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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日の証人喚問を見ていて、ふと思ったこと

2017-03-23 23:26:30 | 国際・政治

今日はなんといっても、例の学園の理事長さんの国会での証人喚問の話ですね。

家でパソコンに向かいながらラジオでの中継を聴いていて、ざっと、こんな印象を抱きました。

(1)

今回の証人喚問でとった与党側議員や維新の議員の次のような質問の方法は、学校事故・事件訴訟での被告側弁護団とか、あるいは法的責任を回避したい学校・行政や学校法人側がやることによく似ていました。

・文書公開を求めても応じない、もしくは「のり弁」状態で日頃は対応しているのに、肝心のときには自分たちの都合のいい書面等が出てくる。

・本筋の話ではない別の話をあえてとりだし、そこでの証人の発言や対応上の問題点をことさらに強調することで、「この人、ほんとうのことを言っていない(うそつきだ)」というような印象をつくりだそうとする。(⇒ほんとうの「印象操作」というのは、こういう手法ですね)

・「そういうことを言うと法的な責任が問われますよ」(この証人喚問の場合「偽証罪」ですが)を連発して、恫喝を加える。

でも、ある意味腹をくくって「知っていること、正直に言うぞ」と思っている理事長さんに対しては、こういう手法はあまり、効果なしのようでしたね。

また、逆に理事長さんの返答でやり込められていた感がありました。

(2)

これに対して、他の野党の議員たちは、すでにマスメディアなどで伝えられていることや、先日の現地視察などでわかったことを手がかりにして、冷静に理事長さんの側に「この部分はまちがいないですか?」「この部分についてどういう印象を抱いたか?」「この部分について、どういうことが裏であったと考えられるか?」等を聴くなど、事実と論理をできるだけ積み上げていく形で証人喚問を行おうとしていました。

特に例の理事長さんご本人が今は「思っていること、知っていることを正直に話したい」と考えているわけですよね。

だから、(1)のような対応をするよりは、この(2)のような冷静な対応の積み上げのほうが、あくまでも理事長さんの側から見た話でしかないのですが、それでもいろんな事実関係や状況認識などが引き出せるように思いました。

これは今後、学校事故・事件訴訟や事後対応のなかでの調査・検証の場面でのやりとりにおいても「使える」手法だなあ・・・なんてこと思いながら、ラジオを聴いていました。

(3)

例の理事長さん、私立幼稚園の経営者として見た場合、当該の幼稚園で起きた「虐待」問題、「教育勅語」的な価値観にもとづく教育など、いろいろと問題はあるわけですが。

でも、その理事長さんがこの証人喚問で拠り所にしているのが、まさに「人権」というものなんですよね。

ことさらに政権の側が「私人」である自分をつぶそうとしている・・・ということ、それを理事長さんはおっしゃっていたわけで。

このことを今後、思想的に、どう考えるのか。それは私たちにつきつけられているようにも思いました。


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