2008/04/11
出張で、リンゴ並木で有名な伊奈谷の中心都市、飯田に行って来た。
(人形劇のイベントでも有名)
新宿から高速バスで4時間。
電車だと5時間を超え、公共交通機関では高速バスが最も早い。
市の人口は約10万人。
市の木はもちろん「りんご」。
飯田は戦国時代には既に現在の町割りの原型が整ったといわれている。
また、飯田は昭和22年4月に発生した「飯田の大火」で城下町の面影を残す市街地の2/3が焼けたらしい。
復興に際して、市街地には延焼を防ぐための道路として幅2mの「裏界線」(りかいせん)と呼ばれる防火用道路が設けられ、現在、飯田の市街地を特徴づける空間となっている。
話は全く逸れて、市役所の方と同行したM田さんの会話で、「かつて飯田長姫高校(おいひめ)が甲子園で優勝しましたね。」という話がでた。
高校野球は結構知っているつもりだったがこの高校名はまったく記憶になかった。
あとでM田さんに聞いたら昭和30年前後とのこと。
31年生まれの僕はどうりで知らないわけだ。
調べてみたら、昭和29年の選抜大会で初出場で初優勝を飾っていた。
トップヒルズ本町
トップヒルズ第二
裏界線
リンゴ並木の手入れにやってきた中学生達
三連蔵
飯田市美術博物館の桜
広島県三次市の灰塚地域(旧三良坂・吉舎・総領町にまたがる地域)に建設された灰塚ダムを巡る「船をつくる話」を題材にしたドキュメンタリー映画を観てきた。
ダム湖の建設により沈んでしまう村の営みを後世に伝えるように、森の引っ越しをしようというのがこの「船をつくる話」の主旨。
恥ずかしながら、知らなかったのだが、各地の脱ダム宣言などの影響で大きく報道されていなかったようにも思う。
ダム建設に伴い伐採されてしまうダム法面の木を使って長さ60mの船をダム湖の底になる予定の場所で組み立て、湛水試験で100年に1度の洪水時のレベルまで水位を上げたときに引っ越し場所となる山の上に移す。そして、通常の水位まで水位を下げると、船が山の上に乗るというしかけ。
構想から12年、船をつくりだしてから7年、2006年に船が山にのぼった。
国交省との約束では解体撤去が原則らしいが、水没した村の人たちとともに山にのぼった船、過去の思い出を少しでも長くとっておいてほしい。
ちなみに、村の集落にあった樹齢400年といわれる「えみきの木」は、移植費用の高さや生存率の低さから移植が断念されそうになったが、村の人たちの募金などにより水没予定地住民のための生活再建地に移されることになった。その後、新たな場所でちゃんと芽吹いたらしい。
新たな生活を始めた水没集落の人たちと、ときには昔を思い出しながら、新しい歴史を紡いでいくことになるのでしょうね。
■「船、山のぼる」公式ホームページ
渋谷ユ-ロスペースで4/25まで。当日1700円/前売1400円。4/19日にはトークイベントあり。
■中国地方整備局灰塚ダムホームページ
(oba)