「上官が違法な命令を出しても法的責任を問われず、下級者が違法な命令を拒否できないとするなら、違法について責任を負うものは、組織にはだれもいなくなる。上官の命令が絶対であり、下級者は服従以外に選択の道がなければ、そこに出現するのは法と責任の『真空地帯』であり、不条理と私的暴力が跋扈する闇でしかない。」(外岡秀俊『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3.11」』朝日新書、2012年、74頁)
しばらく更新が途切れました。また、今日は昨日のスキーの疲れ等々があって、一日ゴロゴロ過ごしていましたが、そのゴロゴロ過ごしている間に読んだ本のなかから、上記のような一文を抜き出してみました。
この文章は、ジャーナリスト(元・朝日新聞社)の外岡秀俊さんが最近出された本のなかで、東京電力福島第一原発の事故発生後の政府の対応の在り方などを考える章で書かれていたもの。ちなみにこの章は戦争文学を手掛かりに原発事故発生後の政府の対応を考える章で、この文章は戦争文学のなかでも「内務班」に関するものを紹介するなかに出てくるものです。
これを読んで、私のなかでぱっと頭に浮かんだのが、今の大阪の教育界の状況です。次の2つの新聞のネット配信記事などを見ると、ますます、この赤い太字で引用した部分とよく似た状況に大阪の教育界が近づいている・・・・・、そのように思えてなりません。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120310mog00m040010000c.html (大阪市:組合アンケート、市職員、橋下市長市長を提訴へ「思想の自由侵害」:毎日新聞2012年3月10日ネット配信記事)
http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2012/03/10/20120310ddn041100011000c.html (君が代斉唱不起立:大阪府教委、教職員大量処分、17人戒告、さらに12人不起立:毎日新聞2012年3月10日ネット配信記事)
いったい、大阪市・大阪府は、どんな学校現場や公務員労働の職場をつくりたいのでしょうか。この記事2つからうかがえるのは、「俺たち上層部の言うことは、たとえそれが思想信条の自由を侵害するものであっても、部下たるお前らはとにかく従え」という、その論理の徹底だけのようにしか思えません。また、その論理の徹底から生まれてくる職場環境は、まさに、上で外岡さんが書いた文章を引用しましたが、そこにあるような「法と責任の真空地帯」「不条理と私的制裁の跋扈する闇」になってしまうのではないでしょうか。
あらためて書きますが、たとえ違憲・違法の疑いが濃厚な上司の命令でも、「それが命令である限り、お前ら部下は従え」という論理を徹底する。そういうことが大阪市も大阪府もしたいのでしょうか? 弁護士出身の市長であり、地域政党の代表が、ブレーンにたくさん弁護士を抱えながら、やろうとしていることがこの程度のことなのでしょうか? この論理を徹底した先に出てくることが、結果的に、この市長・地域政党代表やブレーンの「無責任」と、学校現場や公務員職場の「闇」だけになってしまわないように、さまざまな形で今後、このような対応を強行した人々の責任を問う声を強めていく必要があります。
しかし、それにしても、「君が代斉唱時に不起立」ではあるが、「子どもや保護者、地域住民や同僚教員の信頼があつい、優れた教員」かもしれない人たちを、今後大阪府教委は3回の職務命令違反等で「免職」などの方向に持っていくつもりなんですね。その一方で、子どもへのかかわりの面で暴言・暴力などが見られる教員に対しては、そこまでの対応をするんですかねぇ? あるいは、来月から「必修化」される中学校保健体育の「柔道」などの武道で、安全配慮義務等に違反する行為、つまり事故が起きることを防げなかった教員に対しては、どのような対応をするんですかねぇ? 何か、教育行政として現場教職員に対して、こだわるべきポイントが根本的に間違っているような気がするのは、私だけでしょうか?