http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201203080004.html (労組が人事介入か、選挙関与の疑いも 大阪市交通局:朝日新聞ネット配信記事2012年3月8日付け)
今朝の新聞各紙もそれぞれ、上記の朝日新聞の記事と同じような内容を配信しているかと思うのですが、これを読んで私がふと思ったのは、そもそも大阪市の職員労組による「不適切な人事介入」とはいったい、どのようなケースがそれに該当するのか、ということ。組合側と市役所側の職員人事をめぐる話し合いの実際の内容がわからない限り、この記事だけではなんとも言えないよな、というのが、私の率直な思いです。
というか、人事異動に際して組合の意見を聴く、候補者を知らせるということが一応、この記事では「不適切な介入」のような形であがっています。ですが、それもケースバイケース。ことと次第によっては、問題が多発しそうな人事異動を、こうした形で組合側の意見を聴くことで防いだケースもあるかもしれませんよね。
たとえば、次のようなケースは「不適切な人事介入」というべきなのでしょうか。それとも、別の言い方をしたほうがいいケースなのでしょうか。
(1)部下に対する暴言が著しい、パワーハラスメントが常態化しているような係長が居る。この係長に対して部下の側から再三苦情を申し入れても、課長が係長に注意、指導を行わない。このため、組合として交渉の場において、市役所の上層部に次の人事異動で係長の配置転換を申し入れた。
(2)課長の部下に対する仕事上の指示に不適切なものが多く、実質的に常に課長補佐(代理)などが尻拭いをしている。また、暗黙の裡に課長補佐以下の部下すべてが「転勤してくれないかな」と思っている課長について、組合側が市役所側との交渉の席で「あの課長、あのままおいていたらダメですよ」と言ったケース。
(3)前々から職場内の人間関係が悪く、職員間での足の引っ張り合いが激しく、力量のない課長が来たらとうてい収拾がつかなくなりそうな部署がある。その部署に、誰をもっていくのが適任か、市役所の上層部でも判断がつきかねているとき、たまたま組合側から交渉の席で「このような人物があの部署の課長にはふさわしい」という提案が出た。その提案に、市役所上層部側がのったケース。
(4)ある職員が家庭内に介護等のさまざまな問題を抱えていて、仕事と家庭生活との両立に悩んでいる。にもかかわらず、当該部署の課長がその職員の事情を察することができず、仕事の負担を増すような対応をしている。そのときに、職員側の悩みを組合として受け止め、配置転換等で両立をはかることができないか、市役所上層部側に申し入れたケース。
(5)職員側から仕事の中身の改善や新規事業の提案などが積極的に行われていて、この改善しつつある仕事や新規事業の内容などに理解のある課長に来てもらって、ぜひ、いっしょに仕事に取り組んでほしいという願いが現場職員側にはある。このために、組合というルートを通じて、交渉を通じて市役所の上層部に申し入れを行ったケース。
(6)年度途中に急な退職者・休職者などが相次いでいる職場で、「いま、この人に抜けられたら、市民サービスがガタガタになってしまう」というくらい、そこで奮闘しているベテランの職員が、なぜか、その年度末の異動対象者になってしまった。そこで現場からの「この人の異動、もう半年待ってくれ。その間に、今いるスタッフに仕事を引き継ぐから」という話を、組合を通じて市役所の上層部に話を持っていったケース。
要するに何が言いたいのかというと、職員人事などについて組合側が市役所側にさまざまな申し入れをしたり、何か組合側が市役所側に聴くことそれ自体が「不適切な人事介入」なのか、ということ。
今のマスメディアの論調でいけば、なにか組合側が市役所上層部の考えている人事構想に対してものを申せば、すべて「不適切な人事介入だ」という話になっていくのではないか。そこが気がかりでならないわけです。
むしろ、たとえば職場内の人間関係や仕事の進め方の面で、適切な形で現場職員の話を市役所上層部が聴くのは「当然のこと」だし、市役所側と組合側が職場環境や人事についてそれ相応に話し合いの機会を設けるのも「必要なことでは?」と私などは思うのですが。また、その場で適切に市役所側から情報を組合側に出すことで、円滑にあとあとの話が進んでいくことだってあるのではないかな、とも思うのですが。
あるいは、市役所側と組合との話し合いのなかで決まったこと、実現したことのなかに、市民にとって結果的にプラスになったことも、いくつかあるかもしれないのですが、そこはどうして取り上げないんですかね? 組合のなかには、職場環境の改善や新規事業の提案などを通じて、市民のプラスになるようなことを提案している人もいるように思うのですが。
このように、そこでどんなことが話し合われていたのか、何がその話し合いのなかで出されて、どんなことが決まったのか。その中身を問わないで、あらゆることを「不適切な人事介入」とする見方は、かえって今後、市役所側も組合側も融通がきかなくなって、市役所のもつさまざまな業務の進行の妨げになる。その結果、不利益を市民が被ることになってしまうと思うのですが。
もうちょっと、私などは、こういった詳しいところを掘り下げてマスメディアのみなさんに取材してほしいなぁ、と思いました。そこを明らかにしないことには、ほんとうの公務員労働の姿が見えてこないような気がしました。
ちなみに、次の記事にあるような組合と行政の管理職の話し合い、情報交換って、「もたれあい」「癒着」という言葉で表現することが、ほんとうに適切なのかどうか。そこも一度、マスメディア関係者自身が疑ったほうがいいように思いました。もしもこうした話し合い、情報交換がなかったとしたら、職場が円滑にまわっていない。まわっていなかったとしたら、市民にどういう不利益が生じていたのか・・・・。そこもぜひ、冷静に考えてほしいところです。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201203080042.html (労組と癒着「業務に必要」管理職本音、大阪市労組問題:朝日新聞ネット配信記事2012年3月8日付け)
<追記>
先ほどあらためて地方公務員法の職員団体の交渉事項に関する条文(55条)を見るために、『解説教育六法(2011年版)』を見ました。『解説教育六法(2011年版)』によると、この55条の3項にある「地方公共団体の事務の管理及び運営に関する事項」のなかに人事異動を含めるという判例があるそうです。だから一連の報道では、職員団体たる大阪市の労組と市役所側が、人事異動のことについて話し合っているのが問題だ、というのでしょう。
ただ、『解説教育六法(2011年版)』には、この55条3項が1965年(昭和40年)のILO87号条約の改正にともなって大幅に改正されたものであるが、その改正の結果「管理運営事項」を交渉事項から除外したことについて、次のような批判をしています。
「(2)以下の制度(=管理運営事項を交渉事項から除外したこと等。引用者注)は、「交渉」を一定の制限の下におくことを意図したものであって、本来労使間の自主的な慣行によって定められるべき性質のものである。とりわえ、交渉対象事項、交渉当事者に対する制限は、団体交渉権に対する不当な干渉であって、労使の自主交渉に委ねられるべき事項そのものだということができる。本条は、改正前の、労働協約締結を許さず書面協定のみを認めるという制度をそのまま引き継いだ。この制度は、公務員が全体の奉仕者であることを唯一の理論的根拠とし、かつ、その根拠自体、現業公務員に労働協約締結権を認めたことによってすでに破産しているものである。(後略)」
このことを、あらためて付け加えておきます。