大阪のホテルを9:15出発、阪神高速に乗って南下、松原JCTを過ぎたころから雨が降り始め、美原JCTでは結構な雨になった。これでは、今日予定の高取城を見るのは難しいと思い、急遽予定を変更し本日に奈良、明日を高取城を見学することを考えて高速を下りた。しばらく走っていると、すぐに嘘のように雨が上がった。それでは、予定通りとしようと、再び高速に乗りなおした。10:38に高取町の「夢創館」に入り資料を貰い、貴重な情報を聞いて出発。近くのコンビニでおにぎりを2個買った。
11:33壺坂口への登り口の路肩に車を停め、11:46登り始めた。壺阪口門跡(左の写真)から郭内に入り右の侍屋敷跡には杉が、左の侍屋敷跡には竹の間の道を進む。壺阪口中門跡を通り大手門(御成門)の前の分岐に出る。
この分岐で右に大手門(左の写真)を入ると二ノ丸から本丸へと城の南側曲輪に入る。左に進むと三ノ丸を通り北に二ノ門口に至り、その間をトラバースする如く真ん中を下ると吉野口門に至る。
二ノ丸から本丸に至り、立派な大天守台(左の写真。正面の石垣上に大天守、右端の石垣上に小天守があった)を見て本丸曲輪を隅々まで歩いてニノ丸に戻ると、男性1人が蛇腹のフィルム写真機を三脚に据えて写真を摂っておられた。二の丸の東屋や新芽のみずみずしい緑や桜のピンクが美しくそれを撮っておられたように思った。
挨拶をしてしばらく話をした。奈良在住の方でプロの写真家だった。記念に小生のコンデジで写真を数枚撮って戴き名刺まで戴いた(左が撮って貰ったうちの1枚)。その方はよくこの城にも来られているようで四季折々の写真を撮っておられるようだった。その助言もあって、芋坂峠方面の吉野口門跡まで足をのばし、引き返して、大手門前の分岐を三ノ丸方面から北に進んだ。途中の14時に到着した国見櫓跡では北西の方向(方位320度)に広がる葛城山(960m)から生駒山(642)が見え、その手前の畝傍山(199)は眼下にあった。
二上山(474)と信貴山・高安山(488)の間の稜線の凹んだ間からは遠く大阪市街地のビル群(左写真)も遠望できた。そこで、おにぎりを食べ、20分をゆったり過ごした。そこからさらに北に進んでニノ門跡まで行って、その外側にある猿石を見て引き返した。
再び二ノ丸から本丸に戻って一望した後、登ってきた壺阪口へ戻るのはおもしろくないので、二ノ丸と本丸の間の曲輪南に抜ける七ツ井戸のあるつづら折りの道を下った。すぐに舗装道に出てそれを下っていくと登り始めた壺阪口に15:23到着した。 ムラサキヤシオ(左写真)、ソメイヨシノの残り花、スミレ、コミヤマカタバミなどの花もあって十分楽しめた。
それにしてもこんな山上にこれほどの規模の曲輪を配置し、石垣を積み上げるとは凄いの一言。どこからこの石を運んだのだろうか、相当の資力・動員力、何よりも強い権力が必要で、やはり豊臣秀長によるものだろうと思う。 15:35発ち、途中五百羅漢の標識があったので立ち寄ってそれを見た。それは岩に掘られた多くの地蔵さんのように見えた(五百はとても無い)。「夢創館」に立ち寄り、お礼と報告をして、お茶を一服呼ばれて16:25発って大和郡山のスーパーホテル 奈良大和郡山に17:15到着。それまで雨に遭わなかったが、夢創館を発つ頃からポツポツと小雨になり、途中大雨になった。