第14回じゅごんの里ツアー2日目(6月29日) 浜のテント村

2019年07月04日 | 活動報告
第14回じゅごんの里ツアー2日目(6月29日) 浜のテント村


2日目は、先ず辺野古の浜のテントへ。


8年と5550日。もう23年も座り込みが続けられています。


相馬由里さんから、工事の現状などをお聞きしました。
地図と実際の場所を照らし合わせて説明を聞くと、とてもわかりやすいです。
テント村から肉眼で、トラックが行き交い、クレーンで
土砂が運ばれている生々しい工事の様子をうかがうことができました。

相馬さんは、海が好きで沖縄に移住され、介護福祉士としてお仕事されていました。
沖縄戦で出来た古い傷を持っているお年寄りが多ことから、沖縄戦の悲惨さを知り、
戦争につながる辺野古新基地反対の抗議船の船長として活躍され、
今はテント村で、来訪者の案内をされています。
「辺野古の基地建設が止まったら、また介護福祉の仕事をします」

早くその日が来るように、ともにがんばりましょう。


テント村に来られる人に配ってくださいねと、ジュゴンの折り紙をお渡ししました。


それから浜のシュワブのフェンスのところへ行って、
向こう側をのぞきました。


フェンスの向こうには、浅瀬側にできた護岸、行き交うトラック、
クレーンが土砂を運びあげる光景が広がっていました。


あきらめずに元気に頑張ろう!

ZAN

第14回じゅごんの里ツアー1日目(6月28日)の報告

2019年07月03日 | 活動報告
第14回ジュゴンの里ツアー1日目(6月28日)の報告です。

(以下、現地で聞いたお話をメモ書きをもとに記載していますが、文責はすべてSDCCにあります)


     普天間基地 オスプレイが駐機しています

まず、宜野湾市へ。「わんから市民の会」「普天間子ども居場所づくりプロジェクト」の赤嶺さんのお話を聞き、普天間基地周辺を歩きました。


     赤嶺さん宅の屋上にて

赤嶺さんのご自宅は、普天間基地フェンスのすぐ横にあります。



お話を聞いている最中にも、オスプレイが不気味な低音を発しながら低空で通り過ぎました。

「普天間吉の滑走路は幅40m 長さ2800m コンクリートの厚さ4m。本当は今年の2月28日までに運用停止の約束だった。」
「しかし米軍は返還する気などさらさらない。昨年、日本政府は50億円かけて、凸凹になった滑走路の改修をやっている」


     普天間基地西側の住宅

「普天間基地の西側の地域の住民の血液検査の結果、高濃度のフッ素化合物が検出された」
「豊かな水資源を米軍は汚染し続けてきた」
「米軍は住民の住居の上を平気で低空で飛ぶが、司令部の上はよけて飛行する。危険であることを十分知っているから」
「米軍の高官や軍医の住居は借り上げの高級マンション。1フロア5LDK」
「一般の米兵も基地を出て、友人の住民や彼女の名義を借りて、普通のマンションに住んでいる。心に闇を持つ米兵たちと隣り合わせの生活」
   ・・・・・赤嶺さん


     普天間第2小学校前

「沖縄には米軍政下からの影響で保育園が少なく幼稚園が小学校に併設されている場合が多い」
「しかし幼稚園は午前中で終わってしまう。幼稚園に延長保育の機能を持たせたり、学童クラブをつくる取り組みが進んできた」
「沖縄防衛局は108校で防音工事を行った。冷房のための電気代は年間で2000万円。しかし沖縄防衛局はこの2000万円の電気代を削りたがっている」


     沖縄防衛局が作ったシェルター

「ヘリからの部品落下事故の後、沖縄防衛局はこのシェルターを2か所作った。体育用具置き場みたいなもの」


     基地と運動場を隔てるフェンスの両端に目印がある

「沖縄防衛局は、フェンスの両端の目印の中に、オスプレイなどが目撃されたら、40秒で校庭の上空に飛来する可能性が高い」
「すぐシェルターに避難するよう自主訓練せよ、という。」
「落下事故が起きた直後は、屋上と校庭に監視員、誘導担当を置いていたが、今はもう『自己責任』で対応せよという態度」
「体育の授業45分の内、今までの最高で4回避難したことがあった」

 
     このフェンスの向こうにボールが入ってしまうときがある

「フェンスの向こうにサッカーボールなどが入ってしまうときがある。機嫌よく返してくれる米兵も多い、」
「しかしあるとき、ボールを手にした米兵はサバイバルナイフを取り出してボールを切り裂いた」
「米兵は①優しい心を壊し、命令に服従する②素手で人間を殺す技術をつける③差別を叩き込む。イラク戦争時にはイラク人は「ハジ」と蔑称された」
「女性を殺害したケネス被告は裁判で一度も謝らなかった。『おれの前に姿を現したあの女が悪いんだ』という態度」
「米兵は心に闇を持っている。そういう米兵がすぐそばにいる生活。子供たちの恐怖をなくしたい」
    ・・・・・・赤嶺さん


           4年前まではコウモリが沢山いたフクギの森


           喜友名の石獅子

「4年前まではこのフクギの森には、実をたべるコウモリ(フルーツバット)が沢山棲んでいました。」
「しかしオスプレイが飛ぶようになって、一羽もいなくなった。低周波音の影響かもしれない」
  ・・・・赤嶺さん

普天間居場所づくりプロジェクトの「そいそいハウス」に移動して更にお話を聞きました。


            そいそいハウスで昼ごはん

スタッフの森さんよりお話を聞きました。
森さんは大阪府の和泉市出身。2013年に沖縄に来て、最初は部品落下事故のあった、みどりが丘保育園で働いておられました。
いまは「そいそいハウス」のスタッフをしておられます。



「2016年に普天間こどもの居場所づくりプロジェクトが始まりました」
「2016年段階で沖縄の子どもの貧困率は全国平均の2倍の29%でした(全国平均16%)」
「子供の貧困に関するシンポジウムで赤嶺さんに出会った。最初は役所に掛け合って援助を受けようとしました」
「しかし役所は実績のない団体にはお金をださない。それでまず場所の物件を探して、見切り発車でスタートさせた」
「沖縄の子どもの貧困は基地と米軍支配が根本。米軍政下で福祉政策が本土より遅れた」
「沖縄では幼稚園が保育園より多く、5歳児問題と言って、5歳児は午前中で幼稚園が終わっていくところがない」
「児童館は小学生から。今は延長保育が始まっり改善されてきたが、親が若く仕事で帰りも遅くちゃんと晩御飯が食べられない子が多い」
「離婚率が高く仕事も建築関係で、多くが不安定雇用だ。建築業は今はホテルがあるが、かっては基地関連の仕事が多かった」
『ヤンキーと地元』(打越正行)『 裸足で逃げる沖縄の夜の街の少女たち 』(上間陽子)というルポをぜひ読んでほしい」
「沖縄で高校を卒業するとその後の進路は2極化する。ひとつは本土の大学に行き、本土で就職する」
「もうひとつは沖縄に残り、建設関係や性産業などで不安定雇用の下で働く」
「沖縄の成人式が荒れるといわれているが、2極化の分岐点に立っている時期だから」
「こういう若者の不安定な状態があって、その子供たちも貧困の連鎖に引き込まれる」
「そいそいハウスは、すべての子どもを受け入れるし、あれこれ指図をしない。好きなように自分らしく過ごせる居場所」
   ・・・・森さん


         そいそいハウスの「大切にしたいこと」


         みんなで記念撮影しました

そいそいハウスを後にして、名護市へ。稲嶺進 前名護市長との交流会に向かいました。


         名護市役所

名護市役所近くのビルの一室で稲嶺進 前名護市長との交流会を行いました。
稲嶺さんから、2期8年の稲嶺市政の中で、「再編交付金にたよらない街づくり」を具体的にどう進め、市政を刷新していったかを聞きました。


         稲嶺さんと海勢頭豊さん

・入札制度の改善
「2010年に市長に当選し、まず入札制度の刷新からはじめました。それまでは談合がはびこり、力のある業者が中小業者を牛耳っている実態があった」
「入札の予定価格は事実上ばれていました。それをなくすため、入札予定価格を3つ作ってくじを引かせて決めるようにした」
「業者のランクにはA,B,C三つある。ある入札で落札した業者は次回は遠慮してもらう。AランクだけでなくB,Cランクの業者にも仕事が行くようにした」
「名護市の建設関連予算は年間80億円。まんべんなく公正に仕事がまわって建設業界は喜んでいた。とくにB,Cランクの中小業者によろこばれる仕組みだった」
「しかし選挙になると必ずしも簡単にはいかない。大きな業者の支配力はなかなか押さえられない」・・・・稲嶺さん

・事業仕わけ
「最初の3か月間に事業仕訳を徹底した。①必要なもの ②必要性はあるが急がないもの ③不必要なもの に分けた」
「そして中央各省庁の補助金を事業ごとに申請し、まかなった。ひとつ道路をつくるのでも国土交通省だけが補助金を出すのではない。厚生労働省も補助金を持っている」
「事業の内容によってどこの省庁に補助金申請をするのかを検討し、説得力のある申請書を作成する」
「これによって、基地再編交付金はもらわなかったが、就任2年目で予算が増えた。経済成長率は県内2位になった。」
「市政8年の最終年には、待機児童0、中学校までの医療費0、国保険料県内最低、学校の耐震化を前倒しで実行した」
「保育所は任期中に10個所増やした。新築ではなく無認可の保育所に援助をして、認可の条件を満足できるよう応援した」


         市政8年を語る稲嶺進さん

・市政を支え、仕事をするのは職員である
「日本の省庁はいろんなメニューを持っている。確かに基地を受け入れ防衛省から金をもらえば補助率は高い」
「しかし補助率10%の差で、基地を受け入れるのか?それは違う。他の予算獲得のメニューはないのか知恵を絞って企画を立てるのが職員の仕事」
「金がなければないで、知恵が出てくる、『じんぶん』がでてくる」
「私はある年の施政方針演説で『職員ががんばった』と強調した。自分の業績を自慢したがる政治家は多いが、実際仕事をしているのは職員で、職員が誇りを持てるようにしないといけない」
「また名護市議会が健全だったことも大きい。議長を除いて全員が一般質問をする市議会は、他に聞いたことがない」

・「がちんこ市長室」
「17時過ぎたら市長室にのれんを掛ける」
「採用3年目、採用5年の職員全員をグループ分けして市長室に招き、市の幹部も交えてディスカッションする」
「各グループ合計5回行う。①趣旨説明 ②グループ内議論 ③市長、副市長、部長クラスと話し合う ④もう一度考える ⑤まとめ、解決策」
「採用3年目は慣れてきたころ、採用5年目はそろそろ一人前、そういうポイントの時期に徹底して市政に関する課題を議論し、人を育てる」



・オール沖縄の源流は2010年名護市長選挙である。
「私(稲嶺進さん)を市長に押し出してきたのは、当時の与党保守系の人たちだった」
「翁長さんも自民党沖縄県連の幹事長までやった人」
「しかし戦後74年(米軍統治27年 復帰47年)経つのに、沖縄はどうなっているのか?なぜ沖縄だけが『振興策』なのか?」
「沖縄に対する財布のひもは首相や自民党幹事長が握っている。そして日本はいまだアメリカの植民地状態で、沖縄は構造的に差別されている」
「構造的差別はずっと沖縄を支配してきたシステム。変えなければならない。我々の闘いはまだしばらく続くと思うが、安倍政権はかならず倒す」
「当面は参議院選挙で勝利する」

熱いお話でした。稲嶺さんの成し遂げたことの大きさ、そして稲嶺市政を支えた職員のみなさん、名護市民の皆さんの「じんぶん」に深い感銘を受けました。
辺野古新基地を止め、「構造的差別」のシステムを必ず変えていきたいと思いました。


        稲嶺さんの腕に記念品のジュゴン


交流会を終えて、宮里の居酒屋「たけのこ」で交流会。おいしい料理と共に参加者の交流をしました。


        SDCC 国際担当の吉川秀樹さん ジュゴン訴訟に勝利しましょう


        名護市会議員の東恩納琢磨さん 翌日は船でお世話になります


        SDCC会員で、本部町在住 本部島ぐるみ会議メンバーの高垣さん

安和桟橋、本部塩川港からの土砂搬出阻止行動を粘り強くになっておられます。



翌日、辺野古テント村で渡すバナーに、みんなで寄せ書きしました。



毎年お世話になっている、「たけのこ」のおかみさん。おいしい料理とくじけない気持ちをありがとうございます。

一日目からの充実プログラムに頭がいっぱいでしたが、明るい気持ちになれました。
お世話になった皆様に感謝いたします。

 ☆じゅごん